日本が英語力向上に関して取り組むべきこと -- このエントリーを含むはてなブックマーク

ここ1~2年の日本のマスコミが急に
「若者の内向き志向」だとか「若者はもっと海外に目を向けるべき」
みたいなことを盛んに言い始めて、
アメリカにいても面食らうほどだ。

たしかに「縮小する日本」ではビジネスチャンスは小さくなるし
研究リソースも少なくなるから、より多くの人や企業が
海外に出て行かないどいけないというのはある程度正しい。

一方で、
大多数の日本人にとって英語の習得が必要なのかは正直疑問だし、
実現可能であるかどうかも相当疑わしい。
個別の論点については過去に何度か論じてきたが(*1)
どうやら英語教育に関するそうした違和感は、
日本の強すぎる横並び意識から来ているのではないか、
と思うようになった。

(*1)参考:
「小学校の英語教育は必要か?」
「企業はなぜTOEICに拘るのか?」

簡単のため、英語力と専門能力をそれぞれ3レベルに分けて考えよう。
大まかな目安として、上位1%、上位10%、それ以下、
の3分類と考えて頂ければ良い。
すると国民は3×3で合計9つの層に分かれる。
どちらの能力でも上位1%に入らない人が
社会的に重要な役割を果たすとは考えられないので
どちらかの能力において上位1%に入る人の分布を考える。
日本の各年次で言えば2~3万人、労働人口で言えば
百万人前後が対象になる。

私は、英語力あるいは専門能力で上位1%に入る日本人が
例えば、中国や韓国などに負けているとは思っていない。

日本の平均的教育水準は高いし、高い所得を背景に「生の英語」
にアクセスできる機会も豊富に存在する。

しかし、問題は2つの能力の組み合わせだ。
日本人の分布を特徴を極端に言えば、下図のようになっている。
濃いグレーは比率が比較的高いグループである。
英語力-日本人

右下のセルに入る典型的な人たちは、
英語のしゃべれないプロ野球選手や研究者、大企業の経営者などであり、
左上のセルに入るのは、
英語好きの語学留学生や、海外生活の長い帰国子女などである。


一方で、米国より所得がかなり低い国の出身者の分布は
大雑把に言えば下図のようになっている。


英語力-日本人以外


そうした国の出身者にとっては
英語を身につけて米国などで活躍することは
専門知識の習得や経済的繁栄にとって必要条件であるので
優秀な人ほど高いモチベーションを持って語学を習得する。
国内に留まるのは「少し落ちる」人材であるし、
一方で「英語が好き」という理由だけで高い語学力を
身につけるだけの環境は整っていない。
例えば、普通の中国人やインド人が米国への語学留学のために
ビザをもらうことはできない。大多数の人にはお金もない。


この二つの分布を比べれば、何が違うのかは明らかだろう。
日本は専門能力と語学力を兼ね備えた人材が不足しているのだ。
そうした事実は、経営、研究、政治といった分野で
日本のプレゼンスを保つ事が難しいことを意味する。
これまでの日本は、高い技術力と経済力でそうしたマイナス面をカバーしてきたが、
こうしたアドバンテージは今後小さくなっていく可能性が高い。

そんななか、日本から出てくる英語教育関係の施策は
相変わらず下図で表されるような内容だ。


英語力-日本人が考える

政府は、小学校の英語教育のようにマスを対象とした施策を中心に考えているし、
大企業は、社員の英語力の「底上げ」を目指して管理職に
TOEICのスコアを義務づけたりしている。
こうした施策は、乱暴に言えば、
「割とどうでもいい人」を別のセルに移動させているに過ぎず予算の無駄だ。

日本が本当に考えなければいけないのは下図の矢印だろう。
矢印は細くなるので、より集中的に投資する事が出来る。

英語力-やるべき

例えば、右下段から右中段、右上段への矢印としては、
優秀な生徒を集める難関国立中学
に入学した生徒を全員1年間国費で留学させてみる。
3000人いるとしても、年100億円位あれば可能だろう。
全員が、将来高い専門能力をつけて活躍するわけではないが、
その比率を考えれば十分にペイする投資になると思われる。

上段左から中央、右への矢印としては、
やはり日本の大学なり企業なりが、
語学のできる人材に投資して専門能力を引き上げる努力をもう少しするべきだろう。
既に人材獲得に窮して帰国生をたくさん受けいている大学はともかく、
伝統的な日本企業はこれまで多様な学生を取ろうとする意識が低かった。
ただし、これまで人を見てきた経験からすると
この右向きの矢印は上向きの矢印よりも難しいように思える。
しかしもしそうだとすれば、今の政府がやっていることは尚更
「行き場のない人を増やしている」ということに気付く。

教育の機会平等はもちろん大事だが、
戦略的に人材に投資することは
最終的に一国の平均的な豊かさを引き上げる上で重要なことだ。


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テーマ : 英語
ジャンル : 学校・教育

デトロイトの不動産投資は儲かるのか? -- このエントリーを含むはてなブックマーク

先日、日本人の方が主催したデトロイトの投資不動産見学会に参加してきた。
参加費無料で勧誘されるわけでもなく、弁護士にいろいろ質問できたし、
色々なタイプのお金持ちそうな人と話ができて
それなりに楽しいイベントだった。

大雑把に言うとデトロイトの不動産投資とは、
5千ドルから5万ドルくらいの一軒家を買って適当に修理し
低(~中)所得者層に月500~1000ドルくらいで
貸すというパターンが多い。

上手くやれば年間のキャッシュフローが
投資の2割くらいになると見込んで、
地元に限らず世界各国から投資家が入ってきている。

低所得者層向けの物件に投資するという方向性は悪くない。
そもそも、家を買う経済力がある人が借りる物件の
利回りが高いわけがないからだ。
それでは、デトロイトの不動産投資が果たしてたして儲かるのかというと、
「現地に住んでいてそれなりの手間を惜しまないことが成功するための必要条件」
というのが私の結論だ。

理由1:物件の見極めが重要

日本なら購入価格が2000万円で賃料が月10万なら
名目利回りは6%…、という計算もある程度成り立つが、
デトロイトではそうした計算にはほとんど意味がない。
買った物件を住める状態にするのにいくらかかるかが一番重要だからだ。
例えば1万ドルで買ってそのまま住める家なら、
月500ドルの賃料で利回りは60%だが、
修理に2万ドルかかれば利回りは20%だ。
住める状態に持っていくことが不可能な家も多々ある。

大雑把に言って全体の約半分を占めると思われる地元の投資家が
現物を見て状態の良い物件から買っていくとすれば、
遠隔地から状態の良い物件が買えるとは思えない。
なお売り手が撮った物件の写真は入手できるが全く当てにならない。
画像ソフトで修正することもできるし、
前回売買された10年前の写真が出る可能性もある。
注意深く写真を見ると、売り手と異なるエージェントの
看板が写真に写っていることもある。


理由2:修理の監督者が必要

正直者の多い日本なら不動産業者に修理を斡旋してもらって修理…、
という方法もそこそこ上手く回るかもしれないが
米国の修理業者は出来上がりをチェックする人が
いなければ真面目にやらない。
例えば、政府系のファニーメイの差し押さえ物件は
修理をしてから売却することが結構多いが、
立ち会ってチェックしないため、
フローリングの床が歪んでいたり、
ペンキが思いっきりはみ出て風呂桶や
キャビネットについたりしている。

また、投資家が自分で修理業者を斡旋できない場合、
管理会社に修理を頼む事になるが
修理業者が管理会社にバックリベートを渡して
不当に高額な修理を行うこともあるようだ。


理由3:不動産売買手数料が高い

不動産の売買手数料は通常、
物件価格の6%程度(双方のエージェントが3%ずつシェア)だが、
デトロイトの不動産は価格が低すぎるため
定額制の手数料を課すことが多いようだ。
手数料は2000ドル程度と特段高くはないようだが、
それでも物件価格に比べれば結構高い。
アメリカの不動産エージェントの免許は数十時間の
オンライン講習と簡単なテストだけで取れる。
実際、不動産エージェントは全米に約百万人いるそうだ。
本格的に投資するならできれば自分でやりたい。

もちろん、現地に良い管理会社を探せばある程度は
そうした点を補うことができるだろうが、
大規模な顧客になって信頼関係を築かなければ
管理会社のインセンティブのコントロールが難しい。
そういった意味で、
集団で投資という今回の主催者の目論見は理解できるのだが、
やはり上級者向けの投資という印象を受けた。


P1070163.jpg

(格安物件の荒れた地下室。配管のやり直しが必要。)

2階 (2)

(同じ物件の2階寝室。壁が変だが低所得者向けなら問題無しか。)


テーマ : 不動産投資
ジャンル : 株式・投資・マネー

ロスト・ジェネレーションが失ったもの -- このエントリーを含むはてなブックマーク

Chikirinさんが「この国で恵まれてるとロクなことにならない」にて、
またwasting time?さんが「バブル世代はそんなにうらやましいんだろうか?」にて
相次いで日本の労働問題についてタイトル通りのエントリーをした。
いずれも今を生きなければならない個人が持つべき視点としては賛同できるが
社会で起こっている平均的事実としては賛同できない
と思い、この記事を書くことにした。

僕が労働問題に関心を持っているのは理由の一つは、
日本社会がロスト・ジェネレーションを作ったことに対する怒りである。

アメリカに留学した2004年まで毎年、
僕は年末に地元の小学校の同窓生に声をかけて
元旦に飲み会をやっていた。
元旦に飲み会とは大胆、と思われるかもしれないが、
普段忙しい人や遠隔地にいる人も帰省するので
結構人が集まりやすいのである。

一番仲の良いグループは自分を含めて6人いた。
公立小学校の同窓生とはいえ、
仲の良い友人はそれなりに知的な人たちだった。
小学生の時には既に公文で高校数学をやっていて
本を読むのも異常に速かったT君、
同じく本を読むのが好きで異常に歴史に詳しい一方
大学でも体育会にも入っていたH君、
教育熱心な家庭で育ったK君などだ。

しかし、私が修士課程にいたとき、
学校を出て正社員として働いていたのは
昔から目立たないがしっかり者だったS君1人だけだった。
彼は地元の商業設備関係の企業に就職したのだが、
飲み会に来るといつも職場の愚痴を言って、
周りの人を少し困らせていた。

H君は何とか有名企業の子会社に就職したが
ブラック企業だったようで1年ほどで退職してしまった。
極度の寝不足で高速を運転しなければならない職場環境だったため、
居眠り運転で死にそうになり退職を決意したそうだ。
実際彼が働いていた頃、電話で話すと会話の途中で寝てしまった。
退職後は燃えつきて実家に戻ってフリーターをやっていた。

T君は「そこまで頑張って働く気がしない」と言って某有名大学を2回留年した後、
大学に籍を置きつつ実家に住んでフリーターのような生活をしていた。

K君は、美術系の専門学校に通ったがデッサンの単位がどうしても通らず
中退して、同じく実家で住みながらフリーターをしていた。

僕と、昔うんち好きの変態として知られたN君は、
修士課程に在学していた。

「僕らはこれまでの世代とはなんか違う」
という事にはもうその時に気づいていたし、
一部の学者は
「多くの若者が定職に就かない事で
将来的に人的資本の毀損が深刻になる」
といった内容の事を経済誌などで書いていた。
しかし多くの日本企業はそういった問題をほぼ完全放置したし、
政府も申し訳程度の対策しか行わなかった。


10年以上経った6人の状況は想定の範囲内だ。
H君はバイト先の本屋に就職し最近結婚したようだ、
T君もおそらく大学を卒業か中退してバイト先の企業に就職したようだ。
K君は5年前まではフリーターだった事が分かっているが、
その後は不明だ。
S君は結婚して地元にマンションを買った。
N君はメーカーの研究開発の仕事をしている。
子供も二人いるし最近家も買った。
僕は、留学してその後大学で働いている。

日本社会の変化の影響をあまり受けなかったのは、
S君、N君と僕の3人だけだろう。
H君は痛々しいほどに就職氷河期の被害者だ。
T君とK君は計画性が足りなかったかも知れないが、
「もしも就職環境がもっと良かったら」
「新卒じゃなくてもいい仕事に就ける社会だったら」
と思うと、やはり全て個人的問題として片付けるのは適切でないように思える。

ロスト・ジェネレーションの問題は、
社会だけでなく本人の問題を多く含んでいるし、
上手いこと影響を受けずに済んだ人も多い。
だから、自己責任として片付ける論陣を張る事は簡単だが、
僕には「自分の世代が平均的に他の世代と同じように幸せ」
だとはどうしても思えないのだ。

昨年、4年ぶりに帰国した私は、
N君と二人で何とか6人集めてみようと試みたが、
他の4人の両親を経由して伝言をお願いしたものの
結局もう連絡はつかなかった。
私が会った地元の友人はN君だけだ。

高校、大学、働いていた時の友人にもたくさん会ったが、
世間で言うところの勝ち組ばかりで、
間違ってもロスト・ジェネレーションなんて問題が話題にのぼることはない。
みな忙しいが、それなりに幸せそうな生活を送っている。
実のところ僕自身、「自分で考えて生きることができる時代」
に生まれた事を幸運だと思っている。
「週休1日で日曜日は会社の運動会に強制参加だった時代」
に働かなければならなかったとしたら、
本当にストレスだったと思う。
そう思っている同世代の人はそれなりにいるという実感もある。

それでも――繰り返しになるが――ロスト・ジェネレーションが平均的に、
他の時代に生まれた人と同じ様に幸せだとはどうしても思えない。
グローバル化や人口構造の歪みに伴う社会の構造変化など
理由は複雑で特定の主体を責めることはできないが、
問題を認識しながらほとんど対策を打たなかった日本社会に対して
僕はどうしても憤ってしまうのだ。


テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

マイノリティ優遇は空気の読み方が肝 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

九州大の数学科が後期日程の定員9人のうち5人の「女性枠」を作る
と発表した後で、「公平ではない」などと批判を受けて、
中止に追い込まれた。
(報道記事はこちら

数学のように日本では極端に男子の多い分野で、
ある程度女子を優遇するというのは間違った方向ではない。

極端に女性が少ないと、それを理由に躊躇する女性もいるだろう。
また男子学生にとっても、ある程度男女比が妥当な水準に落ち着いた方が
学生間のコミュニケーションも活発になり、
勉強や研究をする上でも良い影響を受ける可能性が高い。
卒業後の進路に関しても、大学ではアファーマティブ・アクションに
よって女性研究者に対する需要が相対的に高いので、
女性を増やすのは合理的な選択だ。

それでは、なぜ取りやめなければならないほど
強い批判を浴びてしまったのだろうか?
それは、やはりアプローチが稚拙であったということだ。
マイノリティ優遇のようなセンシティブな問題では、
大義名分を振りかざした上で詳細は非公表
という空気の読み方が肝ということだろう。


例えば、米国には黒人差別の歴史があるし
黒人は大学入試で優遇されているが、だからといって
「プリンストン大学では来年度から白人600名、
アジア系、黒人、その他の3人種を100名ずつとります」
というようなことにはならないし、それは職員の採用でも同様だ。
あるいは、レガシー枠、つまりコネ入学だってあるわけだが
「コネ入学枠は100人です。」
というようなことにもならない。

以前、独立記念日に米国人のパーティーに呼ばれた事があるのだが、
親類以外に招待されたのは3家族で、
きれいに黒人、ヒスパニック、アジア人が一家族ずつ呼ばれていた。
ああそういうことか、と思ったが、招待してくれた友人は
差し障りないような状況でも絶対に人種の話を出さないのだ。
例えば、後日その友人とパーティに来ていた人の話をした際に、
私がパーティー参加者名前と顔を一致させることができなくても、
その友人はなんとか人種を使わずに説明しようとするのだ。
「ヒスパニックの家族の奥さんよ」と言えば
一瞬で分かるのにもかかわらずだ。

米国では何かの選考にあたっては、
「人種、宗教、性別などいかなる出自に関する差別も行いません。
また、多様性を重視しマイノリティーを優遇します。」

という大義名分だけ表に出して、
詳細な基準は内内に決めてしまう。
出自に関する差別をしなかったら、
マイノリティーを優遇することは不可能なわけで
この2文は真っ向から矛盾しているのだが
具体的にどうするのかははっきりしないので
文句を言われることも少ない。

九州大の入試にしても、
「後期試験では、多様な人材を確保するため、
試験の得点を含めて人物を総合的に評価します。」

とでもしておけば良かったのではないか。
高々9人の合格者を決めるのに、
「得点順で合否を決定。ただし女性を5人以上」
というような機械的なアルゴリズムが必要だとはとても思えない。

しかし、もし世論がそうした不透明性さえ許さないとすれば、
日本はアカウンタビリティに対するコストが高すぎる社会
になってしまったということだろう。


テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

確率と統計、数学と科学 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

WS大では4月の終わりに高校生を対象にした講演会があって、
S教授、K教授、それに私の3人が30~40分ずつ
統計のコースを履修している11年生、12年生(高校2、3年生)の前で話をした。

私は自分が高校生の頃を思い出して
「統計学に興味を持った理由」を話して学生の興味を惹きつつ、
「統計学でウソをつく法」という有名な本からタイトルをもらって
最近の雑誌記事を元に統計でどういうトリックが使われているか、
という話をした。

それに対してK教授はもう少しアカデミックに、
確率論と統計学の違いについて説明した。彼の答えは
「統計学はギャンブラーのためのもので、
確率論はカジノの設計者のためのものだ」

という簡潔なものであった。
これはなかなか上手い説明だと思う。
すなわち、統計学とは、真実が分からない中で
利用可能な情報からどうそれを解明するかを研究する学問で、
確率論とは所与の数学構造の系として性質を導く学問である。
この二つの分野は、数学的手法という意味ではほぼ同じものを
使っているが目的意識にはかなり大きな隔たりがあるように思う。

私は、確率論の難しい理論はあまり知らないけれども、
例えば確率論の人の数理ファイナンスに関するプレゼンを聞くと、
「それはお前の脳内の話だろw」
と思ってしまうことも少なくない。
一方で、確率論の人がファイナンス統計の発表を聞く時には、
「お前は、研究者なのか証券マンなのかどっちなんだw」
と思っているに違いない。

私は「数学は科学ではない」と考えているが、
統計学を科学と呼んで良いかどうかにはちょっと自信がなかった。
しかし、科学(science)の定義を、

Science is an enterprise that builds and organizes knowledge in
the form of testable explanations and predictions about the world.
科学とは一種の試みであり、知識を積み上げたり体系化したりして、
世界に関する検証可能な説明や予測の形をとるもの。(Wikipedia)

とするならば、数学と科学の境界の一部は、
どうやら確率論と統計学の間あたりにあるのだろう。


そう考えると、確率論と統計学はとても近いようで、
その溝はとても深いもののようにも思える。


テーマ : 数学
ジャンル : 学問・文化・芸術

GRE Subject Test 対策 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

数学科の博士課程の入学選考に関して、GRE Math Subject Test の
結果が重要であるとのコメントを頂いたので、それに関して少し書きたい。

GRE Subject Test とは、
いわゆる基礎学力試験としての GRE general test
(Verbal, Quantitative, Analytical Writing の3科目)
とは別に、各専門分野の基礎知識を測るための試験である。
以下の7つの試験が存在しているようだ。

-- Biochemistry, Cell and Molecular Biology
-- Biology; Chemistry;
-- Computer Science;
-- Literature in English;
-- Mathematics;
-- Physics; an
-- Psychology

学科によって、特定のsubject test を必須としている場合もあるし、
何も必要ない場合もある。

数学科では、mathematics の subject test が必須であることが多く、
統計学科では特に必要ないことが多い
(ただし統計学科でも math subject test が必須の大学もある)。
試験は、日本の数学科の学部2年生修了程度の基礎知識が必要だ。
具体的には、微積、線形代数、複素関数論、位相程度の知識が
あれば十分であったと思う。

問題は直感的なものが多く多岐選択式である一方、
170分で66問の問題を解かなくてはならずかなりタイトだ。
日本の博士レベルの学生が受けても時間内に全問解ける人は
少ないと思われる。私は56問しか正解できなかったが、
それでも受験者の上位4%くらいであった。
処理能力の速さを見る試験という意味で
昔の国家公務員試験・数学職の1次試験に似ている。



私が対策に使ったのは、上の問題集だ。
基本的に計算問題を解くだけなので定理の証明などはほとんど載っていないが
効率的に試験対策をすることができる。
もっとも、もし全問正解を目指すのであれば、
この本だけでは練習量が足りないので
類題を別の本で探してきて、たくさん解く必要がある。

私は平日は仕事で時間がなかったので、
出願する年(入学の前年)の秋頃の土日を使い1ヶ月ほど掛けて
ファミレスで勉強したのを思い出す。
数学の問題を解いたのは5年ぶりくらいだったので
懐かしい感じがしたのを覚えている。

GRE Subject の試験は私の理解が正しければ今でもPaper-basedであり、
日本の会場は東京、福岡、沖縄の3箇所しかない。
また年に2~3回(10月、11月、4月)しか開催されない。
従って、ETSのサイトで事前によく確認する必要がある。
私が受験した時は確か、札幌、神戸、福岡、沖縄の4箇所
しかなかったので有休を取って旅行気分で
東京から神戸まで行って楽しかった。

米国の大学院には入試がない。
推薦状やエッセイ、学校の成績を除くと、
入学前に具体的に数学力を試される機会はこの試験だけだ。
模擬試験問題もついているので、
米国大学院に興味がある人は遊び半分でやってみると面白いだろう。


テーマ : アメリカ留学
ジャンル : 海外情報

すごい人の人生は何が違うか? -- このエントリーを含むはてなブックマーク

2年前にWS大に来て初めての学期に学部向けの統計入門コースを教えたのだが、
この時、光っていた学生の一人にビクター君という学生がいた。

彼は顔の右半分が大きく変形して硬直しており、
目も一つしかないし歯も半分以下しかない。
だから、話す時もどもってしまってゆっくりしか話せない。

しかし、とても人懐っこい子で、授業が終わった後にいつも質問に来るし、
最後まで残って色々話しかけて来る子だった。
「僕はナイジェリアで生まれんだけど中学生の時にアメリカに来たんだ」
「将来は医師になりたいから、このクラスでもAを取らなきゃいけない」
「学費で借金がたくさんできて大変だ」
「車をぶつけてしまって、今週からバスで通うことになった」
と毎回のようにいろいろ私に話をして帰った。

彼は学期の前半にあった中間試験で平均以下の点を取ってしまい、
理解度もあまり高くないようだったので、成績の話は話半分に聞いていた。
数学力にはそれまでの勉強量やセンスの違いによる個人差が大きいので、
苦手な子が途中から頑張っていきなりAというのは結構難しい。

しかし、彼は相当必死に勉強したらしく、
毎週の小テストの答案の数学表現がみるみる洗練されていく。
二回目の中間試験後でみんなの気が緩んだ時期に、
彼はついに単独の満点を取った。
期末試験でも頑張って、彼は結局Aを取って学期を終えた。

先月、大学のホームページのトップに彼の写真が載っているのをふと見つけた。
彼は今年卒業だが、卒業式でカレッジを代表してスピーチするという。

彼は子供の時に、neurofibromatosis という
顔の腫瘍が際限なく肥大する病気にかかり、クラスメイトから相当な差別を受けた。
東ナイジェリアにある病院に行ったが、
医師たちに「打つ手なし」と言われた彼は
「何でもいいからして下さい」泣きながらと頼んだそうだ。

彼が15歳の時、彼の姿が宣教師の目にとまり、
ミシガンにあるボランティアの医師によって手術を受けられることになった。
彼は一人でナイジェリアを離れて、デトロイト郊外のオークパークのシスター
の家に滞在し、度重なる手術を受けつつ、アメリカの高校で学んだ。

彼は、幸運なことにシスターの知り合いの援助を受けてWS大に通える事になった。
化学科に進んだ彼は、自分の担当外の仕事でも問題が起こりそうになると
進んで解決に当たることから、指導教授から最高級の評価を受け
医学部入学に向けて準備中という。

彼が凄いのは、腫瘍を神からの贈り物だと考えていることだ。
彼の人生は腫瘍のせいで大変な苦難を伴うものになったが、
一方でアメリカに渡って夢をかなえるきっかけと原動力にもなった。
腫瘍がなければ――彼がそれなりに優秀な子供だったとしても――
ナイジェリアで平凡な一生を終えただろう。
彼は、自分の腫瘍に感謝している。

人は普段、二つのファクターがある時、起こりうる結果をその和と考える。
最貧国の小さな村に生まれたことと、重い障碍を持って生まれたこと。
その二つの和は日の目を見ない人生を想像して人を絶望させる。
しかし、すごい人間は二つの特殊な組み合わせを
自分のチャンスに変えてしまう。

線形回帰分析という統計モデルでは、
こうした現象をinteractionとしてモデル化する。
こうしたinteractionは無視できる場合が多いが、
常に注意を払わないと重要なことを見逃してしまうこともある。

正しい判断を行うには通常、物事を単純化する必要がある。
しかし逆境に陥ったときには、
interactionに活路を見出すという可能性も忘れずにおきたい。


ビクター君についての詳しい記事はこちら


テーマ : アメリカ生活
ジャンル : 海外情報

数学者とグローバル化 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

数学者、特に純粋数学をやっている人は
エンジニアリングやビジネスとの接点がほとんどないし、ある意味
社会のダイナミックな変化から一番遠いところにいる
と言える。彼らの給料は、
伝統的に高等教育と国の文化予算から出ており
社会のダイナミズムからはおおよそ切り離されている。

しかし面白いのは、それにも関わらず
数学者はグローバル化の影響をもっとも早く大きく
受けたのではないかという事だ。


ソビエト連邦が崩壊して真っ先に起こったことは、
旧共産圏から大量の数学者が流出したことだった。
もちろん、他のサイエンスでもエンジニアリングでも
同様の人材流出は相当程度あったと思うが、
数学分野はインパクトの大きさと速さに関して
最大の影響を受けた一つではないかと思う。
アメリカの数学者の雇用環境が外国人に奪われて
悪化したのはもう20年近くも前の事だ。
これは、製造業の仕事を中国に奪われたり、
サービス業の仕事をインドに奪われ始めるよりも
ずっと昔の事である。
これにはいくつかの理由があるだろう。

一つは、言葉の壁が小さい事だ。
数学はそれ自体一種の言語であることから、
それを学ぶ人、研究する人の母国語を選ばない。
数学者はためらいもなく、他の国で仕事を探す事ができる。

もう一つの理由は、大規模な設備やチームが
(今のところ)あまり必要ないことだ。
エンジニアリングのように、多くの人と設備による
有機的なつながりによって初めて成り立つような
分野では、海外に移るのにコストは大きい。
身一つでどこにでも移動する事ができる理論分野では
人の動きが早い。

それに加えて、大学の研究者は元々人材の流動性が高い。
トヨタの部長がフォードに転職するよりも、
東大の教授がハーバード大に転職するほうが
壁は相当低いだろう。

日本でも頭脳流出が話題になることはたまにあるが、
幸か不幸か今のところ大きな流れにはなっていない。
しかし、日本の数学者が大量に海外に渡りはじめたら
それは日本と他国との間の人の流れが変わる大きな
シグナルになるだろう。


(そんなことは、すぐには起こらないと思うけれど。)


テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

リフォームは3箇所から見積もりを取ること -- このエントリーを含むはてなブックマーク

春なので、アメリカ人の慣習に倣って
パティオ(テラス)のリフォームをすることにした。

先日、隣人と話した時に
「A(前オーナー)は、ひどいものを残していったな!(A left a total mess!)」
と言われてつい意気投合してしまったくらい買う前から荒れていたので、
全部やり直すのは想定内のことではあった。
いざやろうと思うといろいろやりたくなるのが人情というものだ。
440sqft (約40平米)程度の広さだが、全面レンガ敷きにし、
1フィートほどの高さの、曲線で縁取った花壇を両脇に配置しよう
ということになった。

fix-up(※)をしている人の
「リモデルやアップデートは見積もりを3件とってから選べ」
というアドバイスを読んだことがあるので、
大きな案件の場合は3件見積もりを取ることにしている。
相場を知らなければ値切っても足元を見られる。
また経験則として小規模業者に頼んだ場合、
大手の7割前後の価格
になることが多い。
工賃のみのベースでは半額程度だろう。

(※)状態の悪い家を買い、住みながら直して高く売る人。

業者F:
以前にバスルームのリモデルを頼んだ業者Mに連絡。
コンドミニアムの組合が推薦する業者なので安心感がある。
ぼろいコンドには不満だらけだが、
こうした業者を紹介してもらえるのは大きなメリットだ。
大規模なコミュニティーだから「組合の推薦です」
と言えば業者も下手なことはできない。

しかし、業者Mはバスルームやキッチン等が専門なので
紹介された業者Fと3者で話し合いに。
Fは個人的には良さそうな奴だが業者としては曲者だ。
6日も経って出てきた見積書に、
総額($3900)とレンガの面積(200sqft)しか書いてない。
大体、二桁目が8か9になっている値段は疑ってかかった方がいい。
内訳を出すよう頼んだが断られた。工期は5~6日という。
面積が狭すぎると思うが、と何度か問いただしたら、
「正確には 225sqft」、「測り直したけど225-250 sqft」と段々増えていく。
値段は面積に比例して上がるので安心して頼めない。

業者T:
再び、コンド組合のおばちゃんに相談に行き、
建築家が本業で、庭をサイドビジネスでやっているというT氏
を紹介してもらう。同じコンドのパティオを何件も直している。
妻が無理にその場でおおよその見積りを頼んだところ、
「大雑把に3000ドル前後かなあ。工期は7日くらい。」
とのこと。業者Fよりちゃんと測量していったしちょっと安そうだ。

業者E:
地元の大手ガーデニング業者Eに来てもらう。
見積もりに来た人は、ミシガン州立大の
ランドスケープ・デザイン専攻を卒業したらしい。
流石にガーデニング業者だけあって植物にもちょっと詳しい。その場で
「概算で総額2000~3000ドル。工期は2日半。」とのこと。
しかし300ドルはデザイン料として見積書が出る前に払えという。
とりあえず業者2の見積もりが出るまで保留。
妻は結構乗り気だが、一方で、
前金なんて払ったらホールドアップ問題が発生するのでは?
という不安が頭をかすめる。
測量もせずに帰っていった担当者にも不信感を持つ。

1週間後、業者Tから見積もりが来た。
建築家らしく設計図もついているし、
材料費、運搬費、工賃も項目別に説明してある。
レンガの面積も350sqftと妥当な感じに思える。
ただし工事開始は6月中旬とだいぶ遅い。
値段は3559ドル。この段階で、
高い上に内訳も出せず計測もできない業者Fは対象外に。

再度、ホールドアップ問題が気になる業者Eに連絡して詳細を問い正す。
概算がどの程度正確か聞かなければいけない。
同じ値段ならあなたのところが一番良さそうだと褒めつつ、
"how confident are you about your estimate?"
とNoと言えない表現にして質問する。
人は論理よりも言葉の雰囲気に弱いものだ。
すると驚くべき返事が。
「もう一度、注意深く見積もりをしたところ
安全サイドに見積もれば総費用は5000-6000ドル、
うち前金でデザイン料は500ドル。
主な理由はパティオへのアクセスが不便なこと。」
とのこと。突っ込みどころ満載ではあるが、
大きな案件で繁盛してそうな大手業者なので
「細かいこと言う小さな顧客はいらない」
ということを遠まわしに表現したのかも知れない。

結局、業者Tに決定し連絡。
(中国人ならここから300ドル値切るだろう。)
工期の問題は、業者Tの別の顧客に少額のインセンティブを払うことで
順番を入れ替え、前倒しできないか交渉中だ。

交渉は時間がかかったが、決まった以上は完了が待ち遠しい。


テーマ : アメリカ生活
ジャンル : 海外情報

数学は教えてもらえません。 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

私はmixiのアカウントを持っているのだが、
某美人人妻(※)のマイミクに加えてもらっていて
そこに面白い日記があったので勝手に紹介したい:

勉強のできる度合いは3つに分けられて
1 人に教えられても理解できない。
2 人に教えられて理解できる。
3 自分の力で本を読んで理解できる。

2の人は学問的に成就できない場合が多い、、、と思う。
わたしはもちろん2なんだけど、2の人の割合はすんごい多い
私は何を隠そう、大学の数学の授業はもちろんちんぷんかんぷんだったけど、
分子生物学でさえあんまり理解できなかった。。
生物なんてほんとに理解しやすい分野なのに。。。
これは都市部で育った塾に頼った勉強をしてる人間に多いんじゃないかと思う。。


え?まじ?そうなの?とちょっと戸惑ったのは、
私にとってはほとんど1と3のパターンしかあり得ないからだ。
自分で本を読んでも分からないことを、
一瞬の空気の震えだけで理解できるはずもない。

実際、数学の授業なんてほとんどまともに聞いたことがない。
非常に真面目に取り組んだ授業でさえ、
板書を丹念に追い、論理な誤りや疑問点を正した上で
ノートを取って後から自分でゆっくり理解するというのが常であった。

これは、別に私が特殊だからではない。
昨年秋に WS大数学科の学科長を長年務めた Lawrence Brenton 教授から
数学科の教員に送られたメールの一部を紹介しよう。

In my humble opinion, the “boring lecture” format is the worst
possible way to teach and to learn mathematics.


(訳)これは単なる私の意見だが「退屈な講義」形式は
数学を教えたり習ったりする上で最悪の方法だ。


Brenton教授は、退屈な講義がいけないと言っているのではない。
講義は退屈だと言っているのだ。

Speaking only for myself, when I was an undergraduate student I rarely attended any
of my lecture classes, finding it a more profitable use of my time to stay home and
read the book. Now that I am a real mathematician, I sheepishly confess that when I
attend meetings, even on topics that I am intensely interested in, I do not usually
get much out of the scheduled talks, in comparison with informal discussions around
the coffee machine.


(訳)個人的な体験から言えば、私が学部生の時、殆どレクチャーに出たことなんてなかったし、
家にいて本を読むのが一番良い時間の使い方だった。数学者になってからも、白状すると、
興味のある学界に参加した時でさえ、発表を聞いても得るものは大してなく、
それに比べれば非公式の談義をコーヒーマシンの近くでする方が余程役に立つ。


数学者ですら、いや、数学者ほど、数学の講義を聞くことに大した意味があると思っていないのだ。

講義をするのは仕事でもあるしそれなりに楽しいものだが、
教えている本人ですら、その授業を聞いたら理解できるとは思っていない。
むしろ、その場で聞いて理解する学生がいると驚いてしまうし、
それは学生にとって講義が易し過ぎるのではないかと感じることもある。
もちろん、講義ノートはきちんと作るし、
それは理解するまで何度も読み直す価値があるように工夫する。
しかし、授業でしゃべっていることというのは、おおよそ
バック・グラウンド・ミュージック程度の価値のものだ。
ないと退屈だが、別に本筋とは関係がない。

良い本と、講義ノートと、質問できる人と、時間と、議論できる友人、
そしてそれらのための快適な場所だけが数学をやる上で本質的なものだ。

数学の授業が分からないという人は、
一度耳栓をして講義に出てみてはどうだろう。
二人で耳栓をして後から先生が何を言っていたか
議論するのも一興かもしれない。

(※) 東電"美人"OL殺人事件みたいなもの。


テーマ : 数学
ジャンル : 学問・文化・芸術

米国留学とゴールデンウィーク -- このエントリーを含むはてなブックマーク

日本は、ゴールデンウィークの真っ只中だが、
アメリカの多くの大学では学年末試験の真っ最中あるいは直前で
学生にとっては最大の修羅場
を迎えている。

日本に恋人を置いてアメリカに留学している人はきっと一度は、
ゴールデンウィークに会えるかどうかで
揉めたことがあるのではないかと思う。
むしろ揉めたことがないならば、
それは別の二つのカップルが誕生していることを
意味しているのかも知れない。

米国に留学している日本人が日本にいる恋人と会うタイミングは通常
年末年始、春休み(3月~4月頃の一週間)、夏休み(5月中旬~8月)
の3回に限られる。頑張れば、11月のサンクスギビング前後に会う
ことも可能だろう。

いずれにしても国内の遠距離恋愛より大変なことは間違いないが、
留学生には働いているよりは時間があり、
手間と飛行機代さえ惜しまなければそれなりに会うこともできる

ということは、留学する人は考慮に入れておくと良い。

インタネットの掲示板などでは、20代後半の女性からの
「彼氏を取るか留学を取るか」という楽しそうな、
しかし本人にとっては真剣な人生相談が時折見られるし、
私自身も留学する計画を決めてから彼女と別れた(※)。
別れる直前の頃、彼女は
「Willyが待ち合わせに遅れると、
もうずっと会えないかも知れない、と不安になる」
と言っていた。
事前にもっと正確な留学事情が分かっていれば、
そうした悩みはある程度和らげられるのではないかと思う。

恋愛に限らないが、
留学することは日本での生活を全部リセットすることではないので
どのくらいまで繋がりを保てるのか、どこに限界があるのか、
ということは冷静に考えることが大事だ。


※じゃあ、なんで結婚してから留学してるんだよ、
って話もあるが、留学準備期間って結構長いのだ。


テーマ : アメリカ留学
ジャンル : 海外情報

プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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