労働者の権利は義務でもある
きちっと主張するということが大事だ。
それは、長い目で見れば世の中のためにもなる。
それを理解するために、今日は
日本の労働者の考え方(*1)がいかに異常かということを
例を使って考えてみたい。
というのも、日経ビジネスオンラインに
「あまりにも」という記事が載ったからだ。
(*1) あるいは労働者に期待されている考え方
題名は
「もうこれ以上、医療を支えられない - 看護師の35歳女性のケース」
日本で深刻な社会問題となっている医療崩壊関係の記事である。
記事によると、看護師の松田裕美さん(仮名、35歳)は
看護師の激務の中で切迫流産を経験した。詳細はこうだ:
動けない患者の体位を変えたり支えたりすることで、
妊娠中の体に負荷がかかり、お腹が強く張っていた。
張り止めの薬を飲みながら勤務したが、そのうち出血が始まった。
産婦人科医に診てもらうと「切迫流産」(流産する危険のある状態)と診断され、
勤め先の産婦人科病棟に入院して流産を防ぐ治療を受け、
24時間点滴を打ちながら絶対安静の状態が続いた。
しばらくして出血も止まり、切迫流産の状態から抜け出せたと思ったら、
また救命救急の現場に戻された。
仕事を始めるとまた出血し切迫流産となり、再び入院。
こうした問題は深刻で、日本医療労働組合連合会の「看護職員の労働実態調査」(2005年)
では、看護職員2万9000人(平均年齢35.1歳)が回答した中で、
31.1%と3人に1人が「切迫流産」を経験している。
聞いているだけで大変痛々しい。
看護師がいかに劣悪な環境で働いているかがひしひしと伝わってくる。
しかし、問題はここからだ。
子供の命の危険を犯してまで、労働基準法や男女雇用機会均等法により、
妊産婦の夜勤免除や業務軽減は、本人が申請すれば認められる。
しかし、そうはいかないのが現状だ。
法で守られた権利を主張しないのはなぜだろうか?
医労連の田中千恵子・中央執行委員長は
「本人による申請では、人手不足で言い出しづらい労働環境にあり徹底しない。
かといって比較的、規則正しい生活ができる外来はパート化しているため、
病棟から外来に移ることを希望しても叶わないケースも多い」と指摘する。
この主張は大きな矛盾をはらんでいる。
看護職が本当に人手不足ならば、労働交渉では労働者側が有利になるはずだ。
本当は人手不足でないか、労働者側の考え方がおかしいかのどちらかだ。
何を根拠に「言い出しづらい」と言ってるのか全く理解に苦しむ。
ピアニストや芸能人のようになりたい人が日本中に溢れていて
不平を言ったらすぐ他の人に仕事が移って職を失うというような仕事と比べて、
どちらが「言い出しづらい」だろうか?
あるいは「人手不足」の現状と「看護師が10万人余っている」状況を
比べてどちらが労働条件の改善を言い出しづらいだろうか?
要するに「言い出しづらい」ということを認めることは
「日本の労働者はいかに自分に有利な状況下でも
疲労困憊するまで働くべきだ」
と言っているに等しい。
田中氏は医労連という鎧を着て経営側の目線で発言して
日経ビジネスの sweatshop 奨励運動に加担している様に見える。
さらには、妊娠や出産で夜勤ができないとなると、
正職員からパートに雇用形態を変えられるという、
労働条件の不利益変更まで行われているという。
辞めたくなるような仕事の欠員はどこで埋めるのだろう?
人手不足なら経営側が多少の要求を飲んでも現職を引き止めると
考えるのが自然ではないのだろうか。
また、これは労働基準法違反になるが、病院側がリスクを犯してまで
そうした扱いを一般化させているという根拠はなんだろう。
そういえば、つい一段落前まで統計を使って断定的に説得していたのに
この段落だけは「行われているという」で終わっているのも不思議だ。
夜勤明けは休みにカウントせず、次の日を休日とするべきなのだが、
人員がギリギリな状態で、夜勤明けが休みとなり、
体の疲れが抜けないまま、翌日からまた日勤に組み込まれる。
確かに経営側は人員が足りなければそうしたいと思うだろうが、
その条件をのむかどうかは労働者側の自由だ。
収入増を狙った看護師争奪戦が起こったため、
人気のある病院に看護師が偏在する問題が深刻となった。
看護師が足りないのなら人気のない病院が条件を改善すればいいだけだ。
それが無理なら看護師は不足していないのだ。
過労死寸前でバーンアウト(燃え尽き)して辞める看護師が後を絶たない
彼女(彼)等が身を粉にして人一倍働いたのは間違いないのだろう。
その結果、何人かの患者の命を救ったかも知れない。
しかし、彼女(彼)等が過労死寸前で辞めた後には、
過労死寸前まで働かないと回らない空きポジションが大量に残るだけだ。
そしてこの負の連鎖は、どんどん続いていく。
私はこのあたりに「クソ労働環境」の秘密が隠されていると思う。
短期的には、労働者が踏ん張った方が多くの問題を解決できる。
患者が助かったり、顧客が満足したり、会社が儲かったりする。
しかしその結果、長期的には望ましい社会や会社の仕組みが築かれない。
それが何年、何十年と積もれば社会の資源配分はどうしようも
ないくらい非効率なものになり、
過労死するまで働いても患者を助けられない病院や
過労死するまで働いてもモノが売れない企業が発生する。
特に医療現場では、患者という生身の人間を扱うので、
本能的・倫理的に従事者にとっては
「とりあえず今は力を振り絞って頑張ろう」
というインセンティブが湧きやすいのだと思われる。
悪い言い方をすれば思考停止して
近視眼的な行動に走りがちだということだ。
政府と厚労省があれだけ医療費を削っているのは
そうした特殊要因を背景に、
医療業界はかなり労働環境が悪化しても持ちこたえられるだろう、
という冷徹な計算があるような気がしてならない。
看護師不足が病院経営の危機すら招くことを改めて問い直し、
労働環境の改善を急ぐ必要があるのではないか。
首相や厚労省の官僚にとって、
看護師の労働環境の改善を急ぐためには
かなりのインセンティブが必要だろう。
劣悪な環境で長時間働いてくれる素晴らしい医療従事者たちがいるのに
わざわざ彼らに報いるためだけに予算を消化しても
支持率は上がらないし、省益にもならない。
インセンティブが沸くとしたら、
市民の目に見える形で医療が崩壊し始める時だろう。
つまり、労働環境を改善するためには、
看護師は労働環境がおかしいと思うならどんどん注文をつければいいし、
それでも改善しないなら辞めればいい。
それよりも有効な方法を思いつかない。
看護師不足から必要な配置基準を守ることができず、
病棟閉鎖する病院も全国で散見されている。
その結果、病棟を閉鎖する病院は一時的に増えるだろうし、
その結果病院不足で死ぬ人も一時的に増えるかも知れないが、
医療をどの水準で維持するかには国民的なコンセンサスが生まれるだろう。
結局、平均的に看護師が労働条件にわがままを言うようになっても、
数年すれば医療はその水準まで回復して、
やや高い医療コスト負担と見返りに
適正で維持可能な労働環境が達成されるはずだ。
こうした問題は、医療業界で特に目立つというだけであって
基本的にはどの産業でも起こっている。
労働者が労働環境にNOと言う事で
短期的には世の中にとってマイナスになるが、
長い目で見れば労働力が最適に配分され望ましい世の中になる。
もちろん、アメリカのように労働者がNOと言い過ぎるために
ひどいサービスしか提供されないという失敗も起こりうるが
日本の場合は労働者がYESと言い過ぎることによる
負の影響の方が大きいように思われる。
例えば、あなたが安月給で3年間有休も取らずに連日徹夜で働いたとすれば、
引退後に自費出版する自伝でモーレツぶりを自慢するには便利だが
後任者は陰であなたのことをどうしようもない奴だと思うだろう。
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