東京大学には入ったけれど・・・ああ進振 -- このエントリーを含むはてなブックマーク

東京大学で教鞭をとる伊藤乾氏の「東京大学には入ったけれど・・・ああ無常」
ずいぶんと話題になっているようだ。
記事の内容を手短かに言えば、
東大の1年生はパターン化した問題はよくできるが
自分の頭で考えることができない子が多い、
そんな方法では大学や社会では通用しない、というよくある問題提起である。

氏の主張にはもっともだと思うところもあるが、私が違和感を感じたのは
氏が問題提起しているのが東大教養学部での話だという点である。

東京大学は進学振り分けという制度を採用しており、晴れて東大に入学した学生は
2年の夏学期までの成績によって希望の学科に進学できるかどうかが決定される。
全ての学生の成績は(一部の例外を除き)同一の基準で平均が計算され、
理科1類から薬学部へは何点以上、理科2類から医学部なら何点以上、
と点数の大小によって定員は埋められていく。
もちろん、各科目の成績も単一の数値で序列化されているのは言うまでもない。

この仕組みは大学入試となんら変わらない。
結局のところ必要なのは、きちんと点数になるレポートや答案を書く技術であって、
文章力や構成力のような大学受験では重視されない能力が必要という点で
質的な違いはあるにせよ、クリエイティビティを刺激するのとは
ほど遠いシステムであるように思われる。

百歩譲って、東大教養学部の進学振り分けが
クリエイティビティを育てるシステムであったとしよう。
そのクリエイティビティは100点満点で評価されている。
90点以上のクリエイティビティの学生が100人いる時に、
89点のクリエイティビティには何の意味があるのだろうか。

クリエイティビティは、本来そういう類のものではない。
他人がやっていないことを作り出す能力がクリエイティビティであり、
それは自分の経験や得意なことを組み合わせて、
他の人がまだ思いついていないことをやることである。
「ある難解な定理の証明を世界で101番目に理解した人」、
「あるデリバティブ取引を開始した7番目の金融機関」、
「太陽電池を9番目に開発した電器メーカー」
などにそれ単独では何の価値も与えられないのが世の中だ。
他の人がやったことをできるようになるのは、
「リクリエーション」でしかない。

論理的に言えば、単一指標でクリエイティビティを測ることは不可能ではない。
選考過程に曖昧さがあるにせよ、ピアレビューのある雑誌や研究計画では
レビューワーは論文のクリエイティビティに点数を付けるし、
ノーベル賞のような賞は、その大きさを比較して決められる。
しかし、全部のテストやレポートの点数の平均というような
小学生でも思いつ簡単な指標でクリエイティビティを測ったり、
学生に自ら考えるインセンティブを与えることは難しいだろう。

東大がそうした中でも現在の教養学部を維持しているのは、
- 知識を吸収させるためには取りあえず点取り競争が効率的である
- 官僚養成学校として教養を重視している
- 専門を決められない学生に1年半の猶予を与える
という側面が強い。

伊藤氏が受けたようなクレームが専門課程で聞かれることは稀だろうし、
仮に1年からいきなり専門教育を初めたとしても
同様の不満はほとんど聞かれないだろう。

結局のところ、もし氏が述べているような不満を無くしたいならば、
学生に意識改革を促すよりも、現在の教養学部の仕組みを変更すべきだろう。

基礎学力と潜在能力が最も高い東大の新入生に
引き続き、得点獲得ゲームをさせる必要はないのではないか。
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現場の怠慢?

はじめまして。

私は私立大出身ですが、ゼミや専攻の選抜は、教授との面接や学科が決めた課題についての小論文を中心に決められました。教養課程の成績は、ある意味足切りのように使われていて、例えば数学や統計の成績が悪ければ、理論経済学のゼミには入れないといった程度でした。東大では、受け入れる方のゼミの教授たちが一切学生の選考に関わっていないわけですから、これは現場(この場合、専門課程の教員)の怠慢以外の何物でもないと思います。しかも試験の点数だけしか見ない。大学入試でいえば、指定校推薦にして選抜を丸投げにしているのと同じでしょうかね(その場合ですら、一度くらい面接はすると思いますが)。

学生サイドもさることながら、こうした制度のために授業の課題や試験まで制約を受けるとなると、教養課程の教員も創造性から離れたところに進んでしまうかもしれません。

長文失礼しました。

No title

Hoffnungさん:

研究室への配属に関しては、教官が面接をやっていると思います。ただ、進振のせいでそれがおせおせになっているという面はあるかも知れません。

いずれにせよ、東大教養学部は「自分の頭で考える事を促す」仕組みになっていません。それでも、東大は優秀な学生を集めていますから、自分の頭で考えられる学生が多いとは思いますが。

No title

引用なさっている記事は,おっしゃる通りよくある問題提起ですよね.これといって新しい視点は感じませんでしたが,六ページも渡って力説してることに違和感を覚えました.
これも Willy さんおっしゃるように,殆どの東大学部生は自分で考える人達なわけで,記事のような,ごく一部の例を極大解釈してまるで東大学部生全体の問題のように広告するのは目的は一体何?と疑ってしまいます,って御エントリへの感想でなくてすみません.

No title

notwithstandingさん:

>目的は一体何?

東大生を叩くのって、常に需要があるんです。
「東大生は試験問題解く事にしか能がない」みたいな。
そういうバッシングは的を射ていないこともあるし、まあまあ頷ける場合もありますが、
どちらにしても、それを東大の教官が書けば「学歴コンプレックスがある人達歓喜」
となることは間違いないわけです。
著者の伊東氏はそれを分かってて、肩書きを利用して集客したってことでしょうね。

私のエントリーは、それに全力でマジレスしたと言う事です。
ネットは「ネタにマジレス」が基本なのでw

ネタにはマジレス返し!肝に命じますw

ところで,米国の工学部 (Computer Science) に二年,修士に二年学生として在籍しましたが,点数競争に変わりは無いというか,むしろ GPA 社会なので点数へのこだわりは日本より強いと感じました.授業で経験したスキルが就職の採用にもろ影響したりします.なので点数競争は効率的な知識吸収のために機能していると思いますし,また ”優秀さ” は点数をきっちり取った上で何を考えているかで判断される気がします.所謂 Top スクール卒の人は基礎理論が裏にある上で新しい事を常に模索してたりするわけで,やっぱ言う事がちげ〜な〜,とこれまでの仕事の経験で感じたことは多いです (Top スクール以外でも凄い人は無数に居ますけども).
# CS という,American Dream 的な話がゴロゴロしてる業界特有の現象な可能性は否めまさえんが.

これだけ国中の大学生がガンガン勉強して考えている国に対抗するのであれば,ある程度正攻法で押して行かないと持たないとおもいますが,日本の教育の施策や議論を見ると (そんなに watch はしてませんが) 小手先の変更に思えるものが目につきます.米国でまさにそのガンガン勉強を毎日見ておられる Willy さんはどうお考えか,今後も楽しみに拝見します.

No title

notwithstandingさん:

どういうカリキュラムを組むと良い人材が育つのかは難しい問題で、
コンセンサスはないと思っています。

創造性をどう伸ばすか?http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-519.html
というエントリーを昨年書きましたが、創造的な仕事をするためには
知識量、論理的構成力、ネットワーキング能力の3つが重要です。
このうち、東大生が比較的得意で、米国の多くの学生に決定的に不足しているのが
知識量や知識を吸収する技能なのではないかと思います。
なぜなら、東大入試では知識や技能を重点的にスクリーニングしているからです。
それを踏まえると、入学後はそれ他の点を重点的に強化していくというのが
より好ましい人材の育て方なのではないでしょうか。

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プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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