マイノリティーは見た目が9割 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

1月16日の米国は、
Martin Luther King, Jr. Dayの誕生日のため祝日となる(*1)。
キング牧師は、1955年から68年にかけて
米国の非暴力を信念とした黒人公民権運動を主導した活動家である。
その功績から64年にノーベル平和賞を受賞したが、
68年にはテネシー州のホテルのベランダにて暗殺された。

63年8月にワシントンDCで披露された"I have a dream"
スピーチは有名だ(スピーチとスクリプト)。
私が高校に入学して英語の授業で一番最初に読まされたのが、
このスピーチと黒人公民権運動の歴史だった。

以下は、このスピーチの中の一節である。

I have a dream that my four little children will
one day live in a nation where they will not be
judged by the color of their skin but by the
content of their character.

アメリカは、64年の公民権法を通してこの夢を実現させた。

この歴史的な転換は黒人の公民権を回復しただけでなく、
グローバル化時代の米国においても重大な役割を果たしている。

私の母校があるW州M市は、今では全米の中でも有数のリベラルな町だが、
1950年代に研究留学してきた日本人は
環境の良いアパートに入居の申し込みをすると断られ、
汚いアパートに入居することしかできなかったという。
しかし、公民権運動の結果として生まれた1968年の
Fair Housing Act 以降、こうした差別的な扱いは禁止された。

米国が公民権運動以前のような状態であったら、
現在のように多くの国から優秀な人材を流入させることは不可能だっただろう。
黒人公民権運動の実績は、数十年を経た今、
重要性を増す事はあっても決して色褪せることはないのである。

様々な権利が法律によって保証されること、
そして人々があからさまな差別をしなくなることは、
例え、それが形式的なものだと感じられる場面があったとしても、
それ単独で極めて重要な社会的な秩序である。

しかしそれでは、米国では差別は完全になくなったのか、
と言われれば事はそう簡単ではない。
仮に、意識的な差別を全く行わない人の中にも
潜在意識下にいわば先天的な差別が根強く残っていると私は思う。

その原因の一つは、肌の色を超えて、米国社会で
白人が「よく見える人たち」であるからだと私は感じている。
いくつかの例を出そう。

大学で教えていると、
何らかの事情で試験を受けられなかったり、
仕事と授業のスケジュールが合わなくなってしまう学生が出てくる。
そんなとき、学生は個別に私に相談してきたりするわけだが、
学生の言い分を全部聞き入れていると公平性を失って収拾がつかなくなるので
いったん突き放して、まずは何らかの根拠を出すように伝えることが多い。
そんな際、――もちろん傾向としてであるが――
なんとかして私を説得しようとする白人の学生が多いのに対して、
黙ってコースの履修や試験のスコアを諦めてしまう黒人の学生が多い。

引越しや、大きな物を運搬する際に人手を借りることがある。
大抵、来るのはガタイの良い白人か黒人の若者だ。
これもあくまで傾向に過ぎないが、
饒舌にいろいろ説明してくれるのは白人のグループの時だが、
黙々と素早く働いてくれるのは大体黒人のグループの時である。

一般的な傾向として、特に男性の場合、黒人は白人に比べ寡黙で
自分を主張することが少ない傾向にあるように感じられる。
私にはその姿が、大切な場面で自分の立場をきちんと
説明できない日本人と重なって見えることもある。

こうした社会的に生じた性格の違いに加えて、
マイノリティーの行動様式がマジョリティーに受け入れられにくい
という構造的な問題もあるように思える。

例えば、夏場にデトロイト市内を車で走っていると、
ぶらぶらと歩道や中央分離帯を歩いている黒人がたくさんいる。
はじめて通る人は、危ない場所に来てしまったと気が気でないだろう。
しかし、歩いている人を見慣れるにつれ、
外をぶらぶら歩く習慣やその歩き方が、
どうやら黒人や黒人文化に独特なものなのだということに気づいた。
アメリカ人だってどこかの南国に行けば、
ぶらぶら歩いている若者が多くても
それは文化の違いとして受け入れられるだろうが、
アメリカにいるとつい自分たちの物差しでその光景を見てしまうのだ。

再度、キング牧師のスピーチから言葉を借りるならば米国は確かに、
"color of their skin" ではなく、"content of their character"
で人を判断できる世の中にはひとまずなったと言える。
しかし、character を測る物差しは、
相変わらずマジョリティーによるものだ。

マイノリティーは、
服装、礼儀作法、行動様式、コミュニケーションの取り方といった面で
マジョリティーの中で引けを取らない努力が必要である。
結局、マイノリティーは見た目が9割なのだ。

(*1) 誕生日は1929年1月15日だが、祝日は例年1月の第3月曜日。


<後書きに代えて>

人は、肌の色ではなく各々の人間性で評価されるべきだ。
そうした観点からは、本エントリーの後半部を書く事自体が物議を醸す。
実際、僕が本エントリーで書いたことを英語で口にしたことは一度もないし今後もないだろう。
しかしこうした特別な日に、人種問題を体感する機会が少ない日本人にあてて
日本語で書く事には意味があると考えてこの記事を書いた。


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テーマ : アメリカ生活
ジャンル : 海外情報

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No title

T州D市で大学院生四年目の者です.裕福な白人が多いこの街・学校で,私も異人種・異国人として"潜在的な差別"にはつい敏感になってしまいます.

ところで,"白人が「よく見える人たち」である"と感じられてることの例として,”大切な場面で自分の立場をきちんと説明できない”人の事例を挙げられてることが,自分の中でいまいち繋がらないです.

No title

notwithstandingさん:

人種問題は、同じ日本人であっても感じ方がまちまちで難しい問題です。
居住環境や人間関係の違いもありますしね。このエントリーの内容も、
読み手によって納得できる部分、できない部分があると思います。

No title

なるほど,おっしゃるとおりですね.

ちなみに最後の,マイノリティーは見た目が大事というのは,本当に同意する所です.

日本からの (特に学部生の) 留学生で,日本独特のはやりの服装や髪型を頑なに変えない人達を見かけますが,そういう人達は得てして非日本人と交われてないような印象があります.人の人生勝手だし,どっちが良い悪いじゃないけども,個人的には反対です.郷に入りまくってでも,現地に順応すべき点はしたいです.

超亀コメですが...

>一般的な傾向として、特に男性の場合、黒人は白人に比べ寡黙で
>自分を主張することが少ない傾向にあるように感じられる。

これ、テナントも同じです。一番主張する、”ダダをこねる”(最悪、訴える)のが白人のprofessional。

セクション8のテナント(8割が黒人のシングルマザー)はウルサイのが多いですが、低所得者でも、とくに男性は主張しない人が多いですね。昔のテナントに、すごい高利の車のローンを借りていて、最後の返済時に、因縁をつけられて、車を持っていかれ、さらに車を返してもらうためにrecovery feeまで取られたのがいましたが(recovery feeを貸してあげた)、返済の証拠があったので、「代わりに抗議してやる」とまで言ったのに、抗議もせず。多分、こんな感じで、ずっと泣き寝入りをしてきたのではないかと思います。

ただ、活動家みたいな人たちはすごいウルサイですね。過去2ヶ月、ダラスで韓国系と揉めてます。(昔のLAやNYほどは大事にならずにすみそう。)



No title

O-yaさん:

おお、同意頂けましたか。この記事、もっと「同意できない」「本質はそういうことじゃない」というレスが、特にアメリカにいる方からつくかと思ってたんですが、意外と納得される方が多いと思いました。黒人は、男性は非常に寡黙で、女性は若い人は静かだが年とともにずうずうしくなる、という印象がありますw
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
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2.Matematical Statistics and Data Analysis
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