ネット上の犯罪予告は有罪にすべきか
2000年の西鉄バスハイジャック事件や2008年の秋葉原通り魔事件など、
ネットでの犯罪予告後に事件が起った事から、警察は近年ネット上での犯罪予告の
取り締まりに躍起になっている。具体的には、偽計業務妨害、威力業務妨害と、
軽犯罪法違反といった罪に問われることが多いようだが、匿名掲示板への1件の
書き込み程度で、こうした法律の適用をすることは、果たして社会にとって
好ましいのだろうか。
言うまでもなく、犯罪予告と実際の犯罪についての組み合わせは4種類ある。
1.予告:なし、実行:なし
2.予告:あり、実行:なし
3.予告:なし、実行:あり
4.予告:あり、実行:あり
このうち、1と4は予告と実行状況が一致しているため罪の有無は明白である。
2のケースでは、結果的には対処する必要がなかったが、予告時点では
実行の可能性を否定できず、予防のために(金銭的な意味に限らず)
コストがかかるので有罪になるというのが基本的な考え方である。
しかし、実際の犯罪実行件数を減らすことが目的であると考えた場合には、
2のケースを厳しく取り締まることが果たして最善かどうかは極めて疑わしい。
予告と実行が一致しないケース2と3を、もう一度考えてみよう。
2.予告:あり、実行:なし
3.予告:なし、実行:あり
このうち、実際の犯罪抑制の観点から明らかに損失が大きいのは3のほうであり、
2を抑制する事は、3を抑制することに比べれば全く無意味だ。
例えば、あなたに対する次の2つのケースのうち、望ましいのはどちらだろうか。
2.あなたに対して掲示板で10年間、一日平均10件の詳細な殺人予告
(計約3万件)が続くが、実際には何も起らない。
3.殺人予告は全くなく、10年後にいきなり殺される。
特殊な人を除けば、2の方が好ましいのは明らかではないだろうか。
そもそも、2を減らす事にはほとんど意味が無い事が分かる。
「そうは言っても予告自体が社会を不安に陥れるし、
予防のためのコストも馬鹿にならない」
というのが現在の警察や司法の立場なのだろうが、
私の考え方は全く正反対だ。
私は毒舌なので、学部生の頃に先輩から、
「おいWilly、お前そのうち後ろから刺されるぞwww」
と言われた事があるのだが、そのような人間としては、
犯罪予告が自由、大量に行われデータとして存在していた方がむしろ好ましい。
そうしたデータをもとに予告の信憑性を判断して予防に繋げられる可能性があるが、
そうした行為が禁止されていれば危険を予知する情報が入手できないからだ。
つまり、上の4つの分類で言えば、2を増やす事によって
3を減らせる可能性があるのであれば、
むしろその方が好ましいということである。
一般庶民レベルではそうしたデータの活用はまだ難しくても、
実際に政治家などのリスクの高い職業についている人であれば、
犯罪予告の増減によって警備体制を調整する事もできるようになるだろう。
犯罪予告が合法になれば、
どこかの企業がインターネット上で有料で犯罪予告を出来るサイトを設けて、
実行可能性の大きさを計測する事も可能になるかも知れない。
これまでの政治家は主に支持率を気にしていたが、そうしたサイトにおける
「犯罪予告件数」は政治家にとって、クーデターを始めとするテールリスク
を評価する貴重な指標となる可能性もある。
そうした情報が氾濫する世界を殺伐とした悪い世の中だと思うとすれば、
それは、情報が希少で全ての情報を解釈するのが常だった時代の意識を
引きずっていることによる錯覚なのではないかと思う。
上の例で言えば、一日10件の犯罪予告を全て自分で読む必要は無く、
究極的には、コンピューターアルゴリズムに分析させてシグナルだけを
受け取れば良い。過渡期には不十分なアルゴルズムや人々の錯覚に基づく
混乱が予想されるものの、長い目で見れば、貴重な情報が増加した社会は
現在よりも必ず良くなるはずだ。
それでは、なぜ警察や検察、司法は犯罪予告に対して極めて厳しい態度を取るのだろうか。
それは、上で述べたように情報が希少だった時代の錯覚や、情報処理能力の低さに加えて、
そうした組織が官僚組織であることに起因しているように思う。
上記の分類の3と4の違いに着目してみよう。
3.予告:なし、実行:あり
4.予告:あり、実行:あり
冷静に考えれば損害は3と4では対して変わりがないが、
警察にとってはこの二つでは意味が全く異なる。
すなわち、3のケースが「未然に防ぐ事が不可能な事件」として
お咎め無しとなるのに対して、4のケースでは「なぜ警察は
未然に防げなかったのか」とされて大問題になる。
したがって、それを防ぐためのコストを過剰に掛ける必要性に駆られる。
もし、ネット上の書き込み一件程度の予告で警察が糾弾されるとすれば
それは一般市民の錯覚による見当違いだと思うが、そうした固定観念が
変わるのには何十年という時間がかかるものである。
つまり、警察にとっては、実行件数を抑えることはもとより、
予告件数を抑えることにも極めて大きなインセンティブが存在しているのだ。
警察が一般市民の「安心感」を向上させるための組織である以上、
こうしたジレンマは避けられない。
かくして、2ちゃんねるに
「○○小学校の前で小女子(編注:食用魚の名前)を焼き殺*す」
と書き込んだだけで懲役1年6ヶ月になる、
というような不思議な判決が下されるのであろう。
現在の状況が、市民の情報リテラシーの低さと制度の不備から発生している以上、
警察や検察、司法だけを責めることはできない。
より良い情報社会を作るためにはまず市民一人一人が意識改革し、
そうした組織の方向性を変えてゆく努力が必要になるだろう。
それでは、コメント欄に私に対する犯罪予告をどうぞ ↓
(注:私は通報しませんが、第三者による通報は止められません。あしからず。)


ネットでの犯罪予告後に事件が起った事から、警察は近年ネット上での犯罪予告の
取り締まりに躍起になっている。具体的には、偽計業務妨害、威力業務妨害と、
軽犯罪法違反といった罪に問われることが多いようだが、匿名掲示板への1件の
書き込み程度で、こうした法律の適用をすることは、果たして社会にとって
好ましいのだろうか。
言うまでもなく、犯罪予告と実際の犯罪についての組み合わせは4種類ある。
1.予告:なし、実行:なし
2.予告:あり、実行:なし
3.予告:なし、実行:あり
4.予告:あり、実行:あり
このうち、1と4は予告と実行状況が一致しているため罪の有無は明白である。
2のケースでは、結果的には対処する必要がなかったが、予告時点では
実行の可能性を否定できず、予防のために(金銭的な意味に限らず)
コストがかかるので有罪になるというのが基本的な考え方である。
しかし、実際の犯罪実行件数を減らすことが目的であると考えた場合には、
2のケースを厳しく取り締まることが果たして最善かどうかは極めて疑わしい。
予告と実行が一致しないケース2と3を、もう一度考えてみよう。
2.予告:あり、実行:なし
3.予告:なし、実行:あり
このうち、実際の犯罪抑制の観点から明らかに損失が大きいのは3のほうであり、
2を抑制する事は、3を抑制することに比べれば全く無意味だ。
例えば、あなたに対する次の2つのケースのうち、望ましいのはどちらだろうか。
2.あなたに対して掲示板で10年間、一日平均10件の詳細な殺人予告
(計約3万件)が続くが、実際には何も起らない。
3.殺人予告は全くなく、10年後にいきなり殺される。
特殊な人を除けば、2の方が好ましいのは明らかではないだろうか。
そもそも、2を減らす事にはほとんど意味が無い事が分かる。
「そうは言っても予告自体が社会を不安に陥れるし、
予防のためのコストも馬鹿にならない」
というのが現在の警察や司法の立場なのだろうが、
私の考え方は全く正反対だ。
私は毒舌なので、学部生の頃に先輩から、
「おいWilly、お前そのうち後ろから刺されるぞwww」
と言われた事があるのだが、そのような人間としては、
犯罪予告が自由、大量に行われデータとして存在していた方がむしろ好ましい。
そうしたデータをもとに予告の信憑性を判断して予防に繋げられる可能性があるが、
そうした行為が禁止されていれば危険を予知する情報が入手できないからだ。
つまり、上の4つの分類で言えば、2を増やす事によって
3を減らせる可能性があるのであれば、
むしろその方が好ましいということである。
一般庶民レベルではそうしたデータの活用はまだ難しくても、
実際に政治家などのリスクの高い職業についている人であれば、
犯罪予告の増減によって警備体制を調整する事もできるようになるだろう。
犯罪予告が合法になれば、
どこかの企業がインターネット上で有料で犯罪予告を出来るサイトを設けて、
実行可能性の大きさを計測する事も可能になるかも知れない。
これまでの政治家は主に支持率を気にしていたが、そうしたサイトにおける
「犯罪予告件数」は政治家にとって、クーデターを始めとするテールリスク
を評価する貴重な指標となる可能性もある。
そうした情報が氾濫する世界を殺伐とした悪い世の中だと思うとすれば、
それは、情報が希少で全ての情報を解釈するのが常だった時代の意識を
引きずっていることによる錯覚なのではないかと思う。
上の例で言えば、一日10件の犯罪予告を全て自分で読む必要は無く、
究極的には、コンピューターアルゴリズムに分析させてシグナルだけを
受け取れば良い。過渡期には不十分なアルゴルズムや人々の錯覚に基づく
混乱が予想されるものの、長い目で見れば、貴重な情報が増加した社会は
現在よりも必ず良くなるはずだ。
それでは、なぜ警察や検察、司法は犯罪予告に対して極めて厳しい態度を取るのだろうか。
それは、上で述べたように情報が希少だった時代の錯覚や、情報処理能力の低さに加えて、
そうした組織が官僚組織であることに起因しているように思う。
上記の分類の3と4の違いに着目してみよう。
3.予告:なし、実行:あり
4.予告:あり、実行:あり
冷静に考えれば損害は3と4では対して変わりがないが、
警察にとってはこの二つでは意味が全く異なる。
すなわち、3のケースが「未然に防ぐ事が不可能な事件」として
お咎め無しとなるのに対して、4のケースでは「なぜ警察は
未然に防げなかったのか」とされて大問題になる。
したがって、それを防ぐためのコストを過剰に掛ける必要性に駆られる。
もし、ネット上の書き込み一件程度の予告で警察が糾弾されるとすれば
それは一般市民の錯覚による見当違いだと思うが、そうした固定観念が
変わるのには何十年という時間がかかるものである。
つまり、警察にとっては、実行件数を抑えることはもとより、
予告件数を抑えることにも極めて大きなインセンティブが存在しているのだ。
警察が一般市民の「安心感」を向上させるための組織である以上、
こうしたジレンマは避けられない。
かくして、2ちゃんねるに
「○○小学校の前で小女子(編注:食用魚の名前)を焼き殺*す」
と書き込んだだけで懲役1年6ヶ月になる、
というような不思議な判決が下されるのであろう。
現在の状況が、市民の情報リテラシーの低さと制度の不備から発生している以上、
警察や検察、司法だけを責めることはできない。
より良い情報社会を作るためにはまず市民一人一人が意識改革し、
そうした組織の方向性を変えてゆく努力が必要になるだろう。
それでは、コメント欄に私に対する犯罪予告をどうぞ ↓
(注:私は通報しませんが、第三者による通報は止められません。あしからず。)
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テーマ : 政治・経済・時事問題
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