カスタマー・ハラスメント -- このエントリーを含むはてなブックマーク

日本に一時帰国して1ヶ月になるが気になることの一つは、
飲食店などにあまりにも態度の悪い顧客がいることである。

1.地元のマクドナルドにて:

ヤンキー中学生3人「(席から)ねえ、ちょっと、水3つ!」
店員「かしこまりました!」

ヤン「ちょっと!水まだなの?」
店員「はい、ただいまお持ちします!」

店員「お待たせ致しました!」
ヤン「おせーんだよ!」
店員「申し訳ございません!」


2.新宿のラーメン屋にて:

おっさん「中華風ラーメンと餃子!」
店員A「かしこまりました。」
おっさん「大盛りにして。」
店員A「はい。半ライスがサービスになりますが、お付けしますか?」
おっさん「いらねえよ!チャーシュー何枚入ってんの?」
店員B「3枚です。それと別の種類の肉も何枚か。」
おっさん「ふーん。」

(約1分後)

おっさん「このラーメン、玉子はいってんの?」
店員B「入っておりません。」
おっさん「じゃあ、追加して。」
店員B「かしこまりました。」

(約1分後)

おっさん「おい、メンマは入ってんだろうな?」
店員B「中華風は入っていないんですが…。」
おっさん「ラーメンにメンマ入ってないってどういうことだ!」
店員B「申し訳ございません。」
おっさん「俺この前、喜多方行ってきたけど、ラーメンはメンマ入ってたぞ!」
店員B「申し訳ございません。」
おっさん「メンマ入ってないラーメンとか無いだろ!」
店員B「申し訳ございません。」
おっさん「メンマ追加して!」
店員B「かしこまりました。」

(約1分後)

おっさん「おい、ワカメ入ってんの?」
店員B「ワカメは入っておりませんが。」
おっさん「おい、何にも入ってねえじゃねえか!ラーメンって、麺だけか?」
店員B「中華風は、キュウリとチャーシューと…。」
おっさん「ねぎは入ってんの?」
店員B「入ってます。」
おっさん「じゃあ、ネギ大盛りで!」
店員B「追加トッピングだと料金かかってしまいますが…。」
おっさん「たくさん頼んでるんだからサービスでつけとけよ!」
店員B「かしこまりました。」

(約1分後)

おっさん「何でも追加してたら、すげー高くなっちまうじゃねえか!
     いくらになったか計算して。」
店員B「ただいま係の者が計算しますので。」
店員A「1510円です。」
おっさん「ん…?おい!計算したら1570円じゃねえか!おまえ60円損すんぞ!」
店員B「申し訳ございません。」
おっさん「客に値段教えてもらうって、この店どうなってんだよ!」
店員B「申し訳ございません。」
店員A「数字を読み間違えました。申し訳ございません!」

(数分後)

店員A「お待たせいたしました。中華風ラーメン大盛りです。」
おっさん「うん。ウマイ。」
店員B「ありがとうございます!」


態度の悪い顧客がいるのは、必ずしも
日本人のモラルが低下したせいとも言い切れない。
実際、応対している店員も大半が日本人だからだ。

つまり、日本は商売する側が顧客の振る舞いを何でも許容する事で、
働く側には不必要にストレスやコストがかかるようになっている。
一見、負荷がかかっているのは働く側だが、結局のところ、
顧客満足度を向上させるためのコストは顧客に跳ね返ってくる事も多い。

また、そうした社会の仕組みは、働くのを嫌がったり怖がったりする若者が増える原因や、
労働者世代と引退世代が対立する火種にもなっているだろう。

確かに、アメリカのように誰もが体面を気にして苦情を言わず
サービスレベルが低下してしまっては困るが、
お金を払う側がもう少し譲歩すれば、
日本はより良い国になるのではないだろうか。


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テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

東京大学には入ったけれど・・・ああ進振 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

東京大学で教鞭をとる伊藤乾氏の「東京大学には入ったけれど・・・ああ無常」
ずいぶんと話題になっているようだ。
記事の内容を手短かに言えば、
東大の1年生はパターン化した問題はよくできるが
自分の頭で考えることができない子が多い、
そんな方法では大学や社会では通用しない、というよくある問題提起である。

氏の主張にはもっともだと思うところもあるが、私が違和感を感じたのは
氏が問題提起しているのが東大教養学部での話だという点である。

東京大学は進学振り分けという制度を採用しており、晴れて東大に入学した学生は
2年の夏学期までの成績によって希望の学科に進学できるかどうかが決定される。
全ての学生の成績は(一部の例外を除き)同一の基準で平均が計算され、
理科1類から薬学部へは何点以上、理科2類から医学部なら何点以上、
と点数の大小によって定員は埋められていく。
もちろん、各科目の成績も単一の数値で序列化されているのは言うまでもない。

この仕組みは大学入試となんら変わらない。
結局のところ必要なのは、きちんと点数になるレポートや答案を書く技術であって、
文章力や構成力のような大学受験では重視されない能力が必要という点で
質的な違いはあるにせよ、クリエイティビティを刺激するのとは
ほど遠いシステムであるように思われる。

百歩譲って、東大教養学部の進学振り分けが
クリエイティビティを育てるシステムであったとしよう。
そのクリエイティビティは100点満点で評価されている。
90点以上のクリエイティビティの学生が100人いる時に、
89点のクリエイティビティには何の意味があるのだろうか。

クリエイティビティは、本来そういう類のものではない。
他人がやっていないことを作り出す能力がクリエイティビティであり、
それは自分の経験や得意なことを組み合わせて、
他の人がまだ思いついていないことをやることである。
「ある難解な定理の証明を世界で101番目に理解した人」、
「あるデリバティブ取引を開始した7番目の金融機関」、
「太陽電池を9番目に開発した電器メーカー」
などにそれ単独では何の価値も与えられないのが世の中だ。
他の人がやったことをできるようになるのは、
「リクリエーション」でしかない。

論理的に言えば、単一指標でクリエイティビティを測ることは不可能ではない。
選考過程に曖昧さがあるにせよ、ピアレビューのある雑誌や研究計画では
レビューワーは論文のクリエイティビティに点数を付けるし、
ノーベル賞のような賞は、その大きさを比較して決められる。
しかし、全部のテストやレポートの点数の平均というような
小学生でも思いつ簡単な指標でクリエイティビティを測ったり、
学生に自ら考えるインセンティブを与えることは難しいだろう。

東大がそうした中でも現在の教養学部を維持しているのは、
- 知識を吸収させるためには取りあえず点取り競争が効率的である
- 官僚養成学校として教養を重視している
- 専門を決められない学生に1年半の猶予を与える
という側面が強い。

伊藤氏が受けたようなクレームが専門課程で聞かれることは稀だろうし、
仮に1年からいきなり専門教育を初めたとしても
同様の不満はほとんど聞かれないだろう。

結局のところ、もし氏が述べているような不満を無くしたいならば、
学生に意識改革を促すよりも、現在の教養学部の仕組みを変更すべきだろう。

基礎学力と潜在能力が最も高い東大の新入生に
引き続き、得点獲得ゲームをさせる必要はないのではないか。


テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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