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日本で働くこと、米国で働くこと ―― 時間感覚と就労意識 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

僕が米国で働いているのは、米国で仕事が見つかったからであり、
それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、どうして英語もロクに話せない自分が米国で働いているのだろう
と更に考えるともう少し抽象的な答えに行き着く。
それはアメリカ社会の時間や不確実性に対する感覚が
自分に割と合っていたということだ。


答えの糸口は小学生の頃にさかのぼる。
僕は、モーレツサラリーマンと専業主婦という典型的な昭和の家庭に育った。
そして今でも強烈な記憶として残っているのは、子供の頃、
自分の両親の生き方をどうしても自分と重ねられなかったことだ。

子供というのは大人から見ると一見能天気なように見えて
いろいろなことに悩んでいる。
友達、親、兄弟、先生といった人間関係は
自分では全くコントロールできないし、
将来自分がどうなっていくかということは想像もできない。
子供は圧倒的な不確実性の中に生きていて、
それが逆に生きているということの証でもある。

しかし、子供の僕から見た両親や世の中の大人は全く違って見えた。
父親は朝から晩まで一所懸命働いていたし、
母親は今の主婦より一所懸命家事をしていたと思うが、
大変だけれどもそこは完全な予定調和の世界であって
大きな不確実性も悩みも何も無いように思えた。
就職をし、結婚した時に一生の全ての予定はほぼ決まり幸せな人生を送ることができる。
悩むのは、どんな家に住もうか、どんな車を買おうか、どこに旅行に行こうか、
といった極めて形式的な事だけだ。

僕は自分がそういう大人になることが信じられなかったが、
同時に、それが大人になるということなのだ(!)と信じていたし、
そうした安定した状態をとても羨ましくも思った。
中学、高校、大学、社会人と自分が年齢を重ねていく中で、
人生の見通しが立つということに恐怖を感じつつも
大きな期待も持っていた。

しかし、めでたく就職して働く中で徐々に分かってきたことは、
僕にとっては、残りの人生で何をしていこうか、
という悩みの大きさがちっとも変わらないことだった。
自分の年齢が小学生だった頃の自分の両親に近づいて行く中で、
生きるということに対する感覚は
小学生の時の自分と大して変わらないままだった。
自分はアダルトチルドレンなのではないかと疑う事もあるが、
とにかく、自分にとってはこの先の何十年にもわたる人生の計画を
決めてしまうということが感覚として不可能なのだ、
ということが分かってきた。
結果として、同じ仕事をずっと続けるかもしれないし、
どこかでまた別の事をやりたくなるかも知れない。
確かに仕事に連続性は必要だが、
連続していることと固定していることは別問題だ。

そういう人にとって、アメリカは日本よりも断然住みやすい。
アメリカ社会は非常に不確実で、
日本のような安定した社会に比べて割に合わないと思う事も多いが、
結局、今後の事を固定する恐怖が不確実性に対する恐怖を上回ってしまう。

僕は、昭和的な安定した人生が良くない、と言っているわけでは決してない。
正直言って、僕は両親が安定した人生を送ってくれたことに感謝しているし、
自分もそういう人生を送る事ができたら幸せだっただろうとも思う。
自分は娘に、両親が自分に与えてくれたのと
同じだけの安定や贅沢を与えることはできない。

言いたいのはそういうことではなくて、
生まれ持った時間や不確実性に対する感覚というのは簡単には変えられないということだ。
傾向としては日本人は安定した人生を送るのに適した性格の人が多いと感じるが、
そうではない人もたくさんいるはずだ。
幸い、今の日本はいろいろな時間やリスク感覚の人に対応したキャリアが存在しているし、
海外で働く事に対する敷居も下がってきている。

職業やキャリアパス、働く場所を決める上で、
それが自分の時間や不確実性に対する感覚に合致しているかということは、
仕事の内容とともに、とても大事だ。
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テーマ : 仕事
ジャンル : 就職・お仕事

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No title

本当、そういう昭和的安定って本当に”安定”してるか昔から疑問でした。
ただその安定があるおかげで今の自分がある事は否定はしません。

その一方で、どうして周囲の人達がそういう”安定”を追い求めてるのか、昔は全く理解出来ませんでした。
というのも”安定”してしまえば必ず怠慢が起こってしまい良くも悪くも”現状維持”にとどまってしまい成長するチャンスがなくなるんじゃないかって思っていました。(それにそういう”安定”こそが全てだなんていうのも変だなーと思ってました。)

日本社会がもっと個性を尊重する社会になることを節に願うんですが・・・。まだそこまで日本社会が成熟してないみたいで残念です。(個人より大きい組織を優先しなくてはならないのが不思議です。)

そういう訳で、自分がそういう不安定で不確実な北米の生活に憧れてるのかもしれません。
常に成長をせざるを得なくて、チャンスがあるのは中々魅力的に見えます。(見方を変えれば、ただ苦労が多いということにもなりかねませんが・・・。)

No title

Dehmelさん:

日本社会がもっと柔軟になるべきだというのは僕も思いますが、日本も例えばバブルの頃に比べれば随分と変わっていろいろなキャリアが選べるようになったとは思います。失われた20年などと言われますが、社会構造は少しずつ本来あるべき方向に変化していると思います。

No title

Willy さん
この話よく分かるのですが、個人が育った環境で、見解が分かれる様な気がします。

私の場合、田舎と都会、日本とアメリカという二重構造があり、仕事に関して言えば、自分が(後追い的に思い出した)昔の田舎の記憶がアメリカ環境と同じ匂いがするので、楽という感じがあります。

具体的に説明するのは難しいのですが、どちらも結構好きな事を言えるという環境です。日本は気心を知っているという前提があり、アメリカは何も気にせずという感じでしょうか。

農家のいい加減な時間管理と、アメリカで勤務でのオフィスの勤務時間管理の緩さとかも、性に合ってます。

肉体労働の出来高払い(実力主義?)も、アメリカっぽいと思う所です。

No title

YSJournalさん:

地域や家庭環境を含め、育った環境に依存するというのはその通りでしょうね。
特に、米国中西部はデトロイトのような大きな都市圏でも基本的に田舎ということで、
日本の地方に近い雰囲気だというのは感じます。

今回のエントリーは、私のようにサラリーマン家庭で育った視野狭窄に陥りがちな人
に「日本のサラリーマン的な感覚だけが全てではない」というのを伝えたかったという
のが、根底にある動機です。私は親元を離れてから、祖母と暮らしていた期間がある
のですが、やはりその期間の方が考え方が自由に、「自分の頭で考える」ように
なりました。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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