数学は教えてもらえません。 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

私はmixiのアカウントを持っているのだが、
某美人人妻(※)のマイミクに加えてもらっていて
そこに面白い日記があったので勝手に紹介したい:

勉強のできる度合いは3つに分けられて
1 人に教えられても理解できない。
2 人に教えられて理解できる。
3 自分の力で本を読んで理解できる。

2の人は学問的に成就できない場合が多い、、、と思う。
わたしはもちろん2なんだけど、2の人の割合はすんごい多い
私は何を隠そう、大学の数学の授業はもちろんちんぷんかんぷんだったけど、
分子生物学でさえあんまり理解できなかった。。
生物なんてほんとに理解しやすい分野なのに。。。
これは都市部で育った塾に頼った勉強をしてる人間に多いんじゃないかと思う。。


え?まじ?そうなの?とちょっと戸惑ったのは、
私にとってはほとんど1と3のパターンしかあり得ないからだ。
自分で本を読んでも分からないことを、
一瞬の空気の震えだけで理解できるはずもない。

実際、数学の授業なんてほとんどまともに聞いたことがない。
非常に真面目に取り組んだ授業でさえ、
板書を丹念に追い、論理な誤りや疑問点を正した上で
ノートを取って後から自分でゆっくり理解するというのが常であった。

これは、別に私が特殊だからではない。
昨年秋に WS大数学科の学科長を長年務めた Lawrence Brenton 教授から
数学科の教員に送られたメールの一部を紹介しよう。

In my humble opinion, the “boring lecture” format is the worst
possible way to teach and to learn mathematics.


(訳)これは単なる私の意見だが「退屈な講義」形式は
数学を教えたり習ったりする上で最悪の方法だ。


Brenton教授は、退屈な講義がいけないと言っているのではない。
講義は退屈だと言っているのだ。

Speaking only for myself, when I was an undergraduate student I rarely attended any
of my lecture classes, finding it a more profitable use of my time to stay home and
read the book. Now that I am a real mathematician, I sheepishly confess that when I
attend meetings, even on topics that I am intensely interested in, I do not usually
get much out of the scheduled talks, in comparison with informal discussions around
the coffee machine.


(訳)個人的な体験から言えば、私が学部生の時、殆どレクチャーに出たことなんてなかったし、
家にいて本を読むのが一番良い時間の使い方だった。数学者になってからも、白状すると、
興味のある学界に参加した時でさえ、発表を聞いても得るものは大してなく、
それに比べれば非公式の談義をコーヒーマシンの近くでする方が余程役に立つ。


数学者ですら、いや、数学者ほど、数学の講義を聞くことに大した意味があると思っていないのだ。

講義をするのは仕事でもあるしそれなりに楽しいものだが、
教えている本人ですら、その授業を聞いたら理解できるとは思っていない。
むしろ、その場で聞いて理解する学生がいると驚いてしまうし、
それは学生にとって講義が易し過ぎるのではないかと感じることもある。
もちろん、講義ノートはきちんと作るし、
それは理解するまで何度も読み直す価値があるように工夫する。
しかし、授業でしゃべっていることというのは、おおよそ
バック・グラウンド・ミュージック程度の価値のものだ。
ないと退屈だが、別に本筋とは関係がない。

良い本と、講義ノートと、質問できる人と、時間と、議論できる友人、
そしてそれらのための快適な場所だけが数学をやる上で本質的なものだ。

数学の授業が分からないという人は、
一度耳栓をして講義に出てみてはどうだろう。
二人で耳栓をして後から先生が何を言っていたか
議論するのも一興かもしれない。

(※) 東電"美人"OL殺人事件みたいなもの。
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テーマ : 数学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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非公開コメント

No title

学問的向上心が尽きたオッサンの戯言ですが、実のところ自分の様な普通の人(知識取得能力が並の人)はただ単に3をしたく無いだけだと思います。

健康の為に毎日ランニング2時間と心がけても年単位で出来る人はごく一部であるのと同じように学問も継続的にすれば並の頭でもそれなりには理解出来るのでしょうが・・これがまた中々(苦も無く実行出来る人も実際見かけますが)

Twetterやblogなどを見ているとそのような事が易々と出来る人ばかりですので余計自分の意志の弱さが確認出来て凹みます。

凡人としては聞いた程度でなんでも理解できる天才がいると想像して、それに対して羨望するのが一番楽です。

No title

Dallas の大学院生です.個人的には講義を有効に活用しきれてない自分に腹を立てる日々なので,教える側の方からこのような”告白”をして頂けたのは気が少し落ち着きました.

ただ,某美人人妻さんwご指摘の三点は,相互に独立なのではなく順序付き依存なのでは,と感じました.こんな感じ:

3.自分で本読む.
->
2.分かんなかった場合人に聞く.
->
1.それでも分かんなかった場合むりぽ

私は教科書読んでも分からなかった事が,クラスメイトに聞いたら一瞬でわかったという経験が何度もあります.自分の読解力か,教科書の記述法かに原因があるんでしょうけども.

No title

マルマルさん:

本当にそう思います。
貴乃花は現役の時、負けたり不振になったりすると
努力不足です、と必ず言っていましたね。努力家であると同時に、
自分の才能に対する揺ぎ無い自信もあったのだと思います。

No title

>クラスメイトに聞いたら一瞬でわかったという経験

確かにこういうことはありますね。いくつか理由があると思います。
1.教科書というのは美しく書かれているものなので
  必ずしも一番分かり易く書かれていない。
2.書く人に時間、スペースが十分でない。
  重要な図や分かり易い例などがそうした都合で省かれる。
3.説明する人が、読者にとってどこが難しいのかという事が
  分かっていない。

娘が、ベネッセの「子供ちゃれんじ」(進研ゼミの幼稚園版)を
やってるんですが、子供用の教材って分かり易いですよね。
あのノリで、微積や線形代数の教材作ったら、今の3倍くらい
の数の学生がきちんと理解できるかも知れません。

一クラスの人数も多すぎると思うんですよね。
本当だったら3~5人くらいが適度なサイズだと思いますが
そんな教育リソースは普通はないので。

No title

日本の大学の講義はHow toを全く教えないし、学生が質問しないっていうのもあると思うんですよね。その女性の例だと生物学(に限りませんが)をやる上で覚えないと仕方ない面を考えるから理解できないとなるわけで、もし教員が授業で覚えろと言ったり、そこは理解すべきところですか?と聞けば納得して先に進むでしょう。

大学生なんだから折り合いは自分でつけろと言えばそれまでですが、もうちょっと親切に学ぶ動機とか学び方をレクチャーしても良いと思います。


No title

axeさん:

なるほど。そこまで深く考えてませんでした。
確かに、例えば統計学なんかでも数学的に
厳密にやろうとするとすごく複雑なんですよね。
そういう時に、著者がいい加減で証明や説明したふりを
している本が一番困ります。
「ここまでは結果を認めてこの先は証明・説明します」
という風にしないと分からなくなってしまうし、
時間を浪費してしまいます。

動機とか学び方っていう点では、
足立幸信さんの「アホでも数学者になれる方法」
http://homepage3.nifty.com/kyousei/note10.html
は(まだ全部読んでないんですが)
パイオニア的で素晴らしいと思います。
今まで、そういう事にフォーカスしてちゃんと本を
書いた人っていなかったと思うんですよね。

No title

授業って聞いてる側としては本当退屈です。
確かに本を読んで、自分の手で動かして初めて理解するものだと感じてる事が改めて正しいんだなと思います。

よく教授に授業に出なくてもいいよとおっしゃってる意味も納得出来ました。
(とはいえ出席拘束のある授業に限ってそうなるんですよねぇ・・・。。。

No title

Dehmelさん:

僕は初めの頃ずっと出席とってなかったんですが、スライドを配布するクラスだと
出席を取らないと、小テストだけ提出して堂々と帰るような学生が頻出して
雰囲気が悪くなるので途中から取るようになりました。そのへんに自分で矛盾を感じます。

No title

こんちは。専門家になるわけでもない私の経験上、「2」が有用になる場合が二通りありました。

1つは、自分が何をやったらいいのか分からない分野を先導してくれる場合。教科書のどこが真っ先に覚えるべきかを講義で指定してくれると、後々無駄な労力をかけずに済みます。数学の本をドカッとわたされても、どこが大事でどこが枝葉なのか分からないので、キツイです。式変形のやり方やセオリーを教えてくれると役に立ちます。

本や文字にしてしまうと情報が平べったくなりますが、講義であれば立体的に、「どこが大事か」を指摘することはできると思います。
違うたとえ方をするなら、白黒の世界に、色をつけて先導してくれるのが良い講義なのかなぁと。まあたとえなんで突っ込みはなしでお願いします。


2つめに、自分が考え抜いて考え抜いて分からなかったところを明確にした上で、先生に質問する場合。質問するときは「何が分からないのか」を明らかにしていないと時間の無駄になってしまう。こういう「何が分からないのか」は勘違いとか、読み違いとか、実に些細なことがきっかけで起こることが多いと思います。他人がちょっと風穴を開けてくれれば解決するというようなことも多い。


でも最終的には「3」ですね。分かった分からないのレベルではなく、「腑に落ちた」感覚を得られるのはやはり「3」です。

No title

>講義であれば立体的に、「どこが大事か」を指摘することはできる

分かります。そういう授業を心がけないといけないですね。
しかし、重要なとこだけ教えるときちんと理解してもらうのが難しく
細部までやると結局平面的になってしまうというジレンマもあります。
それでも、授業はペースメーカーとしての役割が一番大きいと思います。

No title

>板書を丹念に追い、論理な誤りや疑問点を正した上で
>ノートを取って後から自分でゆっくり理解するというのが常であった。

取っている統計のクラスの後、家でノートを読み返したり宿題を解いてからやっと理解できる自分はあまり数学のセンスがないのかなと最近凹んでいたので、Willieさんの上記コメントを読んでほっとしました。

質問できる人がいるのは大きいですね~!今の教授は学生がつまずきそうなところを丁寧に説明してくれる良い先生なのですが、オフィスアワーがなく質問が難しいので。。。

No title

ブルースさん:

いや、きっと頭のいい人は分かっちゃうんだと思いますけどね。
僕は要点を掴むのが結構ゆっくりなんです。よくへこんでいます。

オフィスアワーはあった方がいいですね。日本の大学でも
組織的に導入した方がよいのではないかと思います。

No title

数学は本では理解できない、自学自習では理解できないタイプの科目です。大事なことが本では端折られているからです。

No title

>大事なことが本では端折られているからです。

数学科の方でしょうか。本に全ての事が書いてあるわけではないのはどの科目も同じですが、数学はおそらく一番書かれている分野だと思います。

数学の本に書かれていないのは、おもに主観に依存する部分です。そうした部分は、形式美の裏で読者自身が構築しなければいけない部分なのかも知れません。

No title

あー良かった。ついていけないのは自分だけかと思ってました(笑)。

既にある程度分かっている分野でないと、いくら論理だってようが新しい情報を機関銃のようにまくしたてられても処理能力が追いつきません。

まあ僕はそれでも講義なんかは欠席したりすることはせず夢想ばかりしていたのが凡人な理由なんでしょうけどね。

No title

毒之助さん:

同じくです。アメリカの授業は居眠りしてはいけないところが厳しかったです。

数学について

なるほどですね。

高度になるにつれて、数学は、学び方が難しいと感じております。

勉強が足りないと思います。反省して、勉強したいと思います。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程にてPhD取得。現在、米国の某州立大准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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