共働きをゆるく考えよう -- このエントリーを含むはてなブックマーク


ここ数年、イクメンがどうだとか、育休を延長するとか、
共働き夫婦がキャリアと子育てをどうやって
両立して行けばいいのかの議論が盛んだ。

社会的、制度的な面に目を向ければ、
保育所の待機児童問題、産休の問題、
長時間労働の問題、子供が病気になった時の問題、
時短や残業不可などによる職場への影響の問題、
と一朝一夕には解決できない問題がたくさんあることはすぐに分かる。

こうした問題の中には、日本独特の問題もあるけれども、
それでは、共働きの多いアメリカなどと比べて
日本の育児環境の方が障害が多いかと言えば、
必ずしもそういうわけではない。

例えば、保育所の待機児童問題は日本独自だけれども、
一方で米国のプリスクールや託児所の保育料は桁違いに高いし、
私の住んでいるような典型的なアメリカの地方都市では、
午後6時半以降も子供を預かってくれる託児所は皆無だ。
また、子供との移動は車社会の米国の方が楽だが、
学校や習い事も全て送り迎えが必要な車社会は
親にとってはとても大きな負担だ。

それでは、日本で制度面や社会的な問題に対する不満が
こうもたくさん上がる理由は何なのだろうか?
私は、結局のところ、制度的な問題そのものよりも、
日本が「融通の効かない社会」「余裕のない社会」
になってしまっていることが問題を大きくしているように思う。

共働き世帯のスケジュールがタイトであるにしても、
生活がうまく回るかどうかは、普段の予定よりも
イレギュラーな事が起こった時に本人と周囲がどれだけ
柔軟に対応できるかが肝だろう。

アメリカは、制度的には子育てについて不便なところも多いが、
「子供や家族の事は大目に見よう」という社会の雰囲気が
問題を軽減しているように思う。

例えば、米国のいくつかの州には3月にグッドフライデーという
小中高校は休みになるのに大学は休みにならないという祭日が一日あるのだが、
その日は多くの大学教員が子供を連れて大学に来て、
授業にまで連れて行ってしまう人も珍しくない。
子供のいない教員も、たくさんの子供を見て、
「今日は子供がたくさん!こんな日は、大学も休みにすべきだよ。」
などと雑談しているくらいだ。
私も娘を連れて大学に行き、授業の間は知り合いの院生に頼んで
私のオフィスで子守りをしてもらった。
子供にとっても、たまには親の職場に来てみたり、
知らない大人と二人で1〜2時間過ごすという経験は
プラスにはなってもマイナスにはならないだろう。
授業に限らず、昨年夏にセミナーに訪れたゲストスピーカーは、
10歳位の娘を連れて来て、自分の講演の間同じセミナー室に座らせていた。

もちろん、そうした特殊な日に限らず日常的にも、
困った人がいたら助けようという人が多い。
先日、数日の間、どうしても夜間の授業のある日に
娘の面倒を見なければならなくなった事があった。
学科のメーリングリストで手伝える人を探したところ、
すぐに子守りをしてくれる学生や事務員が見つかったのだが、
心配した知り合いの教授(full professor!)が
「僕が見ててもいいよ!」と言ってくれたほどであった。

大学以外の多くのホワイトカラーの職場にしても、
繁忙期の残業や子供の病気の時だけでも
子供を職場に連れてきて置いておくことができれば
助かる人はたくさんいるのではないか。

ベビーシッターを頼むにしても、
ベビシッターにも予定外の事がいろいろ起こるわけで、
都合が付かなくなった際に別のプランがあるかというのは重要だ。
その時に、いざとなれば職場に連れて行けばいいから、
という手段があるのとないのとでは全然安心感が違ってくる。
オフィススペースが限られている日本ではあるが、
例えば広めのキュービクルを1つ作っておいて、いざと
いう時にはそのために使うとか、そういうユルいプランBを
作っておくというのは悪くない案ではないか。
また、普段は在宅勤務不可の職場でも、
やむを得ない事情の時は融通を利かせて自宅での仕事を認めれば良い。

そもそも今日では、
簡単な業務を除くほぼ全てのホワイトカラーの仕事はイレギュラーなものだ。
どうしても、不規則な時間帯に仕事が入ったり、
特定の時期に業務が偏ったりする。
一方で、人と会わない時間に職場にいなかったからといって、
業務に支障が出るわけではないことが多い。
朝8時に子供を預けて、9時から5時まで仕事、6時に子供を迎えに行く、
などという典型例を元に各種の制度を決めたところで、
頭脳労働者の共働き世帯にはあまり便利にはならない可能性が大だ。
硬直的な物事の考え方では、費用ばかりが嵩んでいく。

工場や単純業務が海外に移り、日本の人口は減り始め、
物理的にも日本の街にはゆとりが出てくる時代だ。
当の共働き世帯もそれを支える社会も、
共働きの子育てをもっとゆるくとらえることが、
これから多くの問題をスムーズに解決する鍵になっていくのではないか。


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テーマ : 育児日記
ジャンル : 育児

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しょうもないし好きでも無い仕事なのに、極端な忠誠を求めてくるのは辛いです。僕のように思う人は増えてるような気もしますが。 日本では仕事が宗教なんだとか言われる事もありますが、不健全で非生産的だと思います。

もちろん国別に色んな社会問題は存在するのだと思いますが、日本では職場でのストレスが多いように感じます。 アメリカですと、銃、犯罪、貧困、戦争、肥満、医療制度、学費、格差、辺りでしょうか。お金に絡んでるのが多い気がします。仕事が嫌いな人は多いのでしょうが、職場でのジメジメした雰囲気とかは聞きませんよね。 高度な仕事レベルを求められる人達でも、忠誠心みたいなのは求められてないですよね。まぁそもそも人間関係のあり方が日本とは違うんでしょうけれど。 何か支離滅裂ですみません。。。

No title

Sさん:

無宗教の人が多く、伝統的な規範意識も薄い日本で、会社や学校や地域共同体が人々の心を縛らなくなってしまったら、人々は何を規範に生きて行くのでしょうね。そんなことを、最近考えるようになりました。

私は、会社や上司、同僚、顧客に対する忠誠はあまり必要ないと思いますが、仕事に対する忠誠というのは必要であると思います。それは大学教員であれば、科学に対する畏敬、学問の尊重、教育への情熱、といったものだと思っています。

例えば授業に娘を連れて行くことが教育の妨げになるのであれば、それは基本的にやってはいけないのだと考えています。ただ一方で、仕事場なんだから一律ダメ、とかいうのは意味がないと思うわけです。

住んでいる実感としては米国の社会問題は、
医療制度 >>> 教育 > 戦争、年金、学費、格差 > 銃、犯罪、貧困、肥満
かなぁ。そのレベル感は、そのうちエントリーにしてみたい気もします。

No title

なんか50年前の日本ですね。すばらしいと思います。

ただ人間関係で貸し借りが発生しないのか気になります。
日本でも例えば子供の面倒を見たら次から次へと託児所代わりにされたとかよく聞きます。
院生に面倒を見させるってのは雑用の押し付けじゃないのかとか私は結構気にします。
学生ならお礼に飯でも~みたいな感じでオッケーなんでしょうか?

大学ですと民度が高い人たちの集まりなのでスマートにこなせてるとは思うのですが
一般社会に範囲を広げたときにトラブルにはなってないのでしょうか。

No title

gammaさん:

知り合いでも、学生でも、謝礼は払ってます。
同僚の教員にやってもらった場合は、
代講を1つ受けるということになるのかも知れません。

逆に謝礼を受け取ってくれないとこちらも困りますね。
一度だけ、そういうことがありました。

謝礼を払ったから感謝しなくて良いということでは決してないですが、
お金は人々の助け合いをスムーズにするツールだと思います。

No title

ゆるキャラ歓迎、でも仕事にゆるいは異論だろうと思う国からこのテーマに意見はないのだろうなあと思っていたら書き込みされた方がいて何やら良かったと思いました。
Willyさん書かれた「お金は~ツール」ですが、現役駐在員夫人達と多少つきあいのある家内説、やっぱり日本人にお金の話はだめ、不快視ないし無視されるだけ、だそうです。この人達はローカル社会とあまり接点がないからでしょう、これには程遠いようです。
気持ちが通じるにいろいろあっていいのですが、お金を払うことによって心の負担を引きずらない、お互いに楽なことと思うのですが。

No title

常無常人さん:

お金で買えないものは非常に少ないのに、日本人はその使い方を知らないから
経済も停滞しているのかも知れませんね。

お金の代わりにプレゼント

「お金は人々の助け合いをスムーズにするツール」という考えが苦手な人はモノを贈るのはいかがでしょう。お中元やお歳暮の時期もありますので。季節を問わないなら食用油、今の時期なら新米なんかどうかなと妄想してます。家族構成や好みは下調べしたいですけど…。

No title

こ@ さん:

以前に受け取りを固辞した学生さんには、
チョコレートをあげるつもりでしたが、それも断られてしまいました。

無理矢理送りつけちゃう手はあるのかも知れませんが、
なかなか難しいところですね。

No title

お金は人々の助け合いをスムーズにするツールというのは言われてなるほどと思いました。
確かに上手く使えるなら使えばいいんですもんね。

ところで気になったのですがこういう価値観だと教育はどうなのですか?

例えば日本の大学でよくあるのがコアタイムとか学生を労働者扱いとかですが。
こういうのはアメリカではないんでしょうか?

もうすぐノーベル賞の発表ですが日本で化学賞をとった某先生は学生を奴隷のように扱って結果を出したなんて聞くと余り気分が良くないんですよね。

No title

gammaさん:

>ところで気になったのですがこういう価値観だと教育はどうなのですか?
>例えば日本の大学でよくあるのがコアタイムとか学生を労働者扱いとかですが。
>こういうのはアメリカではないんでしょうか?

申し訳ありませんが、質問の意味がよく理解できません。
もう少し具体的に説明して頂けませんか。

No title

失礼しました。

日本の大学で例えば工学系ではコアタイムと称して平日の朝から夕方まで学生を研究室にいさせて教授の雑用をさせたりといったことが散見されます。
また実験系では大量の実験を学生にやらせて論文では謝辞のみ手柄は全部教授に、ということが当たり前に行われています(これがノーベル賞の話に繋ります)

Willyさんの記事からアメリカでは「対価をしっかりと払って労働に報いる」「労働には対価が発生するのが当たり前」という考えが浸透しているように思いました。

上記の日本の事例では学生はタダ働きで対価は何も発生していません。
なのでアメリカではどのように研究室が運営されているか気になりました。

例えばコアタイムの例のように何時から何時までいろよと言われれば問題になるのか。
また学生に実験を押し付けて自分の名前だけで発表すると訴えられるのかとかですね。

わかりにくくて申し訳ありませんでした。

No title

gammaさん:

数学科は実験系ではないので事情はよく分かりません。
実験系では院生はこき使われている場合も多いようですが、
業績に繋がらない仕事は給料が出る枠内(通常週20時間)
というのが一応守られていると理解しています。

学生が一部の結果を出したのであれば、
対価の支払いの有無に関わらず、成果物には名前が載るのが通例です。
ただし、著者数に制限がある雑誌もあるので、例外はあるかも知れません。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

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   小説のように読める本。
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2.Matematical Statistics and Data Analysis
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