アフガニスタンの邦人殺害で感じたこと -- このエントリーを含むはてなブックマーク

アフガニスタンで活動していた伊藤和也(31)さんが殺害された。

こういう時に出てくる意見は主に、
・「ご冥福をお祈りします」系
・「犯人許すまじ」系
・「危ないって分かって行ったから自業自得」系
・「政府が退避勧告したのに行くなんてけしからん」系
といった感じである。

それぞれの言いたいことは理解できるが、
私が今回気になったのはもうちょっと別のことである。

報道されているように、
伊藤さんは貧しい人・困っている人を救いたいと思って
NGOに参加した。
これはきっと事実だろうし、素晴らしい志だと思う。
しかし、なぜアフガンでないといけなかったのか?
というのを理解するのは容易ではない。
日本にも助けを必要としている貧しい人はたくさんいるし、
世界に目をやればアフガンより貧しい国はたくさんある。
そもそも、貧しい人を直接助けに行かなくても、
よりよい社会のために貢献する道はたくさんある。

これはあくまで想像にすぎないが、
本人が明示的に意識していたかどうかは別として、
伊藤さんは何かに追い詰められていたのではないか?
と私は考える。それは、
ボランティアとしてのより目立った業績、
といった直接的なものかも知れないし、
自分が社会の役に立っているという達成感
のためかもしれない。あるいは、
家族や知人に立派なところを見せたい
といったプライドのようなものかもしれない。

「ボランティアをするのに目的なんてない」と
言ってしまうのは簡単だが、突き詰めて考えれば、
全ての行動は必ず自分のためにとっているものである。
例えば、昨年のアフガニスタンでの韓国人拉致に関しても、
ボランティア活動が表面上の目的ではあったが、
背後には教会間の熾烈な布教競争があったと聞く。

確かに、私は彼の経歴についてはよく知らないし、
彼の個別事例に関しては私は見当違いのことを
言っているかもしれない。

しかし、今日の日本で社会的弱者と社会的強者のどちらが
アフガニスタンのボランティアに応募する可能性が高いか、
ということを考えて欲しい。
本来のボランティアは、強者が弱者を助けるところに
社会的な価値がある。しかし、アフガンのような極端な
ケースでは、社会的弱者が何かに追い詰められて
ボランティアをしているという疑念が払拭できない。

そう考えると、今回のようなボランティアの犠牲者は、
直接的には武装勢力の犯人にやられたのであるが、
間接的には日本社会が生み出した犠牲者なのでは
ないかと思ってしまう。

そういった可能性を考慮したとき、
和也さんのご尊父が述べた
「和也は家族の誇りだと、胸を張って言えます。」
という言葉に対しても、
完全な同意ではない複雑な感情が湧いた。

いずれにしても、彼の冥福をお祈りしたい。
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テーマ : ボランティア活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

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No title

私もボランティアでアフリカで働いています。


追い詰められている感覚はありませんが、日本でステレオタイプの成功?(既婚子持ち、年収一千万円以上)以上の生活をしていたら日本にとどまっていたのは確実だと思っています。


ボランティアの友人の中には新卒で就職するところがなく(するのが怖く)、アフリカまで来てしまった人もいます。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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