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Fランク大学生は大学で何を学ぶべきか? -- このエントリーを含むはてなブックマーク

少子化が進み、希望すれば誰もが大学に入れる時代になって久しい。
競争率が低くほぼ全入の大学は入試難易度が設定されないことから
Fランク大学などと呼ばれるが、そうした大学の一つ、
日本橋学館大学(以下、N大学)の授業シラバスが最近ネットで話題になっている。

英語ならアルファベットの書き方から指導し、中学校レベルの英文法を一からやり直す。
数学なら少数や分数の計算からやり直す、
国語なら原稿用紙の使い方から教える、といった具合だ。
こうした「割り切った」カリキュラムには、もちろん賛否両論あるだろう。
一世代前の大学に行きたくても行けなかった人からは、
「そんな基礎学力もない人が大学にいくなんて資源の無駄遣い」
との声も聞こえてきそうだ。

だが、学生とその親が授業料を払ってきちんと大学に通う(通わせる)意思がある以上、
そうした学生にどういう教育を施すべきかを考えて
最善を尽くすのが大学の使命というものだろう。
そうした意味で学生のレベルに合わせて基礎からやり直す、
というN大学の姿勢には一定の評価はできる。

しかしそうした状況の下であっても、大学と学生は、
大学は社会に求められる人物を育てるための職業教育の場
であるという意識を失ってしまってはならない。
できることは限られていたとしても、
一人一人の能力に合わせて、年齢に見合った、
社会に役立つ能力を身につけることが大切である。
むしろ、研究大学の学生よりFランク大学の学生の方が、
年齢に見合ったなんらかの実務能力を身につける必要性は高いといえる。
なぜなら、大学院に行って更に勉強したり、
幹部候補生として企業に多額の教育投資をしてもらえる可能性が低いからだ。

年齢に見合った能力というのは必ずしも、
高度な科学、工学、哲学、文学、芸術、法律、経営等に
について学ばなければならないということではない。

例えば、
「取りあえずエクセル(あるいはワード)の使い方だけは誰よりも詳しいです」
「ホームページだけは作れます」
「報告書の書式や書き方だけはとりあえず分かります」
「アンケートの取り方だけは分かります」
というようなことでも構わないと私は思う。

むしろ、高度な数学が分からないからこそ、
社会に出てからはデータ処理の裏方に回らなければならないわけだし、
立派な報告書を書くことができないから、
せめて事務処理の部分でエクスパートにならなければならないのだ。

基礎学力は大事だが、
私は社会人になってから原稿用紙を使ったことは一度もない。
事務作業では表計算ソフトを使うために分数を知っている必要はあるが、
ほとんどの人にとって二つの有理数を通分する機会は全くない。
アルファベットが読めないのは困るだろうが、
卒業後、中学の英文法が本当に必要な人はどのくらいいるのだろうか。

そうした知識はもちろん持っている方が望ましいのは間違いないが、
「十分な能力のある人が、高校までに身につける知識」
であって、大学生になってから全員が必死に挽回するべきものなのかどうかは正直疑問だ。

むろん、基礎学力のない学生に、無理に難しい数学を教えたり、
「環境システム概論」のような名前だけ高級な科目で、
意味もなく大学生気分だけ味わせるようなカリキュラムは最悪だが、
基礎学力一辺倒というのも大学教育のあるべき姿ではないだろう。

大学教育は社会に合わせてダイナミックに変わりながら、
学生のレベルに合わせて必要な職業的な知識を教えることが大事だ。

米国では近年、レベルの低い総合大学に比べ、
コミュニティー・カレッジやテクニカル・カレッジといった実務的な
コースを教える大学の人気が高まっており、地方政府もそうした
大学に予算を重点配分するようになっている。
できない学生には基礎学力の充実をと謳う総合大学には、
授業スタイルを変えたくないという大学教員の固執も見え隠れする。


特に日本人は大学に入るまでに筆記試験をたくさん経験するので、
静的な学問を粛々と学ぶ「小・中・高校的な価値観」に支配されすぎている。
「中学数学を●時間で学べる本」や
「ぼけ防止計算ドリル」がベストセラーになっている社会は病気だ。
教科書とノートと筆箱を持って真面目に授業を
聴いていさえすれば良かった古き良き日への憧憬。
それなのに真面目にやらずに落ちこぼれたことに対する罪悪感と後悔。
あるいは、できる学生であればそれに対する優越感と中毒症状。
そうした勉強パターンに固執するのは、
学生にとっても、教員にとっても、ある意味で心地が良い。

しかしそういった感覚を思い切って拭い去り
自分なりに一人の大人としてできることを身につけることが、
大学生と社会にとって望ましいことではないか。
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テーマ : 短大・大学
ジャンル : 学校・教育

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No title

最初はWillyさん得意のネタ釣りかと思って読んでいましたが、マジ記事でびっくり。

学力不要論の趣旨には賛成。

あと私だったら読書の習慣を身につけさせるために、授業時間は何でもいいから黙って本を読む時間にしちゃいますね。
本ばかり読んでいる人もNGですが、本を読まない人(たぶんこの大学の生徒の大半でしょう)の人生は豊かなものにはなりませんから。

あとはPC操作系ですかね。
これからはタブレットが家庭内で普及して、PCというかキーボードを操作する機会がない若者が増えるでしょう。

No title

野生の証明さん:

PCを使うのは敷居が高い学生もいるでしょうから、全ての授業がiPad 一台で済む
「日本タブレット大学」なんてのがあってもいいかもしれません。願書出すのも大変だから、ワンクリック入学なんてあったら便利ですね。

No title

若干トピズレになりますが、自分は7歳と2歳の親なのですが、知性は遺伝的適性が8割くらいだと信じてるいるので(フリーである)高校までに適性を見極め、あまり適性が無いとわかれば、手に職をつける(特に国外にアウトソースしにくい物、出来れば金持ち狙い系へ)方向へ行く方がコストリターン上子供の為になるのだろうなーと算数が苦手なG2の子を前に考えたりします。(特に北米の高等教育コストは中々掛かるようですし)

トンビがタカを生むよりも、やはりカエルの子はカエルだなーとマスのドリルを教えながら遺伝の力を再確認しています。

No title

マルマルさん:

よく遺伝か、教育か、なんてことが言われますがどうも議論が不完全だと感じます。
生まれつきの能力には、親の能力に依存する部分と、ランダムに決まる部分があります。
それ以外に環境(教育)や本人の努力のように、後天的に決まる能力があるでしょう。

遺伝や環境も大きいでしょうが、生まれつきランダムに決まる能力の占める割合も
かなり大きいのではないかと思います。だって、究極的に生物はそうやって進化して
きたわけですから。単純化すれば、魚からカエルが生まれ、カエルからトカゲが生まれ、
トカゲからトンビが生まれ、トンビから猿が生まれ、猿から人が生まれたわけですよね。

そういう意味で、子供の能力は予測不能である、ということを親は意識すべきなのでは
ないかと思います。

ところで、うちの娘も算数があまり得意じゃなくて残念です(笑)。ようやく、
「17-5」 と 「17-9」 では計算のパターンが違うということは分かったみたい
なんですが、「17-9」のような筆算のメリットがないものも毎回筆算ででやるという
センスの悪さです。私が教えられるのは算数しかないので、取りあえず気長にやっています。

No title

Williyさんにそう言ってもらうと少しは望みが(笑。

それでもハイスクールを出る頃までには「学ぶ事が好き」でそれに対して適性が有る無しは(勿論絵心やスポーツなどもそうでしょうが)判ると思うんですよね。

昨今の大学は出たが行き先がないという先進国の状況を見るにつけ、所謂適性がある上層以外は多額の学生ローンなりを背負って行くべきリターンを得られるのか?とかなりの不安を持ってます。

まあそれでも本人がローン背負ってでも学びたいことが有るというのであれば、それはきっと喜ばしいとおもいますが、スネをかじる気ならそんなスネは無いと今のうちから言い含めています(笑。

自分は噛りまくったのに勝手なもんですが(汗

No title

アメリカでは出願さえすれば受かるカレッジに入ったが勉強の楽しさに目覚めて研究者を志したいというような
学生の希望が編入等で通り、更にテニュア条件があるのでコネで万年助手みたいなのもそんなにおらず活躍もできる社会になってるからまだ良いですが、
日本でこういうノリのことをやると文字通り「バカは勉強しても無駄だから手に職つけろ」と二元論になりませんか。

No title

マルマルさん:

多くの人にとって大学教育をペイするようにするのは難しくなるでしょうね。
情報化社会になった以上、一握りのクリエイティブな人が
大半の所得を独占するのは仕方ありません。
お金持ち向けというか富を独占した人の需要を満たす仕事をするのが次善策
ということになるでしょう。

axeさん:
今の大衆向け大学教育で「手に職もないバカ」が量産されている以上、
「バカは勉強しても無駄だから手に職つけろ」となるのは仕方ない気がします。
進路の柔軟性が低い点は改善する必要があると思いますが、究極的には
日本では少子化で教育資源が過剰になるのですから解決可能な問題では。
日本は既に、「やる気」さえあれば大学院に全入の時代ですし。

No title

大卒というものの一般的価値がなくなってしまっているのにFランだとか一流だとか言ってみても意味があるのでしょうか。基礎ができていなければ専門書を読み下せないのは当たり前。だから、そこの学生の出来が悪くて、教授陣が手とり足とりで基礎学力の補強をする必要があるのは勿論なのですが…

学生側についていける能力があるかどうかは別問題ですね。最終的に各学部の卒業生に相応しい学識が備わるようにできないような処は、そもそも大学としての適格性に問題があるのですよ。

入口で出来が悪くても出口では日本の学部卒として恥ずかしくない程度に仕上がっている。ここの一線が達成できるのであれば、まぁ入試の偏差値が低くても目溢しする余地はあるとは思います。

でも、そういうことをやろうとすれば莫大なコストがかかるハズですから…難しい事になるでしょう。

ですから、どの道淘汰は進んでゆき、私大教職員の大半はリストラ、転職の憂き目に遭うということになるでしょう。元来、教授、助教授と呼ばれるような学者ですか…そういう職業に相応しくない人達がたくさんいるということです。

No title

おでかけ島根さん:

大学というのもあくまでサービス業ですので、基礎学力がない学生は受け入れないとか、何が何でも(手取り足取りでも)難しい事を教えるというのは、経営判断として正しくないと思います。米国では基礎学力の低下が著しいにもかかわらず、進学希望者は増加しています。来るものは拒まず、学生の能力に応じて何でも教える、というのが大学が顧客である学生やその保護者に果たすべき責任だと思います。

No title

進学不適格なのに大学もどきのハコモノを設えてそこに入れさせて生ぬるい4年間の後外に放り出す…

能力もやる気も無いホームレスに生活保護を受給させるのと似てますね。
彼らは直ぐにパチンコや深酒を始め、自己研鑽とか向上心とか感謝の気持など微塵もない。
ほどなくして不祥事をしでかし、受給停止か刑務所送りとなる。

底辺大学生も似たようなものです。

ま、就職も、結婚も夢のまた夢となるのは仕方がない。自業自得。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程にてPhD取得。現在、米国の某州立大准教授。

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