失われた20年が終わり2010年になった。
次の10年に日本がどうなるかはっきりは分からないが、
高等教育機関に関しては、財政の逼迫や少子化、定年延長など
常勤ポストを見つける前の若手研究者にとって暗い話題ばかりが目立つ。
いろいろと改革を進めなければいけないことは間違いないが
昨年の事業仕分けで行われた文部科学省の役人と大学教官の議論を見ても
文科省に日本の高等教育を立ち直らせることは難しいだろう。
人生を文科省に委ねるリスクはますます大きくなり、
優秀な人はどんどん民間企業に進むと同時に、
アカデミックに残る人の海外流出も進むのは間違いない。そこでアカデミックに残りたい人のために、
純粋な日本人がアメリカで常勤ポストにつくための経路を考えてみる。学歴で分けると主に以下の3通りが考えられる。
A. 学部(米国)→ 博士(米国) → [PD(米国) →] 常勤ポスト(米国)
B. 学部(日本) → 博士(米国)→ [PD(米国) →] 常勤ポスト(米国)
C. 学部(日本) → 博士(日本)→ [PD(米国) →] 常勤ポスト(米国)もちろん、常勤ポスト(日本)→ 常勤ポスト(米国)という道もあるだろうが、
そこまでいくと個人の資質による面が大きいので省かせていただく。
また、[]内のPD経験が何年必要かというのは、分野に大きく依存する。
経済学のように直接常勤ポストにつくことが比較的多い分野もあれば、
純粋数学のようにPDを2-4年程度やるのが通例となっている分野もある。
まず、
米国で就職するためにどの経路が最も望ましいか、
というとそれはもちろん、望ましい順に、A>B>C だろう。個人レベルでの差も大きいものの、
AとBにはかなりの語学力(コミュ力)の差が存在するのが普通だし、
BはCに比べて語学力の他、学歴のスクリーニングで損をする可能性が高い。
人数的にはA、Bは非常にたくさんいるが、
Cはかなり少ないことにも留意しておきたい。
A. 学部(米国)→ 博士(米国) → [PD(米国) →] 常勤ポスト(米国)まず、Aを選択するためにはかなりいろいろなハードルがある。
18歳の段階で文科省に見切りを付ける高校生がいるとしたら相当な切れ者だろう。
周りから助言をもらうにしても、身近に事情に詳しい大学関係者がいる必要がある。
実際には、私の知る限り、優秀なのに日本の教育システムに馴染めなかったとか、
元々家族で海外に住んでいて米国の大学へ、というケースが多い。
日本では、この進路選択がいわゆる高学歴層の間で
まだ一般的になっていない点も見逃せない。多くの親は、子供が優秀だと医者や弁護士にしたがるものだ(*1)。
子供が技術者や研究者を目指すのにポジティブだとしても、
有名な日本の国立大に進んで欲しいと思っているのではなかろうか。
しかし、キャリア上での成功への近道は他人との競争ではなく差別化だ。この進路は、今後、理工系を目指す人には有力な選択肢になりうる。
(*1) この場合、日本国内を選択した方が得だろう。
参考:
虎の尾を踏む覚悟
Aの選択肢には、金銭的な制約条件も少なくない。かなり裕福な家庭でなければ子供にこの選択肢を与える余裕はないだろう。
米国では近年、私立のみならず有名州立大でも学費は暴騰しており、
奨学金が受けられない場合、授業料で年間3万ドル前後、
生活費を含めると5万ドル前後の費用が必要だ。
例えば、私立のMITでは
学費が年37,782ドル、生活費を含めると
モデルケースで52,000ドル程度は必要である。
しかし、私が見た例から考えると、
もし十分に裕福な家庭で、子供が精神的に自立しており、
明確な目的意識があって、十分な知力と学力が備わっているならば、
学部4年間に20万ドル以上を投資する価値は十分にあると思う。もちろん、どれか欠けた要素があるなら無理してAを選択すべきではない。
B. 学部(日本) → 博士(米国)→ [PD(米国) →] 常勤ポスト(米国)
人数的に比較的多いのがこのパターンだ。発展途上国、例えば、
インドなどからアメリカにくるケースの多くはこれだ。
日本から博士課程への留学は、主に分野に依存して二つの動機ある。
(1) 米国の大学の研究レベルが日本より圧倒的に高い
(2) 日本に留まった場合のキャリア上の選択肢が狭い(1)は社会科学などで一般的であり、(2)は理論物理や生命系などが該当するだろう。
(1)の留学にメリットがあることは明らかだが、
米国では最終学歴が極めて重要なシグナリングとなるので
(2)だけを理由とした留学も十分に価値がある。
しかし日本では、この考え方はまだほとんど浸透していないと思う。
私は、この動機による留学がもっと増えて欲しいと願っている。一つの理由は、アメリカではマイノリティーを優遇される一方で、
極端に小さなグループは十分なメリットを受けられないことがある点だ。
例えば米国内に、T京大学から過去に3人の留学生を受け入れている大学院Xと、
日本人を一人も受け入れたことがない大学院Yがあったとしよう。
Xに留学した3人の成績は取りあえず、平均して標準以上だったとする。
この時、仮にXがYよりもcompetitiveな大学院であっても、
T京大学からの新たな出願者にとって入りやすいのは恐らくXの方だ。
しかし現状では、日本人出願者にとってXのような大学院が少ない。
在学中や就職活動の情報収集にあたっても、
同じ国の出身者のネットワークを全く活用できないことはマイナスだ。
もう一つの理由は、
日本が高等教育に割けるリソースがどのみち限られているなら
せめて日本人が海外で居場所を見つけた方が、
結局は日本のためにも良いのではないかと思うからだ。
世界がボーダーレス化する中では、
文化圏を人間ベースで考えることは必要であると思う。
Bは経済的には、Aに比べて大きなアドバンテージがある。博士課程の学生も、
必ずしも全員が金銭的に安泰ではないということは、
特に米国の大学の財政が悪化している最近では留意すべきだが、
ほとんどの学生が直接的な費用を負担せずに留学している
ということもまた事実である。
年齢が上がってしまうことや、コミュニケーションのための英語を
使う機会が制約されることはデメリットであるが、
留学までに時間的な余裕があるので準備には時間をかけられるし、
大人になっていることによる精神的な余裕というメリットもある。
C. 学部(日本) → 博士(日本)→ [PD(米国) →] 常勤ポスト(米国)
このパターンは、データを元に見ると応募者ベースでも採用ベースでも非常に少ない。
海外からの出願という括りで見ても、カナダやイギリスからの応募が若干ある他は
あまりいないのが現状だ。
出願者の地理的な嗜好などに依存する面もあるが、
恐らく学歴による差別、語学の壁、人脈の壁などが主な原因であろう。
しかし、「米国外PhD → 米国の大学へ就職」を数少ないサンプルを
元に考察するといくつかの共通点があるように思われる。それは、
(1) PhDを取得した大学院の研究レベルが米国の一流大に匹敵する
(2a) 海外でPDやVisiting ポジションを経験している(*2)という点だ。
(*2) (2a)の代わりに、(2b) 既に母国で研究実績が豊富、
というパターンもあるがこれは冒頭で述べた通り省略する。
つまり、日本の理工系の多くの分野の研究者にとっては
アメリカで一旦、PDやVisiting のポジションを取って1~2年研究し
その後にアメリカへの就職を考えるというキャリアパスは
それほど非現実的ではないと思われる。
ただし、研究者に発給されるJビザには色々な制限が
あるので引っかからないように注意されたい。
まとめ
日本の若い人やその親世代に情報が十分に広まり、
国境など大した壁ではないという意識が行き渡れば
A、B、Cのいずれの渡米人口も大幅に増加すると私は考えている。また、上ではアメリカの大学について書いたが、
シンガポールや香港をはじめとしたアジアの大学への海外流出の
メリットは更に大きく、壁は低いというケースも多いだろう。
日本の高等教育が停滞する中で、
いろいろな選択肢を考える機会は広がっている。当ブログ内の関連記事:
海外で勉強して働こう(アカデミック版)海外流出ってえらいの?
テーマ : 自然科学
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