最低賃金は大幅に上げるべき
政府が最低賃金(全国平均)を1000円に引上げる方針を発表した。現在の最低賃金は、798円なので約25%増ということになる。当面は年3%程度引上げる計画のようだ。一見それなりに大きな目標に見えるが、様々な点を考察すると、むしろ年3%では遅過ぎるくらいであるということが分かる。各方面から、点検してみよう。
1.経済学の基本的な考え方
自由で完全な競争が成り立っている経済では、最低賃金引き上げは単に雇用を減少させる。賃金は既に需給によって決まっているのだから、最低賃金を800円から1000円にすれば時給800円や900円の仕事は単に消滅してしまうというわけだ。その結果、失業率が上昇するから生産水準も低下する。
しかし、実証分析の分野においては賃金引き上げの雇用や景気への影響は必ずしも明らかでない。転職活動のコストが高い場合には、労働者が不当に安い賃金に甘んじたりする場合には最低賃金引上げは望ましいし、仮に雇用を減少させる効果があっても雇用調整に時間がかかっている間に、所得の増加が景気をよくしたりすることもあるからだ。
2.海外との比較
日本の最低賃金は、所得中央値(100人中50〜51番目の人の所得)の39%(2014年、OECD調べ)でOECD加盟国28カ国中25位である。これは実質所得が3万ドルを超えるOECD加盟国の中では、米国(37%)、チェコ(37%)に次いで低い。フランスは61%、イギリスは48%である。多くの東欧諸国や韓国などでは30〜40%前後だった最低賃金を過去15年の間に40〜50%まで引上げた。チェコは最低賃金は低いが、ジニ係数(所得のばらつきを表す指標)で見た貧富の格差は世界最低水準で、全体として社会福祉が機能していると言える。残るのは米国と日本だけだ。

その米国でも、近年引き上げの動きが相次いでいる。米国の最低賃金は国や州、市が下限を決める方式をとっている。例えば、国全体の最低賃金は7.25ドルだが、イリノイ州では最低賃金が8.25ドルなので、イリノイ州の雇用主は賃金を8.25ドル以上にする必要があるという具合だ。民主党は、7.25ドルの最低賃金を2020年までに12ドルに上げる法案を提出した。これは民主党の提案は選挙対策としての一面があるにしても、各州や各市でも生活費の高い都市部をかかえる州を中心に大幅引き上げが相次いでいる。報道されているように、LA、シアトル、サンフランシスコなどでは段階的に15ドルまで上げる法案が可決された。マサチューセッツ州では、2017年1月までに現在の9ドルを11ドルに、ハワイ州では現在の7.75ドルを2018年1月までに10.1ドルに段階的に引き上げられる(各州の最低賃金のまとめ)。
日本の最低賃金引き上げは、国際的に見ると完全に外堀を埋められた状態と言って良い。
3. 日本の現況
(1)雇用環境
経済学の見地からにフラットに考えると、最低賃金引上げにあたっては失業率の水準が一つのキーになるだろう。最低賃金の引き上げによる負の影響は、主に失業の増加だからである。日本では、失業率が3.1%と20年ぶりの水準まで低下、有効求人倍率も1.24と23年ぶりの高水準を維持している。この水準は他国との比較でも雇用需給がタイトであることを示しており、最低賃金引上げには追い風のように見える。
(2)生活の維持
最低賃金労働者の生活の維持という観点からしても、現在、最低賃金の引き上げは必要度合いが高い。私が高校生だった90年代、首都圏(都外)のファーストフード店の時給は600円代後半だった。当時は団塊ジュニア世代が学生であり、アルバイトの確保は容易だったのも一因だろう。しかし最低賃金が今ほど問題になる事はなかった。これは、働き手が多かったということのみならず、団塊世代の多くが安定した豊かな暮らしを送っていたために、その扶養下にある子供の時給が低くても社会的な問題にはならなかったのである。学生は親から十分な生活費をもらい、もっぱら遊ぶための金をアルバイトで稼いでいた。最低賃金労働者が自活したり、学費や生活費を自分で稼いだり、という現在では当然、話は違ってくる。
(3)国際競争力への影響
最低賃金を上げれば、賃金が上がった人は喜ぶに決まっている。一方で、他国との価格競争を行っている製造業では競争力が低下する。しかし、そうした問題も重要ではないように見える。第一に、日本の輸出依存度は15%(2014年)に過ぎず、最低賃金引き上げが経済にプラスとなったと言われるドイツ(同39%)の4割程度に過ぎない。第二に、近年の円安で多くの輸出企業の損益分岐点はかなり下がっている。第三に、近年では国内の労働力不足や電力供給の不安定をきっかけに海外移転が進み、そもそも国内のコストが輸出量にあまり反映されない体質になっていることがあげられる。
(4)相対賃金をどうしたいか
最低賃金を上げた時に相対的にデメリットを受けるのは、当然ながら最低賃金よりも高い賃金をもらっている層である。日本の競争力が低いのは専門性が低く年齢ばかり重ねた正社員の賃金が年功序列によって高過ぎることであるが、最低賃金の引き上げはこうした歪みを是正する効果がある。これは国全体にとっては望ましい事のように思える。安倍政権は年2%のインフレを達成するために、賃金も年2%程度上げたいと考えているようだが、相対的な賃金水準をどうしたいかという視点が欠けているように見える。余裕のある大企業に賃上げを要請した時に起こる事は、いわゆる「大企業のおじさん達」の賃金を更に上げることに他ならない。むしろ、歪みを拡大させようとしてきたことになる。
(5)消費増税の影響緩和
2017年4月には2%の消費増税が行われる予定だ。この時、もっとも影響を受けるのは支出の自由度が低く消費性向が高い低所得者層だ。食料品への非課税措置が検討されているのも、元をたどればそれが理由である。より効率的な政策は、低所得者層への給付を行うことだが、最低賃金の引き上げは少なくとも勤労者世帯についてはもっと望ましい政策だ。働かない人にお金をばらまくのと、働いても貧しい人の賃金を上げてあげることのどちらが好ましいは明らかだろう。
(6)物価や小売店への影響
最低賃金を引上げると、ファストフード店など低賃金労働者を多く使う業態では値上げや利益圧迫が問題となるように思えるが、実際には逆だ。業態によって異なるが、低価格飲食店の人件費比率は25%程度である。仮に全ての人件費が最低賃金だったとしても、
25%の賃上げによってコストは6%程度上昇するに過ぎない。同じ利益率を確保するための値上げ幅は8%弱に留まる。380円の牛丼は410円程度になるが、それを利用する最低賃金労働者の収入は25%増加するのだ。総じて最低賃金引き上げの「低価格産業」に対する影響はプラスだと考えられる。
こうして見ていくと最低賃金引き上げは、かなり勝算の大きな賭けであるように見える。「消費増税が9割」の日本の経済政策であるが、それを実施するためには、経済的弱者の救済と有権者の支持は必須だ。増税の影響を緩和するためにも、2〜3年のうちに最低賃金を2割ほど引き上げて、他の先進国と同水準にするのが政治的のも経済的にも望ましいのではないだろうか。
1.経済学の基本的な考え方
自由で完全な競争が成り立っている経済では、最低賃金引き上げは単に雇用を減少させる。賃金は既に需給によって決まっているのだから、最低賃金を800円から1000円にすれば時給800円や900円の仕事は単に消滅してしまうというわけだ。その結果、失業率が上昇するから生産水準も低下する。
しかし、実証分析の分野においては賃金引き上げの雇用や景気への影響は必ずしも明らかでない。転職活動のコストが高い場合には、労働者が不当に安い賃金に甘んじたりする場合には最低賃金引上げは望ましいし、仮に雇用を減少させる効果があっても雇用調整に時間がかかっている間に、所得の増加が景気をよくしたりすることもあるからだ。
2.海外との比較
日本の最低賃金は、所得中央値(100人中50〜51番目の人の所得)の39%(2014年、OECD調べ)でOECD加盟国28カ国中25位である。これは実質所得が3万ドルを超えるOECD加盟国の中では、米国(37%)、チェコ(37%)に次いで低い。フランスは61%、イギリスは48%である。多くの東欧諸国や韓国などでは30〜40%前後だった最低賃金を過去15年の間に40〜50%まで引上げた。チェコは最低賃金は低いが、ジニ係数(所得のばらつきを表す指標)で見た貧富の格差は世界最低水準で、全体として社会福祉が機能していると言える。残るのは米国と日本だけだ。

その米国でも、近年引き上げの動きが相次いでいる。米国の最低賃金は国や州、市が下限を決める方式をとっている。例えば、国全体の最低賃金は7.25ドルだが、イリノイ州では最低賃金が8.25ドルなので、イリノイ州の雇用主は賃金を8.25ドル以上にする必要があるという具合だ。民主党は、7.25ドルの最低賃金を2020年までに12ドルに上げる法案を提出した。これは民主党の提案は選挙対策としての一面があるにしても、各州や各市でも生活費の高い都市部をかかえる州を中心に大幅引き上げが相次いでいる。報道されているように、LA、シアトル、サンフランシスコなどでは段階的に15ドルまで上げる法案が可決された。マサチューセッツ州では、2017年1月までに現在の9ドルを11ドルに、ハワイ州では現在の7.75ドルを2018年1月までに10.1ドルに段階的に引き上げられる(各州の最低賃金のまとめ)。
日本の最低賃金引き上げは、国際的に見ると完全に外堀を埋められた状態と言って良い。
3. 日本の現況
(1)雇用環境
経済学の見地からにフラットに考えると、最低賃金引上げにあたっては失業率の水準が一つのキーになるだろう。最低賃金の引き上げによる負の影響は、主に失業の増加だからである。日本では、失業率が3.1%と20年ぶりの水準まで低下、有効求人倍率も1.24と23年ぶりの高水準を維持している。この水準は他国との比較でも雇用需給がタイトであることを示しており、最低賃金引上げには追い風のように見える。
(2)生活の維持
最低賃金労働者の生活の維持という観点からしても、現在、最低賃金の引き上げは必要度合いが高い。私が高校生だった90年代、首都圏(都外)のファーストフード店の時給は600円代後半だった。当時は団塊ジュニア世代が学生であり、アルバイトの確保は容易だったのも一因だろう。しかし最低賃金が今ほど問題になる事はなかった。これは、働き手が多かったということのみならず、団塊世代の多くが安定した豊かな暮らしを送っていたために、その扶養下にある子供の時給が低くても社会的な問題にはならなかったのである。学生は親から十分な生活費をもらい、もっぱら遊ぶための金をアルバイトで稼いでいた。最低賃金労働者が自活したり、学費や生活費を自分で稼いだり、という現在では当然、話は違ってくる。
(3)国際競争力への影響
最低賃金を上げれば、賃金が上がった人は喜ぶに決まっている。一方で、他国との価格競争を行っている製造業では競争力が低下する。しかし、そうした問題も重要ではないように見える。第一に、日本の輸出依存度は15%(2014年)に過ぎず、最低賃金引き上げが経済にプラスとなったと言われるドイツ(同39%)の4割程度に過ぎない。第二に、近年の円安で多くの輸出企業の損益分岐点はかなり下がっている。第三に、近年では国内の労働力不足や電力供給の不安定をきっかけに海外移転が進み、そもそも国内のコストが輸出量にあまり反映されない体質になっていることがあげられる。
(4)相対賃金をどうしたいか
最低賃金を上げた時に相対的にデメリットを受けるのは、当然ながら最低賃金よりも高い賃金をもらっている層である。日本の競争力が低いのは専門性が低く年齢ばかり重ねた正社員の賃金が年功序列によって高過ぎることであるが、最低賃金の引き上げはこうした歪みを是正する効果がある。これは国全体にとっては望ましい事のように思える。安倍政権は年2%のインフレを達成するために、賃金も年2%程度上げたいと考えているようだが、相対的な賃金水準をどうしたいかという視点が欠けているように見える。余裕のある大企業に賃上げを要請した時に起こる事は、いわゆる「大企業のおじさん達」の賃金を更に上げることに他ならない。むしろ、歪みを拡大させようとしてきたことになる。
(5)消費増税の影響緩和
2017年4月には2%の消費増税が行われる予定だ。この時、もっとも影響を受けるのは支出の自由度が低く消費性向が高い低所得者層だ。食料品への非課税措置が検討されているのも、元をたどればそれが理由である。より効率的な政策は、低所得者層への給付を行うことだが、最低賃金の引き上げは少なくとも勤労者世帯についてはもっと望ましい政策だ。働かない人にお金をばらまくのと、働いても貧しい人の賃金を上げてあげることのどちらが好ましいは明らかだろう。
(6)物価や小売店への影響
最低賃金を引上げると、ファストフード店など低賃金労働者を多く使う業態では値上げや利益圧迫が問題となるように思えるが、実際には逆だ。業態によって異なるが、低価格飲食店の人件費比率は25%程度である。仮に全ての人件費が最低賃金だったとしても、
25%の賃上げによってコストは6%程度上昇するに過ぎない。同じ利益率を確保するための値上げ幅は8%弱に留まる。380円の牛丼は410円程度になるが、それを利用する最低賃金労働者の収入は25%増加するのだ。総じて最低賃金引き上げの「低価格産業」に対する影響はプラスだと考えられる。
こうして見ていくと最低賃金引き上げは、かなり勝算の大きな賭けであるように見える。「消費増税が9割」の日本の経済政策であるが、それを実施するためには、経済的弱者の救済と有権者の支持は必須だ。増税の影響を緩和するためにも、2〜3年のうちに最低賃金を2割ほど引き上げて、他の先進国と同水準にするのが政治的のも経済的にも望ましいのではないだろうか。
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