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全ての学生に数学は必要か? -- このエントリーを含むはてなブックマーク

ニューヨーク市立大の政治学の教授 Hacker氏が書いた
"Is algebra necessary?"(代数は必要か?)が話題になっている
原文 と 評論つき日本語記事)。

氏の述べていることを簡単にまとめるなら、

-- 学校での数学の教え方は旧態依然としており社会のニーズに即していない。

-- 多くの学生が、数学のせいで高校や大学をドロップアウトしたり、
  良い大学に入れなかったりしている。

-- その結果、数学以外の才能を持つ人材を無駄にしている。

-- 多項式の計算や微積分などは自然科学を学ぶ学生など一部のものとすべき。

-- 一般の学生向けには、消費者物価がどう作られてるとか、
  量的感覚を重視した科目を教えるべき。

ということのようだ。
そんなに無茶苦茶なことは言っていないように見えるが、
多くの数学者は記事に激しく反応しており
うちの数学科のメーリングリストもハチの巣を突いたようになっている。

そこで論点を整理してみよう。

1.数学科の教授達は何故激しく反発するのか?

人が怒っている時は大抵、相手の言うことがある程度正しいと思っていることが多い。
私の仮説は、数学科の教授達は、社会でどのくらい数学が有用かについてあまり
自信がないのではないか、ということだ。例えば、上の記事で出ている消費者物価に
ついてきちんと知るには、線形回帰分析 や ラグ作用素の多項式の操作は必須だし、
日本の高校レベルの代数計算の知識なしにまともな理解ができるとは思えないが、
現にある数学科の教授はそのことを知らなかった。数学の実社会での必要性を本当に
理解しているのは、企業や研究機関の研究・開発担当者や企画立案担当者であって、
数学を専門にやっている研究者とは限らない。

次に、仮に数学が社会にとって非常に重要だとしても、数学力が活かせる職業に
つく学生が少ないのは動かし難い事実だ。Hacker氏は、多項式の操作程度の
数学を必要とする職業に就く学生は5%程度しかいない、と主張している。
もちろん「数学の知識が活用可能な仕事」は5%よりはるかに多いだろうが、
進学率が上がる中で、いわゆる知的な職業に就かない大卒が増えているのは確かだろう。
このことは、大学の存在意義を危うくしている。数学科に限らず大学教員は、
いまのところ「大学は知的職業に就くための学びの場である」という
大義名分を維持しなければならない。

第三に、現実問題としてHacker氏の提案は数学科の財政に直結する問題を含む。
数学科の財政は、全学生や全ての理工系学生に向けた必修科目で支えられている。
大学院向けの授業等は基本的にそこで作った貯金で運営しているに過ぎない。
そうした科目が大幅に削減されれば学科の存亡に関わるし、
内容を変更するにしても、それが特定の分野寄りであった場合には、
他の学科が設置科目の獲得に乗り出す可能性がある。
したがって立場上は反発せざるをえない。


2.授業の内容は古くて役に立たないのか?

恐らく改善の余地はあるだろう。それは科目の内容に限らず方法論に及ぶ。

例えば、関数のグラフの極値や交点、接線などは、実社会でも応用できる場面が多いが、
必ずしも全ての式変形を理解できなくても、コンピューターを使って数値的に
扱う事でも、かなりの部分まで対応できるだろう。

急進的な改革派は、それにも満足せず、定量的な説明の代わりに定性的な説明
で教えることを求めるかも知れない。「比例」を例にとれば、
(x,y) = (1,2), (2,4), (3,6), (4,8), ...
といった具体的な数値による説明が、
「二つの量の比が一定の時に、この二つの量は比例するという」
といった説明に置き換わる事になる。そういう教科書は実際に存在する。
恐らく「一定」とか「比例」とかを穴埋め問題にしてテストをすると
数値例の「6」や「8」を穴埋めにするより高得点になり、
「理解が深まった」という結論になるのかも知れない。

ただし、こうした方法論は、
カリキュラム全体として今までのところあまり確立しておらず、
特に後者の例ではうまく行きそうにない。
今回のHacker氏のような提案も真剣に検討する価値はあるが、
本人も具体的にどうすべきか分からずに丸投げしているというのが実態だろう。

別の問題として、米国の数学の授業に対する不満は、制度的な問題に起因している部分もある。
米国では全学部を通して、数学科が数学の授業を統括する色彩が強い。
例えば、日本であれば経済学部に設置された「経済数学1」のような科目が、
米国では数学科設置の「解析学1」に置き換わるというような感じである。
講義する側は、特定の応用を視野に入れていないので、「抽象的すぎる」と
いった批判は出やすくなるだろう。
一方で、果たして数学のような科目を「ローカライズ」して教えることあが
ベストなのかも疑問である。


3.全学生に数学は必要か?

答えはノーだろう。
恋愛小説家以外のほとんどの知的な仕事に数学は役に立つだろうが、
残念ながら大卒者全員が知的な仕事に就くわけではない。
この手の疑問に対する私の答えは、以前に「数学を勉強する事は無益」で述べた。
要は、数学力は多くの頭脳系の仕事でアドバンテージになるし、
数学が出来ない人が増えるほどそのアドバンテージも大きくなるものの、
誰でも大学に入れる時代に別に全員が数学を学ぶ必要はない。

数学が選抜に使われすぎているというのは確かだろう。
手先が器用でコミュニケーションもうまい青年が、
数学ができなかったせいで歯学部に
入学できなかったら社会にとってマイナスかも知れない。
しかし、他の方法なら多くの学生の才能がもっと活かせるのかというと、
それは非常に疑問が残るところだ。
数学が選抜に使われているのは、試験実施の簡単さ、公平性に加えて、
潜在能力を測る指標として有用だからだろう。


4.数学の将来性

数学は、自然科学の言語と呼ばれてきたものの、
21世紀に科学の相対的な重要性が20世紀ほど高いままになるのかは分からない。

しかし、仮に人々の生活における自然科学の相対的なプレゼンスが低下したとしても、
人間が、財産なり、寿命なり、幸福なり、何かを最大化しようとして生きている限り、
解析的手法の重要性が低下することは当分ないように思われる。

また、人間やコンピュータの意思決定が離散的である以上、
離散的な構造を研究する学問の重要性も低下しないだろう。

数学の抽象度が科学や工学の特定分野に比べて高い以上、
分野の重要性が急激に変化することは考えにくい。

確かに、将来活用されうる数学は
過去に蓄積された数学的知識とかなり異なる可能性も高く、
教育カリキュラムには時としてダイナミックな変更が必要だ。

しかし、数学や数学教育の有用性に対する疑問は、
カリキュラムの老朽化という点を除けば、
ほとんど学歴に関するインフレに起因していると
いうことを認識しておく必要があるだろう。
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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

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高校でも経済学部の時代も数学は苦手でしたが、physics for finance, architectureなどなど、応用物理の教科書を乱読してるうちに好きになってきました。

日本の受験対策教本は、応用=上級 の意味で使っていますが、大学院に入ってから英語でのappliedの訳が応用になっているんだと気づき、怖がらずにapplied 何々の本を先に読んでイメージを掴んだほうが理解が早まった気がします。

No title

日本語で、応用=上級、というイメージは確かにありますね。

ちなみに、私は大学院の時、数学の教科書はいつになっても「入門」であることに気付きました。例:「線形代数入門」 →「代数入門」→「整数論入門」→「巡回拡大体入門」

No title

数学ができなくて高校中退、というのに引っかかって調べたところ、
高校中退率は、日本では2.1%ですが、アメリカでは何と8.7%もあるようです。
アメリカはどうか分かりませんが、日本では授業に出ていれば
どうにか留年せずに高校卒業できたりします。補修は強制されるとしても。
日本の大学は、私大文系では入試に数学がないので、
数学ができないので大学教育を受けられない、
という事は事実上無くなっています。
日本は既に、この政治学教授の主張に沿った国になっているのです。
それでいいのか分かりませんが。
(日本の高校生の物理履修率は20%になっているという話です。)

No title

匿名さん:

アメリカの方が高校や大学の授業の内容は2学年分くらい易しいと思いますが、
ある程度やらないときちんと単位を取れないという意味では少し厳しいでしょうね。

日本の大学でも、数学をやらずに医学部に入ったり、化学をやらずに数学科に
入ったりすることができないことは結構あると思います。入試も厳しいですし、
その意味では日本の方がましだとは私は考えておりません。

不思議なこと

大学の講義に関して言うならば、大部分の人にとって社会に出て役に立たない講義というのは
数学以外にもたくさんあると思うんですが、なぜか数学がやり玉にあげられる頻度が高いような気がします。

(あくまでも個人的な感想ですが、おそらく大部分の人にとっても)
例えば歴史関連の講義も社会に出て全く役に立ちませんが、数学と違ってこのような批判を受けることは
皆無のような気がします。

この理由として多分数学を勉強するのに苦痛を感じる人が歴史等の科目を勉強して苦痛を感じる人より
多いという事なのかなと思っています(苦痛を感じるという言い方は適切ではないかもしれません、
困難を感じるとかの方がいいかもしれません)。
必要がない上にやっていて苦痛を感じるようなものを推奨する人はあまりいないでしょう。

おそらく、役に立つか立たないかというのが問題ではなくて、他の科目に比べて勉強していて苦痛を感じる人が
多いかかどうかというのが実際的な問題の一つのような気がします。
(個人的にはこの部分を先生の力量で補うのはほぼ無理だと思います。大部分の数学に拒否反応を示す人
は数字とか記号という表記の部分ですでに拒否反応を示しているように思われるからです)。

あとこの方がこのようなことを言われる理由として「数学が原因でドロップアウトする学生が多い」
という事があると思うのですが、むしろこちらの方を制度を見直してなんとかする方がよいのではと思います。
数学ができないくらいでドロップアウトするのは(少なくとも他の科目に関して優秀なのであれば)
馬鹿馬鹿しい事この上ないです。

数学ができなくても他で補えるような制度にするべきなんだろうと思います。

寄稿者の専攻

寄稿者の専攻の政治学では数理的論文が増加中と聞いたことがあり、定性寄りの研究者は肩身が狭くなっているのかもしれません。(寄稿者の著作リストは見当たりませんでした。)

一方で、Khan AcademyやUdacityのような、理数系を中心とした様々なレベルのオンライン授業が出てきており、そういった学習へのニーズが確かに存在することも面白い気がします。

No title

大学では統計学が好きでした。さん:

苦痛や困難が多いというのは、それは数学をやってる学生や研究者でもそうだと思います。
他の学問が階段を上る様な道だとすれば、数学はより段差の大きいピラミッドや崖を上る
ような道なのでしょう。

一方で、私は子供の頃、物語を読むのが嫌いでした。一冊の本を読んで結論が一つしかないなんてつまらなかったんです。算数だったら、定理一つやっただけで、なるほどこうなって
いるのか、という新しい出会いがありますよね。

こ@さん:

>理数系を中心とした様々なレベルのオンライン授業

正直言って、アメリカの学部で教えるレベルの数学なら教科書読んで、
たまにオンラインで授業聞けば十分な気がしてしまいます。
私には、そちらの方が脅威に思えますね。
ただ、数学が苦手な人というのはそもそも自分で数学の本を読み進める
ことができないようなので、そこまで脅威ではないのかも知れません。
もちろん、リアルの授業は、ペースメーカーとしての役割や、
どこまで鍛えなければいけないか、どこが重要なのか、
どういう順番で学ぶべきか、を掴むために役に立ちますが。

No title

確かに大学は教養課程の数学の方が難しいってのはあると思いますよ。
工学部でやる数学的な内容(フーリエ変換など)は公式を与えて式変形をさせるだけで、特別な能力は要求されませんから1年生でやるベクトル空間の方が遥かに抽象的で難しいでしょう。
我々が日常的に使っている演算ではR^nはベクトル空間で単連結で多様体なわけですから、仮に研究者になろうがR^3までの学生に対する、しかも教養課程で抽象化する意味が私にはよくわかりません。

No title

axeさん:

ベクトル空間論を数学や物理以外の理工系学生がどこまでやるべきかは分かりませんが、少なくともR^nまでは必要ですよね。統計では、標本が4つあったらもう4次元のベクトルになりますし…。大学によるのかも知れませんが、僕の出たW大は当時1年生から学科が分かれていたので化学系の学科なんかは高校の様な教科書を使っていたと思います。

実際に試験から数学を外してみて・

千葉大学医学部は、1995年まで10年くらい、
2次試験に数学がありませんでした。

2次試験は「英語・理科・論文」で、数学はなく、
「医者に、数学がいるか?ある程度の基礎学力があったら、あとは英論文が読めれば十分」
ということで、数学はセンターのみになっていた。

その結果どうなったかというと。
数学で入学してきた世代は、比較的合理的な考え方ができて、
科学的に正しいことを言えば、それが不利益なことでも納得してくれる、
比較的科学的で合理的な人間が多いが、

英語で入学してきた世代は、非合理的で、
直情径行が激しく、すぐ激怒したりするひとが、珍しくなかった。
また、科学的に正しいことでも感情論では納得出来ないと
噛み付く人が多かったです。

そのため、95年に数学が復活すると、
もう、数学を廃止しようなんて言う人はいなくなりました。

大学の究極的な目的が、
「科学的にモノを考えられる人間」
「感情より、合理的に考えられる人間」
の選抜と育成を目的とした場合、
意外と数学のアドバンテージは高いと思われます。


この話題、ちょっと前の理系への数学にのっていて、気になってました。いろいろ意見はあるでしょうが、アメリカだとそういう数学教員の事情もあるのですね。

日本でもあまりレベルの高くない高校だと、ゆとり世代では数学基礎ってそういう金利とか簡単な統計とか、日常で役立ちそうな内容だけ学ぶ単位だけ取れば高校が卒業でき、あとは永久に数学を使わないということもできたらしいです(その後、数学基礎はカリキュラム改定で廃止され、数学1のみが必修化されたためそういう逃げ道はもうないようですが)。

国立だと文系でも数学2Bまで試験範囲で必修なので、簡単な微積程度は実質必修ですが、そもそも入試科目も方法も多様化しているので、あえてどこかは挙げませんが、選ばなければ数学が不要な医学部とか、理科1科目の理学部とか、普通にありますからね。ひどいところだと物理不要の物理学科もあり、加速度や自由落下すら全く理解していなくても入れるようです。

日本の理数教育がいつごろから破壊されはじめたのかって、調べてみるとだいたい70年代ぐらいからですね。それ以前は理科は4科目必修、社会も5科目必修で数学もベクトルや行列が導入された。行列は新カリキュラムで削除されましたが、そもそも行列が高校で導入されたのは戦後の新制大学で、東大生ですら入学から1ヶ月ぐらい、行列の計算に手間取ってるから、簡単なやつなら高校で教えちゃえばってことで、導入されたって秋月康夫の本に書いてありましたが、文部官僚はそういう歴史を全く知らないから全く同じ歴史を繰り返すだろう。その後ベクトル・行列関連は一次変換や外積あたりまで高校で30年ぐらい前までは教えられていたんですが、どんどん内容が減らされ形骸化してしまった。

そもそも高校程度の数学、物理、化学は最先端の内容は入っておらず(というかとても教えられない、前者ほど)、学ぶべき内容は数十年、数百年程度はほとんど変わらないのでは?とすら思います。生物学や地学(天文)関連だと最先端の発見で高校の教科書レベルですら書き換えられることは珍しくないですが、数学なんてほとんど18世紀までの内容。もはや微分方程式すら教えられておらず、最近の微積分などの日本語の大学の教科書、数冊呼んでみればわかりますが、もはや30年前の高校レベルにまで堕してます。かつて日本の数学教育は世界トップレベルだったのに、アジアに負けています。

中国、韓国、台湾、香港、インド、シンガポール、マレーシアあたりには既に内容・レベルともに追い抜かれてるでしょう。シンガポールだと、日本の中学入試レベルができないと小卒にすらなれず、sinの微分がわからないと中卒資格すらとれず(信じられないことに、日本の数3レベルまで中学でやります、連中は)、そういう意味では数学から逃げ出せる日本のカリキュラムとは対照的ですが。こういう国だと数学ができなかったら海外へ逃げ出すか、一生社会の底辺か、という極端な人生になりますからね。

一方でアメリカなどでは大学入試も日本の高校の数1程度で、微積すら習わないじゃないか、とかよく言われますが、あれは嘘だ。実はできる人間は、IBやAPで日本の大学教養レベルの解析学や理科、経済や心理や文学などの文系科目も含めて、高校で単位が取れるようになってる。だから理系のトップクラスなら、微積分も当然高校で習うし、成績が入試で影響し、好成績なら大学2年に飛び級で入れる。海外教育システムを日本語でネットで調べても、留学業者以外の方法がほとんど出回っておらず、日本では理系は数学・物理は未だ世界一で、学部までは日本で、という意見が非常に多いですが、難しい日本語の本も大半が絶版にされ、30年前の高校レベルの教科書しか売れていない例を鑑みるに、どこまで真相かはわかりません。

しかし英語教育も破壊されて、東大レベルでも海外の中卒レベルの英語力しかない学生が大半なので、英語で数学の授業をやってもついていけないから周りに洗脳され日本の大学へ逃げるという選択をしているように思えてならない。英語はTOEFL ibt100 点、IELTS7.0はないと英語圏の一流大に直接入るのは厳しいだろうし、そもそも日本の高卒資格自体、通用しなくなってきており、日本の大学に目もくれないならむしろIBやAレベルを取得するために高校を辞めて海外高校へ留学すべきかもしれない。外国だと微積分が高校で習えないというのは正確ではないし、ちゃんと調べれば学べるところもある。

ここでも話に挙がってますが、コンピューターの教育利用について。海外だと入試にすら電卓持ち込み可能なところもあり、複雑な数値計算やアルゴリズムなどを問う問題もあるようですが、日本の数学教育者は未だに紙と鉛筆至上主義者が非常に多く、一松信の本などでも触れられてはいましたが、なかなか教育の電脳化には障壁も多いです。でもWolfram alphaを使えば大学レベルの計算問題も解ける時世なのだから、正しく使えばよいとも言えますが、反対派は計算力がつかないという。私にはここらへんに数学教育は全員に必要か?という命題の解が潜んでいるように思えてならないです。

ゆとり教育で数値計算の内容が大幅に減らされ、円周率を3としたのもそのためですが、外国の数学書を読むと、そういう具体的数値計算をやらせるようなのも多いです。積分にしろ、リーマン和で近似的にも計算させることも多いですが、日本だと不定積分やリーマン和でも級数による解析的解法にやたらこだわっているように思えてならない。昔理科教師に、数量感覚を身につけろと言われましたが、よくある身の回りの尺度と対応させたりするのみならずこういう数値計算で概算して見積もるのも重要だと。

わからなくなったら具体例で数値計算してみろともよくいいますが、こういう計算も、電卓やコンピューターの台頭で淘汰されていいのか、それともこれらの道具をうまく使いこなしつつ数量感覚を身につけさせられないものなのか。

そういう計算能力のみならずロジックも低下が著しく、最近はユークリッド原論も数理論理学もろくに教えられておらず、大学で証明問題が何一つわからず、そのまま落ちこぼれる学生が非常に多いそうで、日本数学会のHPにものってます。ちょっと前に数学教育の現代化が叫ばれ、教育にも取り込まれてユークリッド原論や解析幾何学を追放するといったが、いずれも失敗し、ユークリッド的古典数学も、ブルバキ主義的現代数学もどちらも取り入れられず、難しいことは嫌だといい、内容だけが減らされて誰も学ばなくなってしまった、というのが今の日本ではないか。当時そういう板挟み教育を受けた世代が、文部官僚や教育委員会や、政治家などになって、俺らにこういう難しいことをやらせたのはけしからんということで復讐として理数教育を破壊し、日本の科学が壊滅状態になってしまったのではないか。

ここまで論を展開しておいてこういう精神論的なことをいうのもあれですが、ようはなかなか成果の出ないことを継続させられるのか?ってことですよね。というよりもそういうところで親切な道が用意されていない。昔の数学の本は難しいですが、1990年前後から低レベルのわかりやすい本が氾濫しだした。昔のは宗教的比喩を使うのもあれですが、密教的というか、ヒルベルトの神学の比喩もありますが、なぜ難しいのかといえば、上位数パーセントの研究者になる人間だけが理解できればよかったから。難しい教科書そのものが淘汰として機能していたわけです。ですが、獅子が谷底に突き落とすような教育をやっていたら、学力低下で本当についてこれずに留年や退学になり、授業が成立しないレベルになってしまった。だからそういう教科書が氾濫してきたのだろう。そして一旦ついていけなくなったら、自力で這い上がっていける人間が少なくなった。数学や理科(語学などもそうでしょう)などは積み重ねなので、わからなくなったら小学校レベルまでさかのぼってでもわからないところを探して理解を深めていかないといけない。そういうところも手取り足取り教えても、わからないといってあきらめる人が多くなった。

個人的には物理履修率が極めて低いことのが問題だと思います。「物理」「履修率」「未履修」などで検索すれば、それらしいページは山のように出てきます。もはや物理2まで習っているのな数パーセント程度という悲観的意見もあるようで、地学などほぼ0%です。物理未履修の物理学科生など普通にいるご時世です。理系に進学したくても、高校で希望者が少なすぎて物理が開講されず、勉強できない人も少なくないそうで、友人も物理1すら開講されなかったといっています。日本ではまだ高校で習ってなくても入試科目で選択できますが、ハーバード大学の物理学科を受験したいといった場合、物理未履修では非常に不利になるでしょう。履修希望者が少なすぎると、本当に開講すらなされないようで、そもそも学びたくても開講されていないので学べない、という人がかなりいます。物理学者になりたいのに、物理が学べないといった狂った事態がまかり通っています。高校でも大学でも、単位の上限が厳しく、意欲ある人間にとってたくさん学べないのでとても不利になっています。

生涯教育の観点からはそういうわからないところならどこまでもさかのぼってわかりやすくおしえるのは逆に望ましいとも思いますが、実験がないから実現できそうな数学の通信制大学とか、全国探しても存在しませんし、理系の資格自体、技術系の国家資格メインで、英検や漢検のようなものがありません。いくらMITなどがそういうリソースを提供しているとはいえ、日本ではまだまだ定着は難しいんだろうか・・・。理科の検定試験も以前存在したのですが受験者が少なすぎて消滅してしまった。

No title

そして誰も物理を学ばなくなったさん:

確かに米国もまともな学生は、高校の時に微積とか確率統計とかやってますね。
AP (=Advanced placement) Calculus とか AP Statistics といった名前で。
ただし、教育水準の低い学区だとそもそもそういうコースが開設されない
という問題はあるようです。

米国の数学教育の問題は、高校〜高等教育に関して言うと
入門的、啓蒙的なコースが多すぎるということだと思います。
APにしても、きちんと体系的に学ばずに
「ちょっと大学の内容も紹介しちゃうんだぜ」的な雰囲気がある。
だから学生は、きちんと証明をする、計算過程を論理的に書く、
という能力が低いし、あまり体系的な理解がなされない傾向がある。

米国だと、学部3年とか4年になってから
きちんとした数学の証明の書き方を教えるクラスがあって、
数学科等の学生はようやくそこで作法を学ぶわけですが、
その段階で落ちこぼれる人も多いのではないかと思います。

物理は自分も勉強したことがないので何とも言えません。
科目は履修しましたが。
娘は化学者になりたいと言っているので、
「そのためには、数学も物理も化学も勉強しなくちゃいけない。
その時は時間がたくさん必要だから、今のうちに英語と漢字は覚えとけ。」
と言い聞かせています(笑)。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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