子持ち学生カップルを応援しよう -- このエントリーを含むはてなブックマーク

昨年から今年にかけて、私のまわりではずいぶんと
子供が生まれた、あるいは、子供が生まれる予定であるという話を耳にした。
日本人の知り合い、米国人の知り合い、その他の国の出身者と
バックグラウンドは様々だ。

日本にずっと住んでいる方には少し意外かも知れないが、
結構多いのが、博士課程在学中の2〜3年目あたりで
子供が生まれるというケースである。
私の娘も、博士課程2年目に生まれたし、
大学院時代の知り合いにもそういう人が多い。
日本人の場合は、夫が博士課程在学中というケースが殆どだが、
他国の人を含めると、女性の方が修士課程や博士課程在学中に、
というケースも結構多い。

日本の感覚で言うと、仕事も決まっていないのにという気分にもなるが、
最終的に子供が欲しいと思うなら、
時間のある院生のうちに子供が生まれた方が触れ合える時間も多いし、
卒業する頃には子供も大きくなっているのでいろいろと融通が利く。
最終的に子供が欲しいという前提の下でよく考えれば、
進学前や在学中に結婚して、在学中の一番余裕のある時期に子供を、
というのが最適解なのだろう。
米国では、大学院生が社会人に近い存在と見なされていることも大きい。

翻って日本の状況を見ると、
学生結婚や学生のカップルが子供をもうける事に対する世間の目は
まだまだ冷たいように思う(私自身が少し保守的なのかも知れないが)。
特に女性にとっては出産に関する時間的な制約がタイトなこともあり、
このことが、女性の大学院進学を妨げる一因になっているのではないか、
と思うほどである。

こうした日米の雰囲気の違いは、
誰が何をやっていても気にしない米国社会と
同調圧力でなりたっている日本社会の差も大きいが、
もう少し具体的な違いもあるように思う。

国土の広い米国では、
大きな大学を中心に学園都市が形成されているところが多く、
様々な場所から引っ越してきた人が集まってできているそうした
都市は開放的な雰囲気になる。
そのため、どんな人でも世間体をあまり気にしなくて済む。
また、家族用の大学寮や、在学中の家族が多く住むアパートがあるため、
家族持ちの学生も社会との一体感を保ちやすい。

一方、日本の一流大学の大半は大都市に集中しているため、
少数派である子供のいる学生カップルは疎外感を感じやすく
心地よい空間が社会の中にあまりないのではないか。

大学院進学者に限らず、晩婚化が長期的な少子化傾向の原因となっている中、
日本でも、学生カップルが子供を作りやすい環境を整えることはできないのだろうか。
社会の仕組みや、人々の意識、地理的な違いを一気に変える事は難しいが、
やれることはまだまだあるように思う。

もちろん、経済的な問題は一番大きいだろう。
米国でも大半の博士課程の学生は貧しい生活を送っているが、
少なくとも学費を免除してもらった上で、
最低限の生活をするだけの賃金を受け取っているのが普通だ。
文部科学省は、他国からの留学生に奨学金を出している余裕があるのなら
まず日本人の大学院生が独立した生計を営めるようにすべきだろう。

また例えば、研究大学が集中する東京や京阪神などの地域に、
国が少しばかりの補助金を投入して、
家族持ち学生用の借り上げアパートなり寮なりを設置してはどうか。
激安でなくても、民間のアパートなど、他の住居に比べて割安で
入居希望が十分に集まる家賃水準であれば良い。
(実際、米国の大学寮の家賃は、民間対比でわずかに安い程度である。)
少数派の学生カップルも立場の近い人たちと接することが出来れば、
社会との一体感を感じることができるだろう。

大学内の託児所に関しては、近年かなり開設が進んでいるようだ。
東大本郷キャンパスでは2008年、慶応大日吉キャンパスでは2009年、
早稲田大学では2011年に、大学内の託児所が開設した。
いずれも、教職員だけでなく全ての学生が施設を利用できるようだ。
こうした動きを見ると、大学で学びながら子育てをするのが
当たり前の社会は、もうすぐそこに来ているのかも知れない。

子供をもうける学生カップルは少数なので、
こうした施策でマクロの出生率に大きな影響が出るほどの効果は
上げられないかも知れないが、
社会が結婚や子育てに関して多様な価値観を認めることは、
これから子育てをする若者に対して良いメッセージを送ることができるだろう。

政治家の方達には、育休3年間などという無茶な政策を打つ前に、
もう少し柔軟に子育てのあり方を考えて欲しいものである。


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米国で教育機会の不平等を感じるとき -- このエントリーを含むはてなブックマーク

難関中学や一流大学に合格した人、司法試験に受かった人、
音楽やスポーツの大会で上位入賞した人などは、
もちろん、その成果の大部分が自分の努力によるものだと思うだろう。

しかし、世の中には大きな教育機会の不平等が存在している。
成果のかなり大きな部分が、環境に依存するものであることも事実だ。
こうした不平等の大きさは、日米でどちらが大きいのだろうか?
これを客観的なデータを元にして示すことは意外と難しい。

例えば米国の多くの一流私立大学などでは、教育機会の平等を保つため、
学力や人物の他に、親の学歴、家族形態、居住地域、生活環境、経済状態、
人種などを考慮に入れ、不利なグループに属する志願者を
有利に扱うのが公然の秘密だが、そうしたデータは表には出て来ない。
なぜなら、こうした差別が合憲なのかということに関して
未だに議論が終わっておらず、訴訟リスクがあるためだ(参考記事)。


しかし、米国で子供を育てている実感としては
米国の格差は日本より圧倒的に大きいように感じられる。
そして、その格差は二極化と言われるような単純なものではなく、
何層にも分かれた階級社会のようになっている。

社会的に注目されやすいのは、貧困層の負の連鎖である。
例えば主に貧困層が住むデトロイト市は
人口71万人と島根県全体に匹敵する人口を抱えるが、
市内に住む成人の識字率は53%に過ぎない。
日本でも、高学歴でない両親を持つ子供が良い大学に進むのは難しいかも
知れないが、識字率が53%しかない地区はないだろう。
大阪府の同和地区に限っても識字率は85%を超えている
(大阪市『同和問題の解決に向けた実態等調査報告書』2009年)。
デトロイトのような地域の子供が人並みの教育を受けることは難しい。

中流以上に限れば格差は小さいのかというと、そこにも大きな格差がある。

米国では公立学校別の学力データは公開されており、
教育熱心な家庭はそうしたデータを血眼で読んで良い学区を選ぶ。
例えばミシガン州では、アパートの管理人が住人の人種構成に付いて述べたり、
個人が郵便受けに表札を出したりすることすら禁止されているにもかかわらず、
教育省のウェブサイトを見れば、学校別、学年別、男女別に詳細な人種構成データと
各グループの学力データまで詳細に公開されているのだ。
建前は大事だが、背に腹は代えられぬ、ということなのだろう。

各校の学力データから生徒個人のスコアの分布を割り出して偏差値化すると、
何の入学選抜も行っていない公立学校でも、
良い地区の学校では生徒の平均偏差値が60前後に達する。
これは、生徒の半分が州の上位15%に入っているということになる。
大雑把に日本の公立中学校の話に置き換えれば、
学区内に10校近い公立高校があるのに、
ある中学校では生徒の半分が上位の2校に進学し、
別の中学校では生徒の半分が下位の2校に進学するというイメージである。
日本は教育データがあまり公開されていないので分からないが、
感覚的には格差は米国の方が断然大きいように感じられる。
一般に高所得の世帯の子弟の平均的学力は高いということもあるが、
学区の良い地区の安い住宅には裕福でないが教育熱心の家庭が集まる
ことによる格差も存在する。
実際、学区外からの通学者の生徒の成績は、
学区内からの通学者とほぼ同じであると報告されている。

しかし、環境に恵まれた学校であっても公立学校なのでカリキュラムは貧弱だ。
例えば算数について言えば、東アジアやインド、ベトナム、シンガポール、
ロシアのような熱心な国に比べれば1〜2年は遅れているし、あまり体系的でもない。
また、音楽や体育の授業は、予算カットのせいもあり十分な設備がなく、
気晴らし程度のもののようだ。

格差を感じさせるのは公教育だけではない。
むしろ学校教育以外の習い事において、更なる格差を感じる。
米国の初等、中等教育の段階において一番問題なのは、
経済的な方法で子供に真剣に何かに取り組ませるような
教育体制ができていないことである。

例えば、娘にはサッカー、水泳、絵画、ピアノといろいろと習わせてみているが、
集団での指導は子供を楽しませる事が第一でとにかく教え方がユルい。
また、練習をさせるにしても、事故などを気にしているのか、
ホスピタリティーの基準が違うのか、理由はよく分からないが、
一人づつ練習させるので待ち時間が異常に長い。
水泳教室に娘を連れて行くと、私はベンチで本を読んでいるのだが、
時々顔を上げて娘の方を見ると、十中八九、
娘はプールサイドで順番待ちをしている。
日本だと、大人数のクラスでももっと
流れ作業のようにバンバンやらせる事が多い。
上のクラスも同じプールでレッスンをしているので観察して見ると、
確かに一応みんな泳げるのだが、きちんと教えていないのでフォームはバラバラだ。
センスのいい子や他で泳ぎ方を習ってきたであろう子は綺麗なフォームで泳げるが、
そうでない子は「何とか溺れてはいない」というフォームで
個人メドレーの練習をしている。
意味がないので、この水泳教室は止めさせた。

習い事が、日本の中学校の英会話の授業のよう、
と言えば雰囲気を分かって頂けるだろうか。
ゆるい授業で先生がたくさんの生徒を順番に当てていくだけなので、
50分の授業で平均的な生徒が口にするのは、
"I went to bed at around 11pm yesterday." だけ、
というイメージである。
そんなユルい授業で、英語が話せるようになるわけがない。

もちろん、アメリカにもスポーツが得意な子、音楽が得意な子、
勉強が出来る子などがいるわけだが、そういう子はお金をかけて
個別に先生を雇ってもっとインテンシブにやっているとしか考えられない。

実際、娘のケースでも、ピアノだけは個別指導で、
家でも奴が厳しく指導しているお蔭か、それなりの勢いで伸びている。
しかし、こうして手間とお金をかけられるのは
環境に恵まれた場合だけだ。

良い私立学校に入れれば熱心な先生が懇切丁寧に見てくれて、
こうした問題は解決するかも知れない。
しかし、年間2万ドルを超える学費を払える家庭はそうそうないだろう。
小学校の一年間の授業時間数は千時間弱なので、
一時間あたりでは優に20ドルを超す計算になる。
科目毎に、その分野を専門にする博士課程の学生や
音楽、スポーツのインストラクターを家庭教師に雇っても同じ位の額で
済むかも知れない。

そう考えると、米国でホームスクーリングが流行る理由も分かる。
米国教育省によれば、米国で義務教育期間の子供のうちの3%、
実に150万人もが学校に通わず家庭で教育を受けている。
そのうち、宗教(35%)や障害(2%)などを理由に学校に通わせない親はむしろ少数派で、
学校の教育環境に何らかの不満を持つことを主な理由として上げる親が4割を超す。
グーグル創業者の一人セルゲイ・ブリンは、小学校を出たあと家庭で教育を受けた。
父親は、ロシア出身でメリーランド大数学科の教授であった。
17歳でメリーランド大に入学したセルゲイは、
数学とコンピューターサイエンスを専攻して3年で卒業し、
国費奨学生としてスタンフォード大の博士課程に入学した後、グーグルを創業する。

高学歴層の親の教育に関する関心は高く、
その結果、子供の人生にも大きな影響を与えている。
先日会った統計学者は、娘が数学教育の博士号を取り娘婿も統計学者だそうだ。
彼とディナーに行った際に、
「何か娘に特別な教育をしたのですか」と聞いてみた。
彼は「何も特別なことはしていないけど」と言ったあと、
「娘の中学の数学の先生は簡単な因数分解もできないような問題のある先生だった。
他の保護者も心配なようだったので、
私が州の中高の教員免許を取って娘がいる間、その中学の先生として教えたんだ。
私はたまたまハンガリーの教員免許を持っていたから、
割と簡単な手続きで免許を取れてラッキーだった。」と続けた。


日本でも、早期教育、ゆとり教育の失敗、個別指導の流行などで
教育環境の格差は年々広まっているし、地域間の情報格差も依然として大きい。
しかし、実際に米国で住んでいる肌感覚からすると、
米国での教育の格差は非常に大きいと感じられるのである。


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プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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