先日、「
大数の法則と中心極限定理を恋愛小説風に語ってみる 」
というおちゃらけ記事を書いたが、それにはきっかけがあった。
それは、数学のできない大学生のことだ。
私がいるWS大(学部)は入学が易しい。
出願者の母集団は米国のごく平均的な高校生だと思われるが、
その約80%に入学許可を与えている。
大学は入学した全ての学生に対して
数学を最低1科目履修する事を義務付けているので、
かなり数学が苦手な学生も何らかの科目を履修することになる。
私は昨年、そうした数学が苦手な学生向けのコースを受け持った。
学生の数学的知識は、日本の公立中学3年生と同じくらいであったように思う。
公立中学と同じように、できる子は結構できるし、
できない子は平面上の直線の式も覚束ないという感じで、バラツキも結構大きい。
ちなみに、日本では「
分数ができない大学生 」というのが昔話題になったことがあったが、
アメリカの簡単な数学の授業では 1/2 + 1/3 は、0.833で済むので話題にならなそうだ。
そのコースを教えてみた一番感じた事は、
そのクラスの学生は数学が苦手だというよりも言語能力そのものが低い ということだ。
先日、やはり似たようなクラスを教えた数学科のティーチングアシスタントの院生と話をしていて、
そもそも問題文を図に直す事ができない学生が結構多いという話になった。例えば、
「ある三角形の二つの角が30度と90度で、その2角に挟まれる辺の長さが1の時、
残りの2辺の長さをそれぞれ求めなさい。」
というような問題があったとき、
そもそも1行目の状況を図に書く事ができないという。
もっとひどい学生になると、英語の文章を理解する事ができないことがある。
驚く事なかれ、学生は純粋なアメリカ人である。
私はある時、
「期末試験の範囲は5~8章と書いてあるが、1~4章は含まれないのか?」
という質問をメールで受けたので、
「1~4章は明示的には含まれないが、5~8章の問題を解く時に
1~4章の知識が必要になることはある。」
と返答した。しかし学生は意味が分からなかったようで、
「結局、1~4章は含まれるのか含まれないのか?」
と再度、尋ねて来た。
試験範囲に関する質問はあらゆるコースで出るが、
通常の大学2年生以上向けのコースであれば私の返答が理解できない学生はいない。
そんな学生達であるから、
試験問題は、授業でやった問題と全く同じ形でないと解けない人が多い。
数字は異なっていても代入することで対応できるが、
問題文の文章構造が異なるともう何が書いてあるのか理解できなくなってしまうのだ。
時々「計量的な問題は苦手だ。概念的なことは良く分かるんだけど。」
という学生もいるが、これは怪しいと私は思っている。
計量的な問題では理解度を試す事が比較的容易であるが、 概念的な問題では理解度を試す事が難しい からである。
おそらくこのような学生は
「計量的なことが苦手なことは分かっているが、概念的なことが苦手かどうかははっきりしない。」
という状態なのだろうと思う。
例えば小学生が「知識は力なり」という格言を知って、
「私は「知識は力なり」という言葉を読んで感動しました。本当に知識は力だと思います。
私もたくさん知識を付けて力のある大人になりたいです。」
と日記にでも書けば、小学校の先生的には二重丸だろう。
しかし、この作文は基本的に同じ事を3回繰り返して書いただけで、
小学生が本当に文意を理解しているかどうかは全く分からない。
あるいは「"知識は力なり"の意味を説明しなさい」という高校生向けの現代社会の問題なら、
「"知識は力なり"は、16-17世紀イングランドの哲学者フランシス・ベーコンの主張に
基づく格言である。彼が1620年に著した『ノヴム・オルガヌム』第1巻「警句」において
述べているように、人間の知識と力が一致するのは、原因を知らなければ、結果を生み出す
こともできないからである。」
とでも書けば普通の先生は大満足であろう。
ちなみにこれはWikipediaから主要部分をコピペしただけで、
同じく、これを書いた学生が真意を理解しているかどうかは分からない。
実際、私はこの格言の意味をきちんと理解してコピペしたわけではない。
こうして考えていくと、
数学が極端に出来ない学生というのは、 実は「言語能力の低さが数学の試験によって露呈した」だけであって 問題は数学力ではないのではないか 、と思えてくる。
こうした学生はおそらく、
他の分野の勉強をするときも、新聞を読むときも、恋愛小説を読むときも、
内容をきちんと理解できていないのではないだろうか。
<余談> もちろん、数学は言語能力だけで学べるものではない。数的な感覚もある程度必要である。
数学が苦手な学生向けのコースで、私が黒板に、
1 + 2 + 3 + … + 100
と書いたとき、ある学生が真面目な顔をして、
「3と100の間には何があるのですか?」
と聞いてきた。そして他の学生からは笑いが漏れて来なかったのである。
スポンサーサイト
テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育
はじめまして、数学が苦手な32歳です。数学の前に読解力が必要ということに賛成です。
私は受験テクニックで国公立大学経済学部に入り、そこが計量経済に強い教授が揃っていることを知らなかったため、4年間落ちこぼれて卒業してしまいました。初等統計学すら3回取っても何も理解できませんでした。が、ここ2年海外でMBAスクールに通うなか、英語の統計の教科書やらマーケティング用の統計解析の教科書を読んでるうちに、パッと視界が明るくなりました。
日本語だと読み飛ばしていたり日常用語とごっちゃになっている用語でも、英語だと、私の読解力が低いためにじっくり時間をかけて読む必要があったからだと思います。2月にはAlpha C. ChangのFundamental Methods of Mathematical Economicsを一ページ目からじっくり読み、解いてみた結果、数学は日本語で学ぶよりも英語のほうが相性良いんじゃないかと感じた次第です。
ukさん:
それは面白いお話ですね。
英語は専門用語と一般単語の区別が曖昧なため、英語のネイティブスピーカーは、日本人が日本語で数学を勉強する以上の困難を感じる場合も多いと思います。
Willyさんの意見には賛成します。
そもそも数学力の問題なのか国語力の問題なのかは非常に重要な問題だと思います。
実際、文系の学生を見ているとそもそも日本語が分からないのか、その分野が分からないのか、ハッキリしません。(個人的には前者だと思います。
あと勉強嫌いな日本人は日本語が分かっていなくて、そもそもテキスト読むのが嫌いっていう可能性が否定できないと感じています。
例えば、英文法を勉強するにしてもそもそもテキストに書いてあることが理解出来ていないなんてよくありそうです。だからテキストが読むのが面倒臭いから読みたくない、よって勉強しない。っていう悪循環に陥りそうです。
これが数学だともっと事は酷くなりそうで、そもそもこの定理は役に立つのか?役に立たないのか?という疑問から発展して、どうせ使わないからもういいって投げ出してしまう学生が非常に多そうです。
米国人の学力は平均がひどくて、トップが飛びぬけてるけど、日本は、平均が高いというイメージがあるのですが、どうなんでしょう。
あまり本論と関係ないですが...
> 「"知識は力なり"の意味を説明しなさい」という高校生向けの現代社会の問題なら....
に続く回答は、この問いに対する答えを含んでいないので、問いがあなたの想定と違うものであるか、もしくは回答の例として適切ではないのでしょう。
まず意味を答えてから背景などを答えないと、やり取りが成立してないのではないですか。
完全な文系ですが、中高の数学って、問題文の意味が分かれば解けるよな、と途中から思ってました。
えー、なんか納得!
僕は数学は赤点とるほど苦手でしたが、卒業してから読んだ本で出てきた数理パズルや、計算を解くゲーム性が面白くて、いつの間にか数学大好きになりました。
元が数学得意ではないので理解できない(大学レベルになるともう、一ページ読むのも必死!)ものも多いですが、わかる時の面白っさたらないな、と思います。
文章の理解力は、元来乏しい人も努力次第で向上するでしょうけど、それには結構つらい思いするのですよね。
学生の時は宿題の多さで理解しないまま問題を解いてたのが悔やまれます。今やったらたのしかったろうなぁ(^^)
あ、なんか関係ない話でしたねw
たくさんのコメントありがとうございます。
Dehmelさん:
>そもそもこの定理は役に立つのか?役に立たないのか?
若い頃、こういうことはあまり考えずに教科書を読んでいたのですが、
最近こう思う事が増えました。自分が進歩したのか退歩したのか微妙なところです。
hoさん:
それはあると思います。実際、IQ(知能指数)の国別統計でも
米国は平均が低く、ばらつきが大きいということは現れています。
知能指数のばらつきの大きさは、人種的文化的多様性と貧富の格差によって
もたらされると考えられますが、アメリカに関しては貧富の格差がより
大きいかなという気がします。
匿名さん:
>回答は、この問いに対する答えを含んでいないので、
それはそうですね。匿名さんがこの回答を採点したらやはり低い点数になるでしょうか。
匿名さん
>中高の数学って、問題文の意味が分かれば解けるよな、と途中から思ってました。
それは優秀な方なのでは。私は問題文の意味が分からないことはほとんどなかった
ですが、解けない問題はたくさんありました。
たけちよさん:
パズルって数学より楽しいですよねw Outputの時間が長いからなんでしょうか。
数学は、普通に勉強するとinputにかかる時間が長過ぎになります。
大学レベルになると1ページ読むのに必死というのは数学科の学生でもそうだと思います。
1 + 2 + 3 + … +98 + 99 +100
感覚的にこうしてほしい。
件の学生は文章理解力が無いということではなくて、単純に解答をほぼ丸覚えで単位とるつもりだったということではないんでしょうか?
>1 + 2 + 3 + … +98 + 99 +100
なるほど。1+2+3+...+100 という書き方は数学における慣用表現なので
そういうものに対する慣れも必要なのかも知れません。
>単純に解答をほぼ丸覚えで単位とるつもりだった
これはある程度当たってるんですけど、
じゃあなんで丸覚えで単位取ろうとしているのかっていうと、
大抵、論理的に内容を理解できないからなんです。
学生は別に手を抜きたくて、やってるわけじゃない。
基礎学力がなくても、単位取る事には真剣な学生が多いです。
1+2+3+…+100じゃなくて1+2+3+…+nだったりすると,nの一つ前が何なのか書けない生徒がかなりいるような気がします。
日本でも国語をもっと重視しようといっている人がいますね。
国語ができなければ、数学も英語もできませんから
なぜこの理論がみんな理解できないのかが、理解できない
わたやんさん:
>1+2+3+…+nだったりすると,nの一つ前が何なのか
多いでしょうね。mとか言い出しそうw
qqさん:
>日本でも国語をもっと重視しようといっている人がいますね。
国語をちゃんと教えるって結構難しそうですね。
教科書の作りもラフで教師の力量に依存するところが大きそうです。
漢字、文法、古文、漢文、文学史みたいな形式的なところに拘りがちだったり、
あるいは先生がまったりと「語りモード」に入ってしまったり。
肝心の「読む技術」「書く技術」をあまり教えてくれない。
国語の教科書は、作品とその注釈を載せるだけじゃなくて
もっと作り込んでも良いのかも知れません。
これでもWilly先生の講義を受ければ半年後には日本の理系大学院生を軽く超えるレベルに達するんでしょう?
中1の時、米国の学校に通ってましたが、ある時、数学の先生に「お前は問題文を正確に理解できているから、上のクラスに行きなさい」と言われ、上級のクラスに行くことになりました。
当時、「問題文を正確に理解する」ということが良く分からず、言われたとおりにしましたが、振り返ると、確かに論理的な思考ができない同級生が多く、よく助けてあげてましたね。
大人でも、特に保守の人たちにそういう人たちが多いような気がするけど...
とは言え、記事にあるように、できる人も多いからバランスがとれてるのかな?
情報系教員ですが、数学的なことを取り扱う(二進法とか、集合論の応用とか)授業や試験で壊滅的な成績の学生を観察していると、そもそも「勉強とは答え(の具体例)を覚えること」っていうことしか小中高でやってきてないのではないかという気がします。
論理的に内容を理解できるできない以前に、「答えを考え出せるように仕組みを理解する」という発想がそもそもないように見える。
もちろん、問題で何と問われているか理解出来ないっていう問題も大きいと思います。
授業中に「○○の操作の結果残るものに丸をつけよ」という例題を取り上げて説明して、期末試験で「消えるものにマルをつけよ」って問題を出すと、講義中での例題の通りに答えを書く(残るものにマルをつけてしまう)学生が続出したりします。
>こうして考えていくと、数学が極端に出来ない学生というのは、
実は「言語能力の低さが数学の試験によって露呈した」だけであって
問題は数学力ではないのではないか、と思えてくる。
こうした学生はおそらく、
他の分野の勉強をするときも、新聞を読むときも、恋愛小説を読むときも、
内容をきちんと理解できていないのではないだろうか。
このあたり、心にズキッと来ました
そこそこの私立大学を出ましたが、数学はからっきしでした
その他の科目でも、試験では点が取れるけれども理解が危ういものばかりでした
自分には何ひとつ確固とした知識が身についていないのでは?と怖くなりました
御無沙汰しております。
以前確率・統計学の本に関して投稿したものです。
日本には統計学科はなく、
アメリカには多くの統計学科があると本で
読んだことがあるのですが、
統計学科ではどのようなことを教えているのでしょうか。
日本の数学科とはやはり異なるのでしょうか。
質問ばかりで申し訳ないですが、
そのあたりとても興味があります。
お忙しいところ失礼しました。
ウィルメリさん:
>半年後には日本の理系大学院生を軽く超えるレベル
WS大では、できる学生は別途お金を積んで取っています。
shineさん:
確かに保守というのは、基本、何も考えなくてもなれますからね。
しかも「古き良き伝統を守ろう」的なことを言えばまともに見える。
考える力の無い方には、保守はとってもお勧めです。
(もちろん、保守派の中にちゃんとした方も大勢います。)
齊藤明紀さん:
分かります。定期試験にしろ、入試にしろきちんと理解している人に
高い評価を与える仕組みは難しく、それが問題を助長していると思います。
あさん:
「確固とした知識をつける」って本当に大変ですよね。
必ずしも論理だけではなく、直感でどこまで理解できるかも人によって異なる。
フィールズ賞をとった小平邦彦氏は、
東大を受けた時に問題が全然分からなかったので、適当に答えを書いて、
もう不合格だと諦めていたら、首席合格だった、という逸話がありますね。
べいずっちさん:
統計学はデータを扱うのが目的であることが数学と一番違うところです。
数学であれば命題を証明することが主題ですが、
統計学では、実際にデータが与えられた時に
どういう数学モデルを使うのが妥当かを判断し、
既存の結果があればそれを応用し、なければ自分で構成することが求められます。
数学は頭脳勝負ですが、統計学は調査能力とかノウハウが
もう少し大きな比重を占めていると思います。
>「青春の高校数学」
うーん、どうなのかな。
heuristicなところはとても良いのだけど、
教科書として、万人向けと言いきるほどの自信は持てないかも。
副読本的に使う方が良いかもしれません。
それにしても面白くて分かりやすい教科書を書くのは難しいですね。
私も、なんとか分かりやすく説明しようとしたものの結局
「これだったらフラットに説明した方が分かりやすかったのでは?」
と後で思うことがしばしば。。。
つまるところ、それがIQってものだから。
アメリカの大学1年生の基礎学力のばらつき・・・すごいですよね。出来る学生は出来るけど、底の深さは日本の比じゃない。この沼の深さは、足を踏み入れた人で無いと分からないかも。言語能力の不足もあるし、論理、抽象概念の把握とかも苦手だし、それ以前に基本的な「お勉強の仕方」を知らない学生もいるし。
同じ人間である以上、生得の才能の分布は国・人種でそう変わらないはずなので、やっぱり大学以前の教育制度に問題があって、一部の子供たちが取り残されるのかと。それも、かなり早いうちにダメージなり混乱なりが起きているのかなと想像するんですが・・・
言語的な理解のせいで問題が解けないケースもあるでしょうが、簡単な数学の問題に関してはそうではない場合のほうが多いのではないかと、私はむしろ考えています。
なぜなら、脳で言語を理解する時と、数字や空間を認識する時に使う箇所は違っていて、数の概念は距離や時空間を大雑把に認識する機能が起源だからです。
例えば、記事の三角形問題が全く知らない言語で書かれていたとして、数字の部分とある単語が三角形であるというヒントがあれば、willyさんならずばり解答できなくても、部分点がもらえるような絵でも書いたりできる可能性が高いと思いませんか?
文字を読んだ後に、そのイメージをすぐになんとなく思い描くというのは間違いなく数学の能力に属すると思います。
数学の問題の解釈が不得意な学生でも、恋愛小説の感情の動きなどは、非常によく理解できているという場合は多いだろうと思います。
参考
数覚とは何か?―スタニスラス ドゥアンヌ (著)
>つまるところ、それがIQってものだから。
私はこれは少し違うと思います。IQって言語能力よりも
もっと原始的なパターン認識力で決まりますよね。
もしかすると相関は高いのかも知れないですが。
のあさん:
>それ以前に基本的な「お勉強の仕方」を知らない学生もいるし。
>同じ人間である以上、生得の才能の分布は国・人種でそう変わらないはず
院と学部を比べると、知識習得に対する学生の態度が全然違います。
学力の差は主にその辺りが原因なのかも知れないですね。
「生得の才能の分布に国や人種による差がない」かどうかはちょっと分からないですね。
国や人種ごとの差は統計的にはあると思いますが、
文化と国、人種を切り離すことができないので。
折り紙さん:
同意です。それが「余談」の部分に込めた意味です。
ただ私が思うのは、数学において数的な感覚はかなりの部分まで
言語能力で補うことができるのではないかということです。
willyさんの意図はかなりレベルの高いところにあったようなのに誤解していたようで失礼しました。
たしかに、大学や院で数学についていくというような場合、言語能力等で補うことが大切だと思います。
ワーキングメモリだけで一気に解決できないような場合、問題を分割して解決可能な形にする等のスキルが必要なのは間違いないと思います。
ただ、上に出ていた例が、あまりに初等的なことだったので、もっと算数ができない小学生の問題のようなものを想定してしまいました。
よくあるパターンから極端なもの、例えば、数字で問題をだすと3桁の足し算や引き算を問題なくできるのに、りんご3つとりんご5つはあわせて何個?と聞いたり、タイルの数で計算させるとできなくなるなど、変わった事例にも触れたりしてたので、日ごろ当たり前と思っている数理や論理のもとになる感覚が鍛えられていないと、他で補うのは非常に難しいと感じていたのでした。
折り紙さん:
正直言って、文章を図や式に直すというレベルの言語能力を習得できない原因が
何なのか、というのはよく分かりませんが、おそらく、かなり早い段階で学校の
勉強についていけなくなり、その場しのぎでやっているうちに大人になって
しまったということなんでしょうね。
焦らずゆっくりやるということが大事かも知れません。
確かに得意不得意はあると思います。
「分かったぞ」って感覚は本当に謎です。
なんたって「分かった」瞬間から今まで出来なかった問題が出来るようになる。
昔の人はどんな優れた数学者だって
地球が丸かった事は分からなかったと思います。
でも今ならどんなに馬鹿学生でも分かってます。
いやそれとも分かってないのかな?
ってゆうか数学って言語能力を出来るだけ省いた学問のはずなのに!
だいたいそうゆう学生に限ってギャンブルするんだ。
幾何学なら大丈夫!定規とコンパスだけで出来るから。
>「分かったぞ」って感覚は本当に謎です。
これはそうですね。
「証明に誤りがないことを理解した」のと「分かった」という感覚は
必ずしも同じではないですしね。
分からない場合の方が、その理由を合理的に説明できると思います。
あるいは「"知識は力なり"の意味を説明しなさい」という高校生向けの現代社会の問題なら、
「"知識は力なり"は、16-17世紀イングランドの哲学者フランシス・ベーコンの主張に
基づく格言である。彼が1620年に著した『ノヴム・オルガヌム』第1巻「警句」において
述べているように、人間の知識と力が一致するのは、原因を知らなければ、結果を生み出す
こともできないからである。」
---
この回答の点数が低いのは、「意味」だけでなく「誰の格言か」「出典は何か」を書いてしまっているし、さらに「意味は何か」と問うているにもかかわらず「~からである」という不適切な語尾で結んでいるからだと思います。余計な要素がある上に、意味の説明として不充分です。
mokoさん:
そういったご指摘は正しいのですが、論点はそこではありません。
そもそも文脈からお分かりのように、私はこの回答を「良い回答」として書いていません。
いかに「表面的な回答」が高得点を取りうるかということを例示しているのです。
もしmokoさんが平均的な高校の、現代社会の先生で
この問題を中間試験で出したとして、例えば50人の生徒から
どの程度の答案を期待できると思いますか?
それを踏まえた上で、この答案に何点つくと思いますか?
あくまで私見ですが、背景ならびに「知識と力が一致する理由」を述べている時点で
高得点が「ついてしまうのではないか」ということを言いたいのです。
私が先生なら、この答案は0点です。
どういう文脈で「知識は力なり」の意味を説明せよという問題を出したかによりますが、
つまり、授業でベーコンの思想を習った上で、なら、ベーコンのこと書いているから半分は点やるか、と思いますが、
単に、生徒の経験からこれを説明せよ、という問題なら、0点です。
生徒の経験から説明せよ、なら、十人十色の解答があり、その生徒の経験から導き出された、生き生きとした答案なら、全部満点にしてもいいでしょう。
上のコピペ答案は、意味を説明していません。
説明するには、「人間の知識と力が一致するのは、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからである」のところを書き換える必要があります。
自分の経験などをまったく考えずに、ここを書き換えるには、高度な日本語力が必要です。
自分の経験などを考えた方が、これはどういうことなのかがわかりやすいでしょう。その場合、書き換えではなく、自分の言葉で書くことになります。
知識は力なり、経験もまた力なり。
言葉の能力は経験で養うしかありません。
1 + 2 + 3 + ... + 100 と書かれて + 3 の次を + 4 と読まないのは早まった一般化を避けているのかも知れません。教員にとって当たり前すぎて省いた説明が学生にとって重要な情報の欠落であることはよくあります。特に等差数列という用語が迂闊に使えない状況ではまず疑うべきことです。+ 3 の次は何かと尋ねた学生に「前科」があると、教員は感情的になりやすく 1 + 2 + 3 + 4 までで終わりにすればよかったという教材に対する自省を忘れがちです。これは対人論証の誤謬で、大学の先生がやらかすと学生にとって笑い事ではありませんし、「できる子」までが自らの洞察が甘かったと反省してしまうことにもなりかねません。
教育の問題は学生の質にも原因はあるでしょう。しかし教員にもそれまで通用していた甘えを正すときがきているのだと思うことがあります。
ykさん:
前半部分、論理的には確かにおっしゃる通りですし承知してますが、今回のようなケースに関しては的外れなご指摘です。厳密でない説明に対して、より論理的に精緻に考える学生の方が悩んでしまうという事例はありますし、私も高校生の時はそういう学生だったので良く分かるのですが、今回のような入門的な授業の場合95%以上の学生の問題は、基礎的な数的感覚の欠如にあり、論理的により厳密な説明を目指すのは問題を悪化させる
ケースがほとんどです。
>教員は感情的になりやすく 1 + 2 + 3 + 4 までで終わりにすればよかった
この部分は意味がよく分かりません。
初めまして、Willyさんの記事を読んで納得です!
学生時代にAccounting labでバイトをしていたんですが、そこに来るアメリカ人学生の算数力の低さに毎日四苦八苦していました。簿記なので簡単な計算しか出てこないんですけど、問題文が長くなればなるほど、どのステップを踏んで解けばいいかわからないようでした。当時は、「なんで日本人の私がわかって、英語が母国語の彼らができないんだろう」と思っていましたが、「言語能力が低い」と思うと納得です。すっきりしましたw
ひとつ私が覚えているのは、ユニットの平均コストを出さなきゃいけない問題で
「トータルコスト/トータルユニットで平均が出るでしょ?そしたら次は...」と続けようとしたら、
「なんで?」
と言われました...。絶句でした。あはは..
数学が出来ない学生は実は言語能力が低い、というWillyさんの分析に同意します。
> こうした学生はおそらく、
> 他の分野の勉強をするときも、新聞を読むときも、恋愛小説を読むときも、
> 内容をきちんと理解できていないのではないだろうか。
これに関しては、そもそも彼らは新聞も小説も読んでなさそうです。
日本の理工系大学で数学を教えていて、この種の学生の特徴としてもう一つ気が付く点は、「字がまともに書けない」という事です。これは別に難しい漢字が書けないとかいうレベルではなくて、「答案の字が極めて読みづらい、下手をすると本当に読めない」というレベルです。
大抵の場合、妙に字が薄くてしかもペンに力が入っていないせいか字がぐにゃぐにゃしていて判読がかなり難しく、採点していてかなりイラつきます。その結果書いている本人すら自分の字を誤読して、計算ミスしていたりもする。さらに酷くなると、問題文の数式を答案に移す時点でもう間違っているのが100人クラスだと1,2名は居たりもします。
恐らくこのレベルの学生は、学力というよりも基礎的注意力が無く、何をやっても正確に出来ないのではという気がします。卒業後に現場に行っても、計算がまともに出来ないだけでなく、書類も正しく書けず、プログラムに正しくデータを入力する事すら出来ないのではと気にはなるのですが、日本の大学だとこれでも卒業させなくてはいけないので。自分がお金を預けている銀行や、自分が乗る飛行機のメーカーに就職しない事を祈るしかないですね。
>これに関しては、そもそも彼らは新聞も小説も読んでなさそうです。
なるほど。ちゃんと読めなければ読む気にもならないでしょうしね。
私自身も、数学が好きになったのと、読解やディスカッションが
得意になったのはほとんど同時期でした。
> 自分がお金を預けている銀行や、自分が乗る飛行機のメーカーに
> 就職しない事を祈るしかない
私は社会の豊かさはトップ数%で決まると思っていますので
銀行ならいかにチェック機能を充実させるか、
飛行機メーカーならいかに上手く実験やテストで安全性を確保するか、
ということで問題を解決してくれることを祈ります。
大学教員が言うのも何ですが、本来大学に来る必要がない人も
来てしまっているのですよね。来てくれる以上は、できるだけの
ことはしたいと思いますけども。
何を隠そう自分も数学が苦手で苦労してますw
ただ最近興味を持って統計学を学習してみようかなと思ってるんですが
その場合中高の数学はどの単元をやり治すのが良いでしょうか?
アホさん:
数学は、必要になった時にその場でやり直すことをお勧めします。
それが難しければ、場合によっては家庭教師でも雇って足りない部分を
説明してもらってはいかがでしょうか。
willyさん
家庭教師ですか。それはちょっと難しいですねw
自分の経済力だと
とりあえず中学からもう一度やってみます。
こんにちは。
いつも楽しく拝見させていただいております。
在米27年になります。
”言語能力が低い”といわれるのはある意味賛成ですが。。。
問題:I AM HAVING A FRIEND FOR LUNCH
これはどういう意味でしょうか?
JACKさん:
> 問題:I AM HAVING A FRIEND FOR LUNCH
> これはどういう意味でしょうか?
ここは関係ないクイズを受け付けるコーナーじゃないんですが。
「問題」ということはJACKさんは意味を分かっているのですよね。
日本の有力国立大学の数学教員です。
たまたまこの記事に行き当たりましたので現場からの報告です。
平成17年度~平成19年度に理学部数学科新入生向けの講義を担当しました。
それ以前の経験から、多くの学生が文章読解力が無い為に教科書が読めないことを認識していたので、数学の講義と平行して文章読解の講義もしました。
その時の教材が以下に有ります:
http://www2.math.kyushu-u.ac.jp/~snii/education.html
(当時使った「論理トレーニング」は新版が出てしまったので、この教材はそのままではもう使えませんが)
衝撃的だったのは練習問題
http://www2.math.kyushu-u.ac.jp/~snii/Logic/ans-Logic4.pdf
で半分の学生がこの文章の結論を「資料の分類は危険である」としたことでした。
この文章は「「超」整理法」という1993年に出版されてベストセラーになった本から取ったものなので、出版当時の読者層はこの程度の文章を読むのに苦労は無かったと思われます。
これだけ理解力が落ちていると、もう「ちゃんと教科書を読みなさい」と言っても意味の無い状態と思われます。
他にも色々なことをしましたので、このことだけの成果がどれだけあったかは分かりませんが、当時4割だった数学科の留年率が私が担当した学年は1割5分まで下げることが出来ました。(その後カリキュラムが変わって出来が悪くても留年させない様になったので、現在との比較は出来ません)。
印象に残っているのは、文系の大学を出て社会人をした後に入り直してきた50代の方が私の講義を受けられた後「数学って結局国語力なんですね」と感想を語ってられたことです。
数学に限らず、現在の日本の学生の学力低下の大きな原因は国語力の低下だと常々実感しております。
S.N.さん:
興味深いエピソードをありがとうございます。最近は、プログラミングを数学の授業に取り入れることで言語力を明示的に評価したり、強化したりすることはできないだろうか、と考えています。
数例の学生を挙げて「分析」と謳われても……
教員は本当に狭い世界で生きていますよね。
勿論これも数例からの分析です。
匿名さん
>数例の学生を挙げて「分析」と謳われても……
私は分析とは書いていませんが…。統計やったことない方の一部は、「なんでも統計からきちんと分析すべき」と考えるのかも知れません。匿名さんが独身か既婚かは存じませんが、例えば、20回くらい結婚でもしたら、異性の考えることが分かるかも知れませんね。
どうもはじめまして、記事を拝見させていただきました。推測ですので間違っていたらすみませんが、WS大の場合は州立、且つインナーシティーの大学ということで入学される学生さんたちはアメリカの平均よりも少し学力がもともと低いのではないでしょうか。アメリカのインナーシティーでは予算などの関係で小中高の環境や設備が目を覆わんばかりの状態のところが多いです。生徒さんの多くもマイノリティー(今年の選挙でも見えたようにアメリカではまだまだ差別が根付いています)であることが多く、家庭環境が芳しくない(シングルペアレント、もしくは片方の親が服役中で極度の貧困、家庭内暴力にさらされている、など)場合もあります。Willyさんが言われる通り、彼、彼女らは数学だけではなく、総合的に学力が不足しており、言語能力、読解力などが低いため数学でも難しい思いをするのだと察します。このような生徒さんはいわゆる first generation college student が多く、「大学教育」というチケットを掴みかけて貧困のループから脱出しようと苦しんでいる人たちです。私の経験からすると、ただ惰性で大学に進むタイプの生徒と違い、大半には意志や向上心はあるのですが、いままでの教育で培うはずの基礎知識の不足で大学過程がうまくいかず挫折して途中退学してしまうケースも少なくありません。年々大きくなっていく経済格差に少しでも対抗するにはやはり彼らのような生徒さんの準備不足を補い、大学修了まで進める環境を作ることも必要だと思います。
私もWillyさんと似たような立場の人間ですが、うちの大学ではそのあたりの授業(いわゆるcollege algebra近辺のレベル)の運営の見直しや細分化を検討しているところです。もちろん、特にこの州は小中高あたりのもっと根本的なところから教育機関の見直しが必要ですが(なんでもかんでも charter school とか言ってないで)このような生徒さんのレベルも考慮して大学でカリキュラムを組むことは大事な前進への一歩かと思います。長文失礼しました。
匿名さん
私の所属する大学は学力の平均は比較的低いという面が確かにあります。一方で、研究大学に分類される大学ですので非常に優秀な(Ivyでも十分やっていけるレベルの)学部生も入学してきます。そのようにばらつきが大きいので、割と(進学しない層を含め)米国人全体の学力が掴めるのではないかと思っています。そうした中で、基本的な読解力が不足している学生の数は恐ろしく多いと感じます。
そうした学生にどういった内容の数学を教えるべきかは非常に難しいですね。ほぼ何を教えても、その理屈までを理解することができないのですから。極端な話、微積だってルールに従って解く問題ならできると思いますが、小中学生レベルでも、言語力を試される読解問題なら解けないと思います。
「言語能力の低さが数学の試験によって露呈した」という話ですが、
J. Cumminsの言語能力理論であるBICS/CALP理論の話な気がします。
BICS:Basic Interpersonal Communication Skills/基本的対人伝達スキル
CALP:Cognitive Academic Language Proficiency/認知学力的言語能力
日常会話、場面や状況・相手の表情など文脈を手掛かりに出来る時などに使われる言語能力がBICS、
そういった手掛かりが使えない時に使われる、より認知的な、学習に必要な言語能力はCALP。
スーパーでの買い物、メモ書きの理解などに必要な言語能力と、
民主主義という概念の理解、教科書を読んで理解するのに必要な言語能力は、
それぞれ別物であり、習得に要する期間も大きく異なるという理論です。
BICSは比較的短期間で身に付くが、CALPの習得には長い時間を要する。
BICSが発達していれば日常会話などは流暢なので、CALPの発達にはさらに長い時間を要するが、
表面的には十分な言語能力があると見えてしまうので、CALPの発達がまだ不十分という状況が見逃されてしまう。
「言葉は出来るのに、勉強が出来ない」⇒「知能に問題があるのだろう」という誤解が生まれてしまう。
これ、第二言語習得/バイリンガリズム、バイリンガル教育に関する言語能力理論なのですが、
記事の内容は状況としては同じものに見えます。
第一言語習得、教育学は詳しくないので、
そのまま当てはめてしまうのが本当に正しいのかは私には分かりませんが、
ご興味があれば以下の論文などをご参照ください。
現在でも多数引用されるこの分野のClassicの一つです。
Cummins, J. (1980). The Entry and Exit Fallacy in Bilingual Education.
また、コメント欄に「“IQ”のに問題では」というコメントがちらほらありますが、
IQは「知能」の指標としてはかなり問題があることが多数指摘されています。
詳しくは、Stephen Jay Gould 『人間の測りまちがい-差別の科学史』などご覧ください。
ちなみに、現在だと、より信頼性の高い指標としては“ワーキングメモリ”や“実行機能”の
テスト成績が「学力」と高い相関があるという研究結果が多数出ていますね。
Podoronさん
興味深いコメントありがとうございます。
いろいろと勉強していきたいと思います。
日常生活はできているはずなのに驚くほど言語能力の低い人と
いうのは各種調査を見るとかなりいるようですね。
こんにちは
何年も前の記事なのは承知していますが、現在アメリカの大学(あと2週間で卒業ですが)でEconometricsを取っていて気分転換に日本語でこの教科どうなってんだ?とググってたりしてたところたどり着きました。
わたしは日本では外資金融で働いていて、学校のシステムというものをすっかり忘れたころに復学したのがアメリカの大学だったので、何となく5~8章って言われた方がすっきりします。わからなかったら2~4章見ます(1はどの教科も定義的なのが多いと思うので)w わたしも”じゃあ1~4は出るの出ないの結局?”って聞いてしまうかもw
とは言えわたしも特に高いレベルの大学に行ってるわけではないので、本当に同じ数学のクラスの子たちのレベルの低さにびっくりしました。だいぶ数学からも離れていたので落ちこぼれるのを覚悟していましたが、結果Requirementの数学はすべてクラス1でA+とかでした。それなので現在は経済金融学部なのですが、教授にグラッドスクール行くならMBA Statisticsとかどうだ?と言われています(STEMでビザも長いので)。でも日本では小中高で一度も数学得意だったことないので、ここで調子に乗って数学なんかメインにしたら後が続かないだろうと思っています。けどちょっとだけこの数学弱い国だったら…とも思っちゃったりもしますw
とりあえずなんか日本人の先輩を見つけたような気がして書いてみました。学校には1人も日本人がいなかったので日本語で統計のこととかまず話すこともないし、でも唯一先日うちの教授が”昔日本人のタダシヤマダっていうのと研究したとき…”って授業で言ったのでその日授業後にすぐググってみたのですが、その方はもう亡くなっていました。次の日教授に聞いたら日本に帰って筑波大で研究してたのですが、そのあと若くして白血病で亡くなったらしいです。
いきなり長文失礼しました。
それでは期末試験勉強に戻りますw
将来に関係ある(らしいw)トピックのブログなのでまたちょくちょくのぞかせていただきますね。
よろしくお願いします。
このコメントは管理者の承認待ちです
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理者の承認待ちです