口コミ情報は日本にとってのビジネスチャンス? -- このエントリーを含むはてなブックマーク

会社の職場環境や、マンションの住み心地、結婚式場の満足度など、今までいわば「セルサイド」の情報から知る事ができなかった情報を提供する口コミサイトが人気のようだ(参考記事)。インターネットビジネスでは概ね米国に遅れをとる日本だが、もしかすると口コミサイトのノウハウでは米国に先んじることができるかも知れない。

私が米国に来てカルチャーショックだったことはあまり多くないのだが、そのうちの一つが米国人が口コミを使わないことだった。10年前、私がはじめて米国に来たとき、米国人の独身中年女性のアパートに1ヶ月ほど部屋を借りた。その女性は家賃が1000ドルほどの3ベッドルームのアパートに常時2人の短期留学生を受け入れ、それぞれから月375ドルずつとって自分は安く住む代わりに、留学生の世話を焼くことを楽しみにしているような人であった。ある日、私が中古の自転車を買ってくると「ヘルメットを買った方が良いわね」というので、「どこか良い自転車屋さんはないですか?」と私が尋ねると、「ここに電話張があってね、たくさん自転車屋さんが載っているわよ。」と、とても親切そうに答えるのだ。もちろん、電話帳なりインターネットなりを使えば自転車屋が探せるのは知っているのだが、日本人が「どこか良い自転車屋さんはないですか?」と聞くときは、そういう情報ではなくて口コミ情報を探している。しかし、米国人にはそういった意識が希薄なようだ。日本が村社会で、米国が移民の国であることを考えると、そうした感覚の違いも納得がいく。


米国では、単に口コミの重要性が低いだけではなく、消費者が口コミ情報を伝える事も苦手であるように映る。米国の文化は相手を褒めることを基本としている上に、米国人は日本人ほど細かい点を気にしないことから、大して良いサービスでなくても、他の人に勧めてしまうのである。妻が親しくしていた娘の友達の母親は、親戚が全てミシガンにいるような典型的なミシガン人だった。妻が「良い歯医者はいないか」とか「きちんとした家の検査技師はいないか」など色々な相談をすると、その度に、彼女は自分や家族等が使った業者を紹介してくれるのだが、それが良かった試しがない。大したサービスでなくても、トラブルがなく、愛想の良い業者であれば、勧めてしまうのだろう。実際、米国のウェブサイトには「専門家以外が推薦する業者など何の意味もない」と言ったアドバイスはあちこちに見られる。

逆に米国人は、一線を越えて不愉快な体験をするとともかくそのサービスをこき下ろすようになる。日本には、バランスを取って両論を併記するという文化があるが、中立的な意見ほど貴重な口コミ情報にとって、それがプラスに働いているということもありそうだ。

米国ではサービスする側も、口コミや社会での評判をあまり重視していないように感じられる。私が今住んでいるデトロイトの郊外は、以前に住んでいた大学街に比べて人の出入りが少なく、人口5百万の大都市圏ながら村社会に近い。しかし、そこで重視されているのは、口コミのようなゆるやかな情報よりも直接的な人の繋がりのようだ。私が住んでいるコンドミニアムは築40年以上経っていることもあり、たびたび修理やリフォームの必要が生じる。管理組合が修理業者のリストを作っているが、依頼をしなければならない時は、まずコンドミニアムのオフィスに長くいる事務員にどの業者が良いかを聞きに行く。大規模なコンドであるため、それなりの情報が集まるようで、評判の良い業者を教えてくれるので、そこに電話をかける。その時にほとんど毎回、業者に聞かれるのが「誰かの紹介か?」という質問だ。「管理組合の推薦です」と答えるのだが、そうやって雇った業者にはこれまで一度もハズレがない。一方で、たまたま管理組合を通さずに使った業者は大抵良くないのである。元々、良い業者と悪い業者はあるのだと思うが、人と人との直接のつながりは、米国でも日本同様に重視されるということだろう。


米国に比べ日本社会で口コミが重視されるのは、村社会としての成り立ちによるところが大きい。一方で、インターネットはどんどん人々の距離を縮め、世界を一つの村社会にしてしまいつつある。日本のような村社会が培った口コミの利用が、ネットを通じて米国のような国でもこれから重要性を増すに違いない。


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ジャンル : 海外情報

グローバル人材を増やすために注目すべき4つの人材層 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

グローバル化が止まらない中で、文部科学省は「世界レベルの人材」を育てるために躍起になっているが、これに対し、木村盛世氏(厚生労働医系技官、医師)が、人材育成の道筋の見えない文科省の方針を批判するエッセイを書かれている。しかし、書かれている事実一つ一つは興味深くてもっともなのだが、全体として何がいいたいのか、具体的に何を改善すべきなのか、今ひとつはっきりしない。実際、当該記事のBLOGOSのコメント欄を見ても、同様の意見が溢れている。そこで、日本が「グローバル人材」とやらを増やすために、具体的には何をすれば、私見を述べてみたい。

そもそも、「グローバル人材」(文科省)、「世界レベルの人材」(木村氏)とは何なのだろうか?文部科学省によれば、「国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる人材」だそうだ。日本の国益を確保し豊かな日本社会を維持するためには、科学技術や政治経済の分野において、国際間の情報交換や交渉において他国に遅れをとらないことが必要で、そのために「グローバル人材」が必要ということだろう。つまり「グローバル人材」の育成は国益のためであって、文科省が国民全体の英語習得レベルを引き上げるためではない。あくまでも主要は目的は国益であって、教育機会の均等ではないことをまずは頭に入れるべきだ。

グローバル人材をいわゆる高学歴層に限定する必要はないが、英語圏の国々が高度な学歴社会であることに鑑みれば、社会の指導層を生み出す一流大学院や、そこへ多くの人を輩出する一流大学の日本人の動向について見ることには意味があるだろう。各種報道に見られるように、米国の大学における日本人のプレゼンスは低く、近年さらに低下している。日本人に人気があり経済的に裕福な人に有利なMBAプログラムでさえ日本人の数は少ない。TOP15に数えられるミシガン大学においても、例年、各年次約500人のプログラムにいる日本人は5人前後で、100人超いるアジアからの外国人留学生の中では非常に少数派である。科学技術系について言えばさらに少なく、韓国人は日本人の5倍、中国人は韓国人の更に5倍いるというイメージを私は持っている。日本人留学生が少ないというと「最近の日本人の若者は内向きで」などと言い出すおじさん達が多いが、現状はそんな生易しいものではない。MBAなどの人気プログラムに関して言えば、日本人の英語力や専門能力が低いので、頑張ってもその程度の人数しか入れない、ということなのだ。若者の内向き批判を繰り返すおじさんたちは、「入ろうと思えばトップスクールのMBAくらいいつでも行けるけど、日本が好きだから行かない」などという「内向きの日本人」がどのくらいいるのか、今一度考えて直してみた方が良い。

それでは実際に、米国の一流大大学院に入るのはどんな層なのだろうか。私は、トップ10に入るMBAプログラムや、著名なPhDプログラムに入った知り合いをそれなりにたくさん知っているが、彼らにはいくつかのパターンがある。それは、

(1)子供の頃、両親の仕事の都合で海外にいた帰国子女
(2)高校あるいは学部の早いうちに1年程度の留学を経験した人
(3)高学歴で、大人になってから受験勉強のノリで英語も一気にマスターした人
(4)語学力に関係なく専門性で勝負している人

の4つである。複数のパターンに該当しているケースも多い。グローバル人材を増やすためには、この有望な4つの人材層に重点的に投資するのが最も効率が良い。この4つの層それぞれを強化する方法を以下で考えてみる。

(1)MBAよりPre-Kに入りたい

バイリンガル教育には様々な研究結果があるが、外国語の習得に最も重要な時期はおそらく4〜9歳くらいである、というのがおおよそのコンセンサスだろう。4歳未満では母語がしっかりしていないために外国語を習得する準備ができていないし、9歳を過ぎるとネイティブに近いレベルの音感や語感などが得られない可能性が高まる。私の娘は米国生まれだが、4歳近くになるまで幼稚園に通ってもほとんど英語を話さなかった。それがPre-K(日本で言う幼稚園の年中)に通った10ヶ月間で、一気にネイティブと対等に話せるレベルになった。義務教育ではなかったので授業料が年5000ドルほどかかったが、後にも先にも、あの期間と金額で同等の教育投資効果が得られることは絶対にないと言い切れる。「私も出来ることなら、今から娘の通ったPre-Kプログラムに通いたい」と友人に冗談で言っているほどである。

斜体文韓国や中国の富裕層などは、わざわざこの時期に母と子だけで留学しにくる猛者も多いが、既に経済的に豊かで平和な日本からこうした行動を期待するのは難しいだろう。実際には、日本人で幼少期に英語圏で過ごしているのは主に父親の仕事の都合で滞在している子女である事を考えると、政府が4〜9歳前後の子女を持つ家庭の海外転勤を促進するような施策をとれば教育効果はかなり高いかも知れない。例えば、この年齢の子を持つ家庭を海外に派遣した企業に補助金を支給するような制度も考えられる。企業に直接的な経済利益が少ないとしても、これが企業の社会的責任であると社会が捉えれば、かなりの推進力になるだろう。

こうした絶好の機会を無駄にしないために、子供が現地の学校で真剣に英語で学ぶようなインセンティブを国が整備するのも一つの手だろう。多くの海外在住子女は、中学あるいは高校入学までに日本に帰るため、現地の学校であまり真剣に勉強しない子も多い。大都市では、日本での受験のために日本の大手進学塾に通って受験勉強する子もいる。これは非常に勿体ないと言わざるを得ない。どうすれば、適切なインセンティブが与えられるだろうか。例えば、最近拡大している帰国子女入試を、旧来の選抜方法ではなく、現地の学校での成績や現地校の教員からの推薦状で査定するような選抜方法にしてはどうか。各学校でこうした選考を行うのは難しいかも知れないが、文科省が評価機関を作って、統一的にノウハウを蓄積すれば十分に現実味があるだろう。

(2)東大入試の免除を

米国の大学院に留学して痛感したことの一つは、20歳未満で留学して来た日本人との英語力の圧倒的な差である。さらにいえば、個人差の方が大きいものの、聴覚力やコミュニケーション力の男女差も無視できず、男性は女性より2割くらい早く留学しないと音が身に付かないのではないかと個人的には思っている。例えば、30歳で留学した女性と同じ音感を身につけるには、男性は24歳で留学する必要があるというイメージだ。また、年齢だけでなく学習環境も語学の上達に大きく影響する。生活の大半を仲間と共にする高校留学、友人との交流が多い学部留学、引きこもって試験勉強する大学院留学では、語学力の伸びは当然異なってくるだろう。早い段階で留学する方が望ましい。

高校や学部の初めでの留学にあたっての問題は、生徒・学生にとっての過大な学習負担である。想定されるグローバル人材像は勉強面も秀でている者と考えれるが、大学受験の準備をしながら、なおかつ留学に堪える英語力を同時に身につけられるスーパー高校生は非常に限られるだろう。また、大学に入学してからにしても、留学と専門分野の学習の両立は大きな負担だ。制度を変更することで一番時間を捻出できるのは、現行の大学入試にかかる労力を削ることだ。これはまずトップの東大がやらなければ効果が薄い。もちろん他の大学でもやるべきだろう。例えば、高校の内容を十分に学習し終えた生徒には、高2の段階で入学許可を出して、大学入学までの留学を義務づけてはどうか。昨今、日本の大学では推薦入試が増えているが、その主眼を単に優秀な生徒を採ることでなく、優秀な生徒に機会を与えてさらに育てることに置くのは、大学と生徒双方にとってメリットがある。


(3)自給自足できる生活力を

大人になってから1〜2年程度の集中的な勉強で、長く海外にいた帰国子女と同レベルの英語のスコアを出してしまうような優秀な人達もいる。大抵高学歴で、一流企業で将来を嘱望されるような社員であるケースが多い。この層は、会社が派遣留学をさせたり、公募の奨学金を獲得して留学したり、働いて貯めたお金を使って留学する。この層について非常に残念なのは、無駄にたくさんの資金を投入して、逆に彼らのポテンシャルを奪ってしまっていることだ。

こうした層に人気の一流大のMBAプログラムというのは、日本で言えばSAPIXのようなものだ。頭が良くてお金持ちのお客さんを集めて、集中的にノウハウの詰まった授業をする。そこから得られる知識や人脈は大きいかも知れないが、大学や社会にとってはあくまでもお金を落としてくれるお客さんに過ぎない。米国をはじめとした英語圏は基本的にお金へのインセンティブで回っている国々だ。自分でお金を稼ぎ、節約しながら生活して初めて社会の一員となり、社会の仕組みが見えてくる。こうした点を考えると、日本人の留学生はMBAプログラムに傾倒しすぎという問題もあるだろう。いわば大学のドル箱であるMBAプログラムは多額の授業料のかかる大人数のプログラムだが、科学技術系や社会科学系、政策系の大学院などには、少人数教育で学内の就労機会に恵まれたプログラムもたくさんある。そして米国の大学院は、学部の専門分野が違った学生でも積極的に受け入れて一からを教育してくれるのが良いところだ。より多くの分野に留学生を送り出せば、人数も増やすことができ、バラエティーに富んだ人材を育てられる。

実際、この層の多くの留学生は、MBAなどの職業系の大学院を除けば、大学からTA/RA(Teaching/Research Asssitantship)として給料を貰いながら大学院を修了できるポテンシャルがある。そうした方が、ずっと本人も多くの事を吸収できるし、費用もかからない。また、派遣留学生に副業を禁止する企業が多いがこれも全くナンセンスである。敢えて例えれば優秀な子供を進学塾にやり、その塾の教材以外で知識を得る事を禁じる、というルールを課しているようなものだ。派遣留学にしても自費にしても、現地で自給自足の経験をする事こそが、英語圏の価値観を理解できる「グローバル人材」になる鍵だ。

アカデミックな留学に関しても、奨学金が実態に即していないというケースが非常に多い。例えば、博士課程に公募の奨学金を獲得して留学するようなケースでは、留学生は大学からの奨学金を貰ったり、TA/RAをやりながら、課程を修了できるポテンシャルがあるのが普通だ。Qualifying Exam と呼ばれる競争的な試験、時間のかかるリサーチ、卒業後の職探しなどのために、一時的に日本からの奨学金を使える事が有利になることはあっても、全てを母国からの奨学金で賄わなければならないのは、よほど能力が足りないケースに限られる。現在の多くの奨学金制度は、人数を絞り過ぎである一方で、一人あたりに過剰な予算を投じているものが多い。これを改善すれば、より多くの日本人がアカデミックな大学院留学や研究留学を経験できることになる。

(4)設計図は日本語でいい

日本には、英語は全くしゃべれないが専門分野の論文なら英語で書ける、というような人もたくさんいる。英語と日本語が非常に異なる言語であることを考えると、こうした能力を持つ人たちに無理に英語を勉強させるのは、専門能力を鈍らせることになりかねない。こうした人材は、英語ができるにしろ、できないにしろ、世界が注目すれば、勝手に「グローバル人材」になってしまうのだから、むしろこうした人材を育てるパスも残しておいた方がよい。国際優良企業と呼ばれる日本の大手自動車メーカーは、車の設計図を英語で書いたから海外で成功したわけではない。

例えば、全授業を英語化する大学が増えたとしても、日本語でほとんどの事を学べる一流大学も少なくとも数十年間は維持することが望ましい。全ての一流大学の教育を英語化するかどうかは、時間をかけて考えれば良い。

(むすび)

グローバル化に対応するにあたって、国民全体の語学力や国際感覚を底上げすることは理想的ではある。しかし例えば公立学校の英語教育の質を抜本的に上げるためには、莫大な予算と年月がかかる。より実態に即した支援制度を整えることで、日本が国際社会から孤立することを防ぐリーダー層を育てることが必要なのではないか。


プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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