日本の博士課程は人生の罰ゲームか -- このエントリーを含むはてなブックマーク

「博士課程は職業・日独シンポジウムで日本の遅れ浮き彫りに」という報道が加納学教授のツイッター経由で話題になっていたので、私が感じていることを少し述べたい。


1.米国の博士課程院生の社会的な立場

 私は日本で社会人を経験した後、米国の博士課程に進学し、米国で就職して現在に至っているが、11年間の米国生活の中で一番嬉しかったのは、初めてTA(ティーチング・アシスタント、主に学部生の演習の授業を受け持つ)の契約書をもらった時だった。学費免除や健康保険などの福利厚生を除けばたったの月900ドル程度の仕事だったが、お金を落としてくれる留学生という「お客様」の立場で米国に来た自分にとって、初めて米国社会の一員と認められた事はとても嬉しかった。

 欧州同様、米国においても、博士課程の院生の大半は私と同じ様に給与をもらい、授業料を免除してもらいながら、職業人として社会に認められて生活している。フルタイムの勤務経験があり20代後半〜30代前半で入学する院生も多いので、既に結婚していたり、在学中に結婚したり、子供が生まれたり、というケースも非常に多い。米国人のみならず、中国人、韓国人、日本人、ベトナム人、ウルグアイ人、チリ人と国籍を問わずそうした例を多く見かけるから、大学と社会の雰囲気がそうさせるのだろう。私の妻が妊娠した時、診断をしてもらったのも大学の医務室だった。大学には家族向けの寮もあって、大変質素
な造りながら、そのアカデミックで開放的な雰囲気を好んで住む知り合いも多かった。

 最近考えさせられたのが ask.fm 経由で匿名で受けた次の質問だ。

「大企業を辞めて博士課程に留学し、学位取得前に子供を作る」という決断にリスクは感じませんでしたか。


 前半の「会社を辞めて博士課程に通うこと」には当然、経済的なリスクはある。博士課程も仕事のうちだとしても、修了後により良い仕事が見つかるかどうかは分からない。しかし後半の「子供を作る」という事に関して言えば「在学中が最適なタイミング」という判断には殆ど迷いがなかった。当時、留学についてきた妻はいわゆる専業主婦で時間があったし、私も院生の時の方がより子育てに参加できた。仮に私が卒業後に良い仕事を見つけられなければ、妻も働かなければならないかも知れない。それまでに子供がある程度大きくなっていれば何とかなる。逆に、その時までに子供が育っていなければ出産の機会を失うかも知れない。深く考えるほど、博士課程在学時に子供を育てるのが最も合理的に思える。

しかし実は留学前に日本にいた頃、私も質問者の方と全く同じ事を感じたことがある。留学先候補を調べていた時、日本人の大学院生で奥さんと子供が2〜3人いる方のホームページを見つけて「まだ仕事も見つかってないのに大丈夫なのかなあ」と心配になったのだった。なぜ、私の感覚は180度変わってしまったのだろう。結局のところ、これは博士課程院生に対する世間の目の問題ではないかと思うのだ。


2.日本の博士課程に対する世間の目

日本のアカデミアに残るという選択が非常に過酷である理由はいくつもあるが、その第一関門が「博士課程院生が職業人として認められていない」ということであると私は感じている。日本では、博士課程の学生であろうとも「所詮、学部生活の延長で生活している人達」と捉えられていて、一人前の「社会人」として見做されない。確かに、大学院生は毎朝9時にスーツを着て出勤しなくても良いかも知れない。しかし、自分の責任で研究を進めて将来を決めなければならない博士院生は「勉強半分、交流半分」といった感じの学部生のように気楽ではない。また研究は「頑張ればAが取れる」学部の授業のように一筋縄には行かない。しかもそうした院生は、平均すれば、就職した同期生よりも学部時代にずっと真面目に勉強してきた人達なのだ。例え高額な給与は払われなかったとしても、博士課程の院生には職業人としての社会的地位が与えられるべきだろう。これはお金の問題でもあるが、お金だけの問題ではないのだ。

 「そうは言っても院生は楽なんじゃないの?」と疑い深い世間の目に、補強材料を与えてしまうのが、謙虚な院生の「好きな事やらせてもらってるからお金にならなくても構わない」という立派すぎる態度かもしれない。実際のところ、大学院で「好きな事やらせてもらってるからそれだけで幸せ」なんて言うのは、ビジネスパーソンに例えれば「趣味は仕事だから仕事していれば幸せ」というレベルの超人であって、そんなレベルを標準にすべきではないのだ。

 結婚や出産、子育てに関しても同じ事が言えるだろう。「院生はまだ勉強する立場なのに(or定職についていないのに)結婚など早い」と口には出さずとも思っている日本人は多いだろう。不思議な事に「ビジネスマンはまだ仕事をする立場なのに結婚など早い」という人はいないし、「外資系社員は雇用が不安定なのだから結婚するべきでない」などと言う人も見た事がない。学振研究員に「国からお金を貰いながら産休を取るのか」と文句を言う人はいるようだが、公務員に「国からお金を貰いながら産休を取るのか」という人は不思議といない。

 こうした状況は、特に女性が博士課程に進むのを困難にしているように思えてならない。男性の場合は博士課程進学で結婚が遅れてもキャリアで成功すれば肩書きを活かして、年下の女性と結婚するなどというケースも多い。しかし、出産の年齢的な制約も大きい女性が同じ方法で人生設計をするのは、かなり難度が高くなると言わざるを得ない。これは、一見個人の問題のように見えて、大学の運営にも関わる問題だ。例えば、大学にも性別のクオータ制などの積極的なアファーマティブ・アクションを導入するような場合、女性の進学者が少なければ採用される女性研究者の質も下がる。

もちろん、現実問題として資金の手当の問題はある。例えば、今よりも大学は企業等から研究資金を獲得できるようにする必要があるかも知れない。そのためには、大学教員にも企業から資金を取ってくるインセンティブを増やす必要があるだろう。例えば、米国の大学では外部から獲得した研究資金を一定の額まで自分の給与に上乗せすることができる。一方で、企業にとって、研究者を囲い込むのではなく大学に外注して固定費を減らす方が得になるような仕組みが必要かも知れない。また、院生の義務が皆無だった理論分野などでは、院生の教育義務などを増やす必要もあるかも知れない。分野や大学によっては院生の数を減らすことも必要だろう。そうした問題の細部はここでは考察しない。

ここで強調したいのは、博士課程の院生を経済的に自立できるようにするという課題も重要だが、それと同じくらい、社会が博士課程の院生を職業人として受け入れることが大事だということだ。「人はパンのみに生きるにあらず」と研究者を目指す志の高い若者が、一人の職業人として社会から認められることを誇らしく思わないはずはないだろう。


スポンサーサイト

テーマ : 大学
ジャンル : 学校・教育

米国で初めてTAをやる時の5つのポイント -- このエントリーを含むはてなブックマーク

米国の多くの大学では、新年度の授業が始まった。やや遅きに失した感もあるが、英語の得意でない外国人が米国の大学でティーチングアシスタント(TA)をやるための心得をまとめておこうと思う。

米国のTAは、主に大学院博士課程の学生が、学費の免除や健康保険料、生活費の給付を受けるかわりに務める教育ポジションである。その名前がイメージさせる範囲を超えて、教員の代わりに演習や講義を受け持つ。

ここでは、授業の出だしに話すことを決めておく、板書やスライドをきちんと準備しておく、といった基本事項ではなく、つい見落としがちな心得を書いていく。


心得その1:初めてのクラスにはギリギリの時間に行く

これは院生時代に日本人の上級生にもらったアドバイスだ。真面目な日本人はつい「初めて教室で学生の前で話すのだから、入念に準備して、時間に余裕を持って教室に・・・・・」などと考えてしまいがちだが、これは大きな間違いである。緊張した学生のたくさんいる教室に、緊張した英語の不自由な新人TAが10分前に教室に着いてしまったら、始まるまでの10分間、一体どう過ごせば良いのだろうか?初対面の大勢の学生を前に、世間話で打ち解けられる「コミュ強」は別として、普通の人なら沈黙が続いて気まずい事この上ない。ギリギリに来て、「間違えて隣りの教室に行っちゃったよ!」と言い訳するくらいが丁度良いのだ。教室のコンピューター機器の操作などが心配であれば、前日に教室に行って確認しておこう。

心得その2:学生の質問が聞き取れなかったら聞き返す

私も含めて、理系で東アジア出身の院生は特にリスニングが弱い傾向がある。そのため、学部生があまり考えずに早口で投げる質問は聞き取れないことが多い。教壇に立つものの責任感で、聞き返せずに質問に答えられなかったりする人がいるが、これは大変よろしくない。全部聞き取れないときは、キーワードだけでも拾う努力をして、遠慮なくもう一度聞き返せば良い。そもそも、英語は音が小さいとうまく聞き取れないので、ネイティブでも聞き返していることは多い。それでも正確に聞き取れないときは、「〜という質問ですか?」と確認すればいい。要は聞き取ることよりも、コミュニケーションが取れることが大事なのだ。

心得その3:堂々と話す

日本人は一生懸命やっている初心者に優しいところがあって、新人が自信なさそうに教えていても、一生懸命さに好感を抱いたりすることが多いが、米国では、自信に満ちた態度が聞き手を安心させることが多い。

心得その4:アイコンタクトが大事

講義している時にずっと黒板を見ていても、学生の方を見ても、別に分かり易さは変わらない、というのが数学をやっている日本人などの典型的な態度で、論理的にはこれは正しいように思うのだが、そういった態度は一般の米国人には通用しない。アイコンタクトは重要な要素である。私のある授業では、10点満点の小テストで、毎回1点や2点を取る学生がいたので、気まずくていつも目をそらして答案を返していたのだが、授業評価に「アイコンタクトがない!」と文句を書かれてしまったことがある。

心得その5:簡単な質問を投げる

米国人は、授業はインタラクティブであるべき、と考える傾向が非常に強い。そのためには学生とコミュニケーションを取る必要があるが、言葉の壁があると気の利いた質問を投げかけても、学生の反応を聞き取れなければ場の雰囲気が壊れてしまう。そこで、まずは簡単なサーベイを取ってみるとか、答えが限定されるような質問を投げるなどして、インタラクションを増やしていくと良い。

日本人が米国の大学で教えるには、言葉の壁も文化の壁もあるので、どうしても軋轢は生じてしまうが、取り敢えず上に挙げたような簡単にできることから初めてみてはどうだろう。


プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程にてPhD取得。現在、米国の某州立大准教授。

検索フォーム
Twitter

Twitter < > Reload

お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

全記事表示

全ての記事を表示する

最近のコメント
訪問者数 (UA)
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
海外情報
27位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
北アメリカ
4位
アクセスランキングを見る>>
人気記事Top10


(はてなブックマークより)

カテゴリー
最近のトラックバック
お勧めブログ