大学って教養のためにあるの?(その1-高齢層編)
WS大はデトロイトのダウンタウンにキャンパスがあるので、
仕事を終えた社会人が夜間に単位を取りに来ているケースもたくさんある。
そのため、一般の大学よりも夜遅くまでキャンパスは賑わっており、
午後8時になっても人の行き来は絶えない。
私は去る秋学期は夜の授業を教えたので、数学の学部2~3年生向けコース
という内容にも関わらず、約40人中、少なくとも4人の社会人が科目登録
をし、少なくとも3人の学生が比較的良い成績で単位を取得した。
もっとも年齢の高い60歳前後の男性は、自動車会社のエンジニアとして働いており、
早期退職して高校の数学先生になるために私の科目を履修しにきた。
次に年齢の高い50歳前後の男性は、データ処理関連の仕事をしていて、
統計の知識を強化するために科目を履修した。もう一人は40歳前後の高校の先生で
理科の教員をしているが、数学の免許も取りたいということで授業をとりに来た。
彼らのキャリアや動機は三者三様だが、共通しているのは
年齢に関わらず明確なキャリアパスがあり、
その手段として大学に来ているという点だ。
出来の善し悪しに関わらず、私はそういう学生を「プロの学生」と考えている。
翻って日本では少子化で大学の経営が困難になっていることもあって、
定年退職前後の60歳位の人達を大学に呼びこもうという試みがなされている。
もちろんそれは経営的な観点からは望ましいことであろうし、
学ぶことは全ての人にとって生涯の楽しみであるので、その受け皿は必要だと思う。
しかし、大半の学生が何の目的もなく単なる趣味や
知的好奇心だけのために大学に来ているのは大変残念
なことである。そういう学生は、たとえ授業を聞いている時に真剣だとしても
「アマチュアの学生」に過ぎない。
今日、朝日新聞社に「学びが個を目覚めさせる」というタイトルで、
立教セカンドステージ大学の紹介文が載ったがこの手の「アマチュアの学生」
を手放しで褒め称える姿勢は、私には物足りない(*1)。
日本の高齢者の価値観では
「60歳にもなって新たなものを学ぶ姿勢は素晴らしい。」
のかも知れないが、私としては
「まだ60歳なのだから学んだことを社会に役立てて欲しい。」
と思う。
大学側から見ると、確かに少子化の影響による経営環境の悪化は急速なので
それを埋め合わせるための手っ取り早い対策は必要だろう。しかし、
本当に一番大きな問題は、
日本の大学がこれまで経済社会に必要とされる教育を
十分に提供出来ていなかったことにある。
その本質から逃げて、学問を「文化」に結びつけて経済との
つながりから逃げるのは、あまり前向きな姿勢とは言えまい。
(*1) この記事は、英文学の教授が書いているので、分野の
特殊性から致し方ない面もあることを断っておく。

仕事を終えた社会人が夜間に単位を取りに来ているケースもたくさんある。
そのため、一般の大学よりも夜遅くまでキャンパスは賑わっており、
午後8時になっても人の行き来は絶えない。
私は去る秋学期は夜の授業を教えたので、数学の学部2~3年生向けコース
という内容にも関わらず、約40人中、少なくとも4人の社会人が科目登録
をし、少なくとも3人の学生が比較的良い成績で単位を取得した。
もっとも年齢の高い60歳前後の男性は、自動車会社のエンジニアとして働いており、
早期退職して高校の数学先生になるために私の科目を履修しにきた。
次に年齢の高い50歳前後の男性は、データ処理関連の仕事をしていて、
統計の知識を強化するために科目を履修した。もう一人は40歳前後の高校の先生で
理科の教員をしているが、数学の免許も取りたいということで授業をとりに来た。
彼らのキャリアや動機は三者三様だが、共通しているのは
年齢に関わらず明確なキャリアパスがあり、
その手段として大学に来ているという点だ。
出来の善し悪しに関わらず、私はそういう学生を「プロの学生」と考えている。
翻って日本では少子化で大学の経営が困難になっていることもあって、
定年退職前後の60歳位の人達を大学に呼びこもうという試みがなされている。
もちろんそれは経営的な観点からは望ましいことであろうし、
学ぶことは全ての人にとって生涯の楽しみであるので、その受け皿は必要だと思う。
しかし、大半の学生が何の目的もなく単なる趣味や
知的好奇心だけのために大学に来ているのは大変残念
なことである。そういう学生は、たとえ授業を聞いている時に真剣だとしても
「アマチュアの学生」に過ぎない。
今日、朝日新聞社に「学びが個を目覚めさせる」というタイトルで、
立教セカンドステージ大学の紹介文が載ったがこの手の「アマチュアの学生」
を手放しで褒め称える姿勢は、私には物足りない(*1)。
日本の高齢者の価値観では
「60歳にもなって新たなものを学ぶ姿勢は素晴らしい。」
のかも知れないが、私としては
「まだ60歳なのだから学んだことを社会に役立てて欲しい。」
と思う。
大学側から見ると、確かに少子化の影響による経営環境の悪化は急速なので
それを埋め合わせるための手っ取り早い対策は必要だろう。しかし、
本当に一番大きな問題は、
日本の大学がこれまで経済社会に必要とされる教育を
十分に提供出来ていなかったことにある。
その本質から逃げて、学問を「文化」に結びつけて経済との
つながりから逃げるのは、あまり前向きな姿勢とは言えまい。
(*1) この記事は、英文学の教授が書いているので、分野の
特殊性から致し方ない面もあることを断っておく。

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