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教員に求められる資質とは -- このエントリーを含むはてなブックマーク

文部科学省が、現在の教員免許制度を変更し、
正規教員となるためには修士レベルを必須とする新制度を検討しているという。
これに関して、いくつかの視点から考えてみたい。

1.文部科学省の思惑

大学教育に関して文科省と大学に共通の至上命題は、
少子化の中でいかに学生数を確保し規模と収益を確保するか
ということに尽きる。

少子化による学部学生数の減少は避けようがないので、
大学院を拡充する戦略は消去法的に正しい。
司法試験改革と法科大学院制度に見られるように
人気があり生涯賃金の高い職種に大学院終了を義務づけて
大学は学生数や収益を確保するのは一つの方法だ。

小中高の教員は安定していて待遇の比較的良い職業であり、
就職市場における人気も高い。
また、業界自体も文科省の監督下にあるため、
修士卒を必須とするには非常に都合が良い。
正規の教員数は、全国で小学校で約39万人、中学23万人、
高校22万人(平成20年、学校基本調査)と規模が大きいので、
修士を義務付けることができればかなりの「教員養成需要」が発生する。

2.院卒教員に期待できるもの

学部教育と大学院教育は似て非なるものだ。
学部は真面目にお勉強をしていれば卒業できるのが基本だが、
大学院は大人として自主的かつ能動的に勉強や研究をしなければならない。
成果を論文という形できちんと表現する必要もある。
そうした学問に触れた経験は、教育者にとって有用だ。
ただし、それを必須とすべきかに関しては意見の分かれる所だろう。

どの科目でもそうだが、高校教員の中には科目に関して
十分な知識を持たない者もいるのが現状だ。
比較的少ない知識で教えられる数学でさえ、
「教科書の後ろの方はまだ予習してないから質問しないでくれ」
という高校教員がいるのを知っている。
外国語など圧倒的な知識量が必要な科目では目も当てられない状況だろう。
学位よりもきちんとした基礎知識の有無を検査する方が重要である。

また文科省は、院卒の中でも教職大学院や教育学研究科など
特定の大学院を念頭に置いているようだ。
確かにそういう場では一般化された教育の方法論を学ぶ機会は増えるだろうが、
わざわざ2年間を費やして全員に学ばせる価値があるかどうかは疑問だ。

3.本当に必要なのは職務経験

中学・高校教員に最も必要なのは、
学歴ではなく一般企業などにおける職務経験だ。
社会が変化するに従い、生きていくために有用な知識や技能は変化し、
教育もそれに合わせて変化する必要がある。

資本主義社会では社会構造はお金を仲介して自動的に変化するが
初等・中等教育にはそのような仕組みがない。
大学や大学院を出たばかりの教員が、
習ってきた事をそのまま子供に教えるのでは
同じ知識だけが再生産されカリキュラムはどんどん老朽化する。

保険会社で料率計算をしていた人が高校で数学を教え、
元銀行員が現代社会を教える。
製造業企業の開発現場にいた人が理科を教え、
細工場の製造現場にいた人が技術を教える。
そうした方法でのみ、教育はダイナミックに変化することができる。

本当にダイナミックな国を目指すなら、
中学・高校の教員になる要件に大学卒業後2年間の
実務経験を加えれば良い。
新たに大学を作る必要もないし、
教員になるための個人の経済的負担も重くならない。
子供は進路相談をできる大人が増え、
今より明確に将来を思い描くことができるようになるだろう。

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テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

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No title

教師に実務経験を義務づけるのは面白いと思います。

私は地方の公立高校に行っていたのですが、進路指導で、偏差値だけを指標に(学部すら関係なく、)大学を進められたことを今でも覚えています。学校には、試験というとても解りやすい1次元の評価軸があって、その点で異質な隔離された社会だと思います。中学>高校>大学>高校(教師)と、その隔離された空間だけで生きてきた人は、自分のもっている評価軸にのみ基づいた進路指導しかできない。

私はカナダで統計学を専攻する修士2年生なのですが、(申し遅れました。)高校のころ、数学が他の応用分野の基盤としてどれだけ重要であるのか、それによってどんな凄いことができるか、海外でもその知識がどれだけ評価されているかをもっと教えてくれる大人が周りにいたら、自分の人生近道できたのになと思います。ま、自分のリサーチ不足だったんですけどねw 長くなりました。

No title

保険会社で料率計算をしていた人が高校で数学を教え、
元銀行員が現代社会を教える。
製造業企業の開発現場にいた人が理科を教え、
細工場の製造現場にいた人が技術を教える。

これ、贅沢でよいですね。 私もこんな先生に習いたかったです。

アメリカでは、公立校で”学歴手当て”が出るので、小学校低学年の担任からほとんど修士卒。 高校の専門科目ならともかく、どう考えてもオーバースペックのような気が。。 色んな研究で、教師の学歴と資質は比例しないと出ています。 

No title

修士、修士じゃないに関係なく公立中学の英語教師にtoefl受験を義務付けてほしいです。
私の通ってた中学校の教師は英検準1級だと言っていました。当時は「へー」程度に思っていましたが、今から考えるととんでもない学校に通ってたもんです。準1級ってtoefl82点ですよ。スピーキングで「あー」とか「うー」とか連発しても取れるレベル(たとえば、25,22,15,20で82点)。働きながらでも100オーバーをとる人がたくさんいる時代、準1級で「英語のセンセイ」を恥ずかしげもなく名乗れるこの国の教育は本当におかしいと思います。彼女の給与を考えると余計腹立ちます。toefl100行かない英語のセンセイは授業は若い院卒に任せて雑務専門の秘書になればいいと思います(給与は手取りで15万程度でいいでしょう。地方なんてそんなもんです)。

No title

社会人が教師を目指しやすい環境を整えて欲しいです。
社会人が教師を目指す場合、働きながら目指すには教員免許を持っていることが必須になります。
教員免許得るためには教育実習で2週間学校で実習をしなくてはならないため、社会人では不可能だからです。
小中高の免許取ろうとすると合計6週間です。
教員免許は通信教育でも取れますが、結局この教育実習で詰まります。

教師になる気もない人が教育実習を受けて問題になっているという話もある中、大学卒業後教師になりたいと思った人には(教育実習の為に)会社を辞めるというリスクを取らない限り、教師を目指すことができないという環境は改善すべきです。今の環境だと、家庭を持ったら教師なんて目指せません。会社辞めれませんので。

教育実習なんて教員採用試験合格後でいいのではないでしょうか??



No title

Yumiさん:

あ、どうもです。予備校で教えてた経験からすると、私立の有名校なんかだと医者とか弁護士になりたいという高校生が多く、それはそれで構わないんですが、他の職業を知らないんじゃないか?と不安になります。今はネットがあるので、知る意欲がある人とない人では情報量に物凄い差が生まれてそうですね。

NSさん:

アメリカの学部卒はあまり当てにならないですからね。米国の修士卒と日本の有名大卒は知能やブランド力の点で似たような感じがします。確かに中学あたりまでは学歴と教師としての資質の相関は低そうです。

dさん:

英語のできない英語教師はどこの中学・高校にもいるようですね。公立中学校などではむしろできる人の方が少ないのかも知れません。首にすべきというのはもっともですが結局は雇用問題ということでしょう。

匿名さん:

教育実習をどうすべきかは難しい問題ですね。適性を評価するという問題もあるので本来的には免許取得の条件とすべきだと思いますが、社会人の時間的制約を考えると何か代替的な方法が必要だと感じます。採用後は簡単に首にできない、という日本特有の雇用の問題がここにも効いてきていますね。

ちなみに私は中学と高校の教職免許を持っています。やる気のある生徒に教えるなら面白いと思っています。今のところは機会がありませんが。

No title

現状だと東大や京大の教育学部卒の学生は教員にならないわけで、これが修士必須となると旧帝大や早慶あたりの層も見切りをつけるでしょう。
そうなると地方国立や中堅私大の修士卒が大量に出るわけで、質を考えると空恐ろしいですね。
日本数学会の会誌に博士取得者が論文名と共に毎年載ってますが、教育系は日本語で学部2、3年ぐらいの内容をネタにしてて何がしたいのか意味が全くわかりません。あんまり大きな声では言えませんがしわ寄せが数学科の教員にきそうなので勘弁願いたいですね。

No title

axeさん:

まあ、教職大学院って何をやりたいのか良く分からないです…。いや、枠を埋めたいって気持ちは痛いほど分かるんですけど。むしろ、学部2~3年レベルのものしか求められていないならば院生でも指導できそうなので問題ない気もしますがどうでしょう。

No title

自分の周りにも教員志望の学生が山ほどいますが、本当に彼らが数学・情報の教員になるべき資格があるなのか非常に疑問です。
確かに人員確保という意味では必要かもしれないですが、はっきり言って教えられるほど数学力があるとはこれっぽっちも感じません。
それが日本の大学生の現在の姿なのかもしれません。
はっきり言って、彼らは教員試験さえ突破できればいいやなんてしか考えていないのが残念です。(口が裂けても僕がそんなことを彼らの前で言えるはずがないですが・・・笑

No title

Dehmelさん:

大衆向けの公教育のリソースには経済面・人材面の両面から非常に厳しい制約があると認識することは大事ですね。「教育は聖域で質の確保は絶対条件」というような雰囲気がありますが、実態としては、職員の週休二日を実現するために「ゆとり教育」なんて建前が必要だったわけですし、今度は知識の乏しい教員でも授業ができるように「反ゆとり教育」をやらなければならなくなっているわけですからね。小学校の英語教育にしても、教育リソースをどうするかが主要課題のはずなのにそれがあまり注目されていません。

No title

実務を経た人材を教育に回すのは良いアイディアだと思うのですが、問題は時流に乗ってイケイケな職業に就ける人が高校レベルまでの教育を、金銭的にも精神的にも魅力的な仕事と思えるかどうかという点がひとつ。そして、上手く教えるためには結構手間暇かかるし、実務でバリバリできる方が教えることが上手い、基礎レベルの知識がしっかりしているとは限らないという問題もありますよね。高名な学者さんが、自分の専門分野においても教えるのが上手いわけでは必ずしもないですし。そこら辺のクオリティコントロールの難しさは残ると思います。

どれだけ信用に値する主張かはしりませんが、アメリカでも女性が伝統的に男性に占められていた職場に進出するようになってから、金銭的に大して魅力的でもない公教育にはロクな人材が行かなくなり、公教育が本格的に崩壊したという主張もあるようです(明らかに単純過ぎますが)。頭の良い女性が良い仕事をできる数少ない場が教室だった、ということが前提なのでしょう。

どうにしろ、教育が魅力的な職場でなければ良い人材は流れて行かないでしょう。

No title

実業界から人をひっぱて来て先生にするということではなくて、教員になる人全員に実務経験を求めるということです。大学院に2年間行っても、基礎学力や授業技術が磨かれるとはあまり思えないので。別に時流に乗った職業じゃなくても、IT土方、重厚長大産業の窓際ポスト、居酒屋店長なんかでも良いと思います。

限られた制約の中で公教育に人材を集めるのは非常に難しいですね。まずは専任教員に雑務を全部やらせるのをやめて仕事を切り分けることでしょう。これで最終的には実質的な待遇を上げられます。教員も専任と非常勤を分け、例えば社会経験必須の専任教員には2クラスずつ担任を持たせ、進路指導や学校運営に関する仕事をやってもらう。その代わりに授業負担は軽くする。技術的なクラスは院生やポスドク、外国語なら外国人などの非常勤に持たせる。そこで賃金総額を抑えるというようなスキームでしょう。

毒之助さんがお気づきのように、この方法の最大の争点は非常勤の院生やポスドクがJKに変な想像を働かせるのをいかに止めさせるかということです。

興味深いですね

学位=基礎知識が備わっている
この状態でないために大学院(修士)重点化が図られています
したがって,大学の経営面と,教員などの人材育成面とはリンクして考えにくいと思いますよ

教育に携わるためには,学歴+社会経験が必要で,学歴は必須です
84万人の教員を必要とすれば,学歴も社会経験も不十分な者が教員として紛れ込む
この不都合を少しでも緩和するためには,今のところ大学院重点化は避けて通れません

将来的には企業経験者も多数が教壇に立つことが望まれる点では意見は同じですが
学校とは基礎を教える場所ですから,単に企業で料率計算の経験があっても
生徒に教えるという経験がなければそう簡単に教壇に立たせるわけにはいきません
子どもに基礎を教えることは,意外と大変なのですよ

料率計算に用いる計算知識で,学校教科書の基本として教えることができるものを
抽出し,自身で教科書を編纂,指導方針と計画を立て,大学院に通いながら学校や塾に
お願いしてそれを実践,結果をフィードバック,これだけでも3年はかかると思います

No title

うーん、同意できる面としかねる面があります。

今回の件と大学経営が関係ないという見方はナイーブすぎると思います。まず、修士を義務付けると教員の基礎学力が充実するという理屈が良く分からないです。基礎学力の不十分な教員志望の学生が大学院に行ったら基礎学力が充実するという気は全然しません。同じ仕事に就くために2年間の大学院を義務付けたら志望者が減るので、むしろ平均的な知的水準は低下しそうですよね。院卒の方が待遇が良くなるというのも説明になりません。それは単に予算措置の問題です。

社会人なら簡単に教員にすべきとは言ってませんし、実際そうすべきでないでしょう。「教員になりたい人に実務経験を義務付ける」という話です。もちろん、大学院2年間で授業の仕方を実践的に徹底的に学ぶというのなら別ですが、現状を考えると2年間の実務経験を積ませた方がよほど意味があると思います。

>これだけでも3年はかかると思います

これが現在の教育現場の発想なのだと思います。そこまで肩に力を入れなくても、教える内容に関連する事を雑談や例として出すだけで良いのですよ。例えば私は統計の入門コースを教えており、これは日本では昔の高校の「確率・統計」のレベルの内容ですが、金融機関や医療統計での実務経験と関係した内容があると事前に準備しなくても自然と口から出てきます。また僕は数学の免許しか持っていませんが、現代社会、英語、情報、国語(現代語)あたりを教えなければならないとしても、通常の準備の範囲内で実務経験を活かせるのは間違いないです。自然科学は僕は詳しくないですが、それこそ一番経験が活かせる分野でしょう。百歩譲ってほとんどの教員が実務経験を活かせない分野があったとします。そんな分野、学校で教える必要ないですよ。

No title

レス有難うございます.
教育をダイナミックに変化させるため,お互い頑張りましょう.

>基礎学力の不十分な教員志望の学生が大学院に行ったら基礎学力が充実するという気は全然しません

合理的に考えればおっしゃる通りです.ところが,実務経験を積ませる以前の問題が日本にはあります.それは,優秀な人間は大卒後に企業へ就職してしまうため,教員志望者の質は決して高くないこと.そのような状態で少しでも質を上げるため,つまり消極的な意味合いで大学院教育が提唱されています.極論すれば,現行制度では,大学院を経ずに実務経験だけを積ませても,それも消極的な意味合いで相対的に力量がアップする結果になります.大学院教育よりも実務経験を積ませる方がよい,私も同感です

>通常の準備の範囲内で実務経験を活かせるのは間違いないです

この点はwillyさん,理論的には様々な面で生かせるのは間違いありません.しかし,それは生徒が課外で自主的に勉強することが前提です.つまり大学では可能.しかし小中高の現場では難しいのです.
教育現場では教える相手は初学者です.数学なら例えば,まずは基本の計算式を,時間をかけて指導しなければなりません.絶対的に指導時間が不足する環境で,基本を丁寧に指導することが教師の仕事.その合間に雑談程度であったも話題を挟む時間はないのです.生徒の眠気ざまし程度しか活用できません.まず,小学校教育では絶対にやってはいけません.大人の経験談に小学生が目を輝かせることはありません.これは小生が実験済み.中学校教育は弱冠余裕がありますから可能かもしれません.高校教育は活かしたいところですが,理系なら実質的に5年分ほどの数学を3年で教えてますから,雑談したら教師失格です.大学入試制度を変えなければなりません.ですから,高校レベルで活用するには実際に教科書に盛り込めるものを抽出するしかないのです.むしろこの方がダイナミックですし現実的です.という意味で3年はかかります.

とすれば,雑談程度なら他の実務経験のある先生を起用する目的はかなり限られますし,その程度なら現在の教員で十分です.そのような先生方が生かされるのは,学習指導要領を逸脱するレベルの教育をやっていこうというチームワークが組める点です.組織的に動くことができる.これが最大の利点かと.あなたの言う進路相談でも活躍できます.やはり今のところ消極的な意味合いでしか教育は改善できない,これが現状です.

小生はwillyさんのいうダイナミックな変化を起こすため,物理と数学を混在させたり,実務を多少実感できる内容を盛り込んだ教科書を作成して実際に使っています.また,そのような内容を指導できる免許制度も検討中.自治体レベルでこれらを将来的に提案して行きます.授業を変えるなら教科書と免許制度を変えるしかない.
しかし,科学技術立国を支える人材育成の一環ですから,現実的には使える人材は残念ながら限られます.数学の先生は物理のわかる技術屋にしか無理です.小生の教科書を使用するなら数学専攻の先生は現実的に使えません.社会は英語で教えたいので,英語ペラペラの実務家が社会の勉強をしてもらった方がよいです.

長々と書きましたが,お互いフィールドが違いますから視点も違うでしょう.ダイナミックな変化を起こすため頑張ります.

No title

蒟蒻さん:

小中高の間では、かなり状況が異なるという点には同意です。各科の教育で社会人出身者を入れてメリットが大きいのは高校のほとんどの科目と中学の国・英・社あたりまででしょうね。ただ、基礎がなっていないとか、時間が足りないからという理由で、常にカリキュラムから脱線せずに授業をすべきかというと、それはまた難しい問題だと思います。

もう一つ私が気になるのは、もちろん個人差が大きいのですが公立中学等には子供のまま大人になってしまったような先生が少なからずおり、学校を世間とかけ離れた姿にしてしまっている点です。学校を正常な社会にするには、教員に社会経験を求めることは必要だと思います。

意欲的なカリキュラムを実現するためには義務教育であってもレベル別クラスを編成することも大事だと思います。私の住む地域では、親の希望でサイエンス重視の小・中学校に入れたり、成績の良い生徒を集めて別の高校に進ませるというような仕組みが増えてきています。

しかし、日本の初等・中等教育現場に蒟蒻さんのような意欲的な方がいるのは心強いです。もちろんどの社会でも話の分かる人は多くないと思いますが、良い変化が起こせると良いですね。

No title

技術者が教員になる・・なんてことは,教員が技術者になるのと同じくらい難しいのでは?
はやり仕事には向き不向きがあると思われます。おそらく,それは小学校の先生と中学校の先生と高校の先生の中にもあることと思われます。

現在,教員はただ教えるだけの仕事ではなく子どもや保護者のカウンセリング的な立場もあったり地域との調整的な仕事もあったり,それに学力をつけなければならないという社会的な要請があったり,社会のひずみを全て学校が受けているような状況にあると思います。

教師の待遇がいいのかどうかわかりません。高給といえば高給だろうし,判断は難しいでしょう。じゃあ,教師をやってみてくださいと言われてできるようなものではないと思います。家庭教師程度だったらできるかもしれませんけどね。40人の子どもを教えて・・・は大変です。

資質の向上は必要ですが,誰を選ぶかは県の問題ですから,人事担当の人の人を見極める力量が問題のような気がします。

No title

たかさん:

必ずしも他の職業の人を転職させて教員にするということではなく、教員になる人に2年程度の実務経験を義務付けるということです。例えば、教員志望の学生は、大学で教員免許を取った後、2年間、メーカーなり、研究所なり、証券会社なりで働いたら教員になれるようにするということです。この条件は「教員以外に向いている職業がない人」以外は満たせるはずですよね。その条件を満たせない人が教員になるのはちょっと問題かと…。

教員になるための能力、教員の待遇、採用プロセスに関してご意見を述べられていますが、一番の問題はあらゆる業務がごちゃまぜになっていることじゃないでしょうか。同じ小学生相手でも、理科、体育、音楽の授業、保護者との面談、行事の運営などでは必要な資質はかなり違うと思うのです。それを全部一緒くたにしてやらせてるから、先生をやるのが難しく大変なのではないでしょうか。学校には業務を切り分けて合理化するという努力がもっと必要で、教員個人個人がもっと頑張れという問題ではないと思います。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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