中学、高校の数学教育は何のためにあるのか? -- このエントリーを含むはてなブックマーク

先日、ちきりんさんが「下から7割の人のための理科&算数教育」というエントリーのなかで、「今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の3割程度の生徒が学べばよい」という意見をブログで述べた。長年ちきりんファンをやってきた数学科教員として、中学、高校の数学教育は何のためにあるのかについて、ここで私見をまとめておこうと思う。

1.どのレベルの数学が不要なのか?

そもそも大多数の日本人は「理科や数学は勉強する必要なし!」と思ってるのだろうか?これは私の想像に過ぎないが、多くの人は、四則演算や、簡単な分数、小数、百分率、簡単な図形など、小学校の算数でやるような内容生活が役に立たないとは思っていないのではないかと思う。昔、所ジョージ氏が 元祖・所ジョージさんの 頭悪いんじゃないの? (ベストセラーシリーズ・ワニの本) の中で、「割り算なんて小学校で教えなくても大人になったらみんな出来るんだから大丈夫!」といったことを書いていたが、それは割り算が生活に必要だから自然に知識として定着することの裏返しである。一方で、よほど数学に恨みを持ってでもいない限り「大学の数学科を廃止せよ!」という人もいないだろう。結局のところ、その中間にある中学や高校の数学について「日常生活の役に立つわけでもないし、専門家になるわけでもないのに全員に本当に必要?」という疑問が湧くのではないか。

2.中学と高校の数学は何のためにあるのか?

結論から言ってしまえば、「現在の数学の中学と高校のカリキュラムは、日本にたくさんの技術者を育てるためのカリキュラムだな」というのが率直な感想である。現在の中学と高校の数学は、理論の厳密さやストーリー性にそれほど注意が払われているわけではなく、一方でよく言われる「論理的思考力」とやらを身につけさせるために最適な、考えさせるようなカリキュラムになっているわけでもない。基本的な関数や微分積分、ベクトルといった内容を中心に基本的な事実がコンパクトにまとめられていて、エンジニアリングや、数学以外の自然科学分野に進む人が将来困らないようにしているのだな、というのがひしひしと感じられるカリキュラムなのである。

もちろん、高校生全員が将来、エンジニアになるわけではない。まさに、7割くらいの人達にとっては中学や高校の数学は不要以外の何物でもない、というちきりん女史の意見はとても正しい。それでは初めから可能性のある3割の生徒だけが学ぶ選択科目にしてしまって良いのか、というのはなかなか難しいところである。例えば、米国の高校では必修となる数学の内容は「東アジアの3年遅れ」と言われる一方で、選択科目を取れば、日本の高校と同等の内容を履修することができるようになっているのだが、実際には生徒の数学力は過去30〜40年あまり、丘から転げ落ちるように転落して、科学技術分野の深刻な人材不足が指摘されているのである。物理や化学に至っては、大学入試で必須でないことから、選択科目を取った生徒でさえ、真面目に勉強しないケースが多いという。それでも米国は、英語が公用語であるというメリットを活かして、科学技術分野で大量の人材を外国から受け入れることで成り立っているが、日本で同様の人材戦略を採ることはできないだろう。つまり、戦後の日本は、全ての生徒に技術者向けの数学や理科を教えて人材の裾野を広げ、7割を犠牲にして、3割の人材を育てたのだと言える。

そうは言っても、中学や高校の数学のカリキュラムは無味乾燥すぎる、という文句も聞こえてきそうだが、技術者を育てるという観点でいうと実は理にかなっている内容が多いのである。以下でいくつかのよくある疑問にお答えしておきたい。

3.公式の暗記は必要か?

日本の算数、数学教育で悪名高いのが、公式を暗記させられることだろう。なぜ、公式を暗記しなければならないのか。それは、実は公式の暗記こそ実用的な数学を学ぶための効率の良い方法だからである。

少し話はそれるが、私自身は大学に入るまで、算数や数学の公式を暗記させられた、と感じたことはほとんどなかった。私が小学校低学年のころ、友達の家に遊びに行って2〜3学年上の友達のお兄さんと話すと、彼は学校の算数の授業で「三角形の面積の求め方」を習っているという。私はそのとき、その友達のお兄さんを畏敬の眼差しで見た。長方形の面積なら簡単だが、三角形はいくら長方形を足し合わせたって作れない。求めるには大きな飛躍が必要なはずだ。「やっぱり上級生はすごいんだなあ!」と感嘆したが、実際自分が上級生になって三角形の面積の求め方を習うと「補助線をひいたら三角形はある長方形の面積の半分」というだけ。「な〜んだ」とがっかりしたのを覚えている。興味のある子なら、「すごい公式を見る → 証明を読んで"な〜んだ"と思う」の繰り返しで勉強すればいい。しかし、そもそも、公式の種明かしに興味を持てない子だっているし、証明がどうしても理解できない子だっているだろう。そんな時に、公式さえ覚えれば誰でも、次のステップに進むことが出来るのが、数学の良い所なのだ。例えば恋愛小説なら、各場面の要約だけ読んで結論を急ぐという事はできない。

また、そもそも公式を当てはめることだって、実はそんなに簡単なことではない。公式を覚えることは、数学を使う上で便利なショートカットだが、一方で理屈を理解せずに公式を当てはめるということは直感に反するので、訓練が必要なのである。

私は米国の大学で日本の高3くらいのレベルの授業をたくさん教えているが、概念のきちんとした理解はおろか、教科書に載っている公式をきちんと場面に応じて当てはめられる学生の数はそれほど多くない。内容にもよるが、せいぜい2〜4割くらいでないかと思う。

実は私も、自分の頭で一から考えるのが好きな方なので、公式を当てはめるのはあまり得意な方でない。院生時代、友人と問題を解いていると、私が一生懸命考えているのを尻目に、友人はいろいろな参考書をあさって便利な公式を見つ出してしまう、といった事は日常茶飯事だった。

公式を当てはめる練習は、色々なレベルで大事なのである。


4.パズル的な数学は必要か?

「百歩譲って、教科書に書いてあることが大事なのは良く分かる。しかし、中学、高校、大学などの入試問題があまりにテクニカル過ぎるのでは?」といった疑問もよく聞かれる。近年の大学入試ではテクニカル問題は減り考えさせる問題が増えた、と主張する向きもあるが、私が見る限り、どう考えてもかなりマニアックな問題がまだかなりある。実際、多くの国の数学の入試問題は、日本ほどテクニカルでパズル的ではないようだ。

入試でテクニカルでパズル的な問題を出題する第一の理由は、単なる知識だけではなく、深い論理的思考力や柔軟な発想力を試そうとしていることだろう。日本において難しい入試問題を課す名門私立中高が、一流大学に多くの人材を輩出し、また一流大学が多くの科学者やエンジニアを輩出している事に鑑みると、あながちこのアプローチが間違っているとは言えない。

しかし、これは日本で特にテクニカルな出題が多いことを完全には説明できないように思う。私は、こうした特徴は、日本社会が専門性よりも現場の試行錯誤を重視して問題を解決しようとする傾向が強いことと関連していると思う。

例えば、私の専門分野の統計学を例にとろう。大企業の経営企画部の若手社員が部長から「毎月の売り上げを予測する式を試作して2日以内に報告するように」と頼まれる。若手社員は経営学部出身で、回りにも統計の専門家はいないので、自力でなんとかしなければならない。しかし、知識も本もソフトウェアも何もなかったとしても、グラフを見ながらなんとなく当てはまりそうな式を時間をかけて丹念に探していけば、データがよほど複雑でない限り、おそらく統計学を駆使して得られるモデルとそう大差ない式に行き着くことができるだろう。そんな時に役に立つのは、高校生の時に受験勉強で1次関数や2次関数をいじくり回した経験かも知れない。2日後になんとかもっともらしい式を作った若手社員から報告を受けた部長は「専門家でもないのに、やはりあの若手は地頭が良い」などと満足するのだ。

多くの人が細かく試行錯誤するパズル的な能力をつける事は、専門化による分業をある程度、置き換えることができる。そうした能力は、専門性をあまり重視しない日本の企業社会では、特に重要になっていると考えられる。


5.中学と高校の数学の本当の問題とは?

以上のように、日本の中学、高校における数学教育は、大量の技術者を養成するという国策、そして現場で試行錯誤をする能力という観点からは、過去にはそれなりに機能してきたのではないかと思う。しかし、その最大の問題は、そのカリキュラムが時代に応じて全く変化していないことだ。

数学教育は、中学、高校、大学の数学教員や文部科学省の役人といった、いわば閉じた世界で数学をやっている人達によって決められている。例えば、統計教育の必要性が叫ばれながらもそれがなかなか進まないのは、現場に統計を使って仕事をした経験がある人が少ないからであろう。統計以外にも、仕事でスプレッドシートやデータベースを扱う機会が増えた現在では、初歩的なブール代数などが高校のカリキュラムに入ってもいいし、モデル化のためにはグラフ理論などが入っても良い。微分積分にしても、定理の導出より近似のアルゴリズムやシミュレーションをもっと重視したカリキュラムにするべきだろう。コンピューター言語を扱う情報科目ももっと比重を置かれるべきだ。

数学のカリキュラムの検討にあたっては、GDPへの貢献度に応じて産業界から委員を選出するなど、よりダイナミックに内容を変えて行かなければならないだろう。いまのような状態では、百年後も高校の数学の授業は大して変わらず、古典文学のような授業になってしまうかも知れない。

6.数学を勉強しなくてすむようにするために

そうは言っても、数学を学ぶことの重要性はやはり低下しているのだろう。世界中のどこに行っても、若い世代の数学力の低下が叫ばれており、特に先進国ではその傾向が顕著だ。しかし、数学のカリキュラムを大幅に「軽量化」するためには二つのことが必要だ。

1点目は、社会全体で専門化による分業を進めることである。数学力のスタンダードが下がった世界では、経理担当者やエンジニア、科学者でさえも、数式の処理やデータの処理などに当たっては、それを専門家に丸投げできるような体制を整えておく必要がある。

2点目は、数学が必要になった時のために、いつでも、どこでも、いくらでも、好きなペースで、無料で学べる日本語のコンテンツを充実させておくことだ。今なら、ウェブ上のコンテンツを開発することになるだろう。思い起こせば、日本でゆとり教育が導入された際、当時の数学者たちは危機感を持って、高校生にも読めるかなりの数の数学の啓蒙書を書いた。日本中の数百万の中高生が、数学の勉強に頭を痛めることから解放されることを思えば、そうしたコンテンツの開発コストは本当に微々たるものに違いない。

スポンサーサイト


テーマ : 算数・数学の学習
ジャンル : 学校・教育

コメントの投稿

非公開コメント

初めまして

はじめまして、日本で計量経済学を学んでいる学生です。大学院卒業後米国の統計学部に留学したいと考えています。
私は大学の学部では経営、大学院では経済学部に転部して計量経済学を学んでいます。筆者様は日本の大学院で数学を専攻なされていたということで数学的な知識はPhd課程に進む前に大分習得していたと思われますが、私は文系受験だったため高校ではあまり数学を学ばず大学に入ってから経済学部の数学などの科目で数学の勉強をした程度ですのでGREのレベルの数学については問題はないのですが、統計学部にいらっしゃる理系学部レベルの数学の勉強がいまいち足りていないように感じております。
統計学部に入る上でのお勧めのテキストや数学以外にでもPhdに進学する上でのアドバイスなどございましたらお教えいただけますと幸いです。
長文失礼致しました。

No title

T.Araiさん:

アドミッションに関しては、Qualifying Exam をパスできるか、という観点で見ますので、学部の標準的な解析学や線形代数の授業を履修しておいた方が有利だと思います。優秀だったにもかかわらず、恐らく解析学を履修していなかったためにアドミッションが下りなかったという例を知っています。測度論もやっていればなお良いでしょう。解析は、東大出版の解析入門I, II(杉浦)とか、岩波の解析入門(小平)とか、そのレベルであれば何でも良いと思います。線形代数は本格的なものである必要は全くないと思います。測度論は、経済学部出身の方が共立出版「測度から確率へ」(佐藤坦)をやったと言っていましたが、いかがでしょう。測度論やる前に、朝倉書店「ルベーグ積分30講」(志賀)などを読むと分かりやすいかもしれません。日本語の本ばっかりですみません。洋書であれば、米国一流大の数学科のシラバスを検索して、学部上級〜修士レベルの本を選ぶと良いです。集合論とか位相空間とかはやらなくて大丈夫だと思います。関数論も関数解析もやらなくて良いと思います。

統計の本も入門書を一冊は読んでおくと良いと思いますね。右上の方にリンクを貼ってある John Rice "Mathematical Statistics and Data Analysis" もお勧めですし、和書なら内田老鶴「数理統計学ー基礎から学ぶデータ解析」(鈴木、山田)が私は好きです。

Araiさんは、日本の経済学部の院におられるということなので、一本でもpublicationがあれば有利だと思います。数学系の出身者で、入学前に論文を出せることは少ないと思いますので。

TOEFLは大変ですが、少しでも高いスコアを出しておいて下さい。

昔の記事にアドミッションのことは、ある程度書いてあります。FC2の検索機能はダメですので、「統計学+ε」と適当なキーワードでググった方が見つかるかも知れません。というか、私自身、過去記事を探す時にこの方法でやっています。

統計学科は日本人が少ないので、是非頑張って下さい。ビッグデータブームで、志願者は増えていますが、州立は比較的通りやすいと思います。

大変参考になりました

初めて質問させていただいたにもかかわらず大変ご親切な回答を頂き感謝しております。統計学部に入って経済のみに限らずいろいろなことを研究したいと思い誰かに相談したいなと思っておりましたが、経済学部の博士過程を勧められていたので大学の教授には相談し辛くに悩んでいました。
ランキング30位以降にイエール大学やUCLAがあり大学の先輩が進学していることや知名度、基金の規模の割りにランキングが高くないなと思い受験を考えてみたのですが、やはり有名大学は難しいものであると考えております。よろしければ30位以降のレベルでお勧めの大学ございましたら州立でも私立でもいいので参考にさせていただけますと幸いです。
一度質問させていただいたのにも関わらす再度の質問になってしまい大変申しわけありません。アメリカの大学で実際に指導なさっている先生にご意見いただけますと嬉しいです。

No title

T.Araiさん:

ランキングにかかわらず、有名私大のアドミッションは難しいと思います。

お勧めの大学は、あまり多くの大学を訪問した事がないので分からないのですが、ウェブサイトを見て自分の興味のある分野の教員が二人以上いるところを考えてみられてはどうでしょうか。私は時系列をやっていますが、U of Iowa、Michigan State U、Colorado State U あたりはそれなりに伝統がある割に、US News などのランキングは高くないという印象は受けます。あまり深く考えずに、たくさん出されてみてはいかがでしょう。

No title

お返事ありがとうございます。6-8校ほど出してみたいと思います。いろいろ教えていただきありがとうございました。

統計は重要ですよね!

はじめまして。UCバークレー公共政策大学院のSatoruと申します。
本記事、とてもおもしろく拝読させていただきました。


>統計以外にも、仕事でスプレッドシートやデータベースを扱う機会が増えた現在では、初歩的なブール代数などが高校のカリキュラムに入ってもいいし、モデル化のためにはグラフ理論などが入っても良い。

おっしゃるとおりです。ちょうど先日、MBA在学中の友人と同じような話をしていたところです。
社会に出ると、統計の知識って意外なほど必要なのですよね。基本的な「統計リテラシー」は、分析の専門家に限らず、誰もが持っておいて損はないスキルだと思います。

我が国の基礎的な数学教育の水準は決して低いものではないので(アメリカにいると特にそう実感します(笑))、それをさらに良いものにするために、文部科学省にはぜひWillyさんのご意見を取り入れて欲しいものです・・・!

No title

Satoruさん:

どうもはじめまして。日本に限らないとは思うのですが、どうも教育を司る官庁というのは保守的ですね。

No title

文化(日本とか世界の)を教えるのが中心の科目が結構あるけど、数学や科学的な文化って使う使わないに関わらず、役に立つ立たないに関わらず教えるのはアリと思うけど。

No title

足立幸信さん:

数学には文化としての側面も大きく、またそれを学ぶ楽しみもあることには同意です。一方で
私は、数学には、哲学とか考古学とか文学とかに比べて圧倒的に大きな実用的な価値があると思っており、文化としての側面を前面に押し出すのは、作戦としては勿体ないのではないかと思っています。

No title

気持ちは分かるけど。日本史など覚えるだけというのは酷いけど、世界史も合わせてその道の研究者以外に、外国へNGOで行く人や働く人達にはお互いのアイデンティティーを知る基礎になり、かなり多くの割合でひつようやわね。地理とか公民も一緒。国語、英語もしかり。あとは理科、数学やけど、かなり多くの人に必要やね、おっしゃるとおり。

ただ勉強は必要になったら出来ることは出来るでしょ。でも基本が頭の片隅に残っている方がやりやすいわね。つまりある種の大学に行く人をエリートとするなら満遍なく5科目を勉強させといてさしたる無駄は無いと思うね。どれくらい勉強したかは到達度テストで8割くらい取ると。5科目。なんでやゆうて文句を言うのがいたら文化的素養というものは君たちには必ず必要になると言えばいいわけ。納得すると思うね。文系の人がある程度の数学を勉強するのも。そう言うときに、昔の文学の作者の真贋を判定するのに近頃では語彙をコンピュータに入れて使い方の癖を統計で分析するとかゆうようなことは言わない方が良いと思うね。経済は文系になってるけど、これは数学は良く使うとはっきり言った方が良いと思うけど。

エリートは5科目の到達度テストと本当にどうしても必要な科目を大学作成の記述式テストで力を見るといいわけ。大学独自で問題を作れない所は到達度テスト、出来れば口頭試問をやるくらいかな。到達度テストが大学入学資格に近い物になるけど。私学は収入の面があるし、好きなようにやればいいと思うけど。

で名目だけ大学というような処へ進学する人、進学しない人は選択科目を増やして好きな物をとればいいのじゃないかな。数理群、語学群、文化群てな風に分けてあまり偏らないように。

No title

MSと申します。Willyさんのブログは良く拝見させていただいております。

すでに新しい記事が出ているので、過去記事にコメントを書くのは失礼かもしれませんが、あまりにも記事の内容に納得させられたので、感想を書かせていただきます。

私は学部と修士で数学を学んだ後、保険会社でアクチュアリー関連の仕事をしています。(まだ1年目です)
Willyさんとは経歴が似ているところがあるからか、記事を読んでいて共感することが多いです。(Willyさんの文章を読んでいると大学院時代の指導教授を思い出します)。

今回の記事では、公式を覚えることは理屈が分からなくても答えをだせる便利なショートカット、しかし直観に反するので訓練が必要であるという話に、すごく納得させられました。また、パズル的な能力が専門家による分業をある程度置き換えることができるという部分もその通りだと思いました。これらのことは、日々の業務の中で実感しています。

例えば、私の仕事は、ある程度専門性が必要とされていて、理論をよく理解した人がやるべきものと思われています。しかし、理屈は二の次で結果が正しければよいというスタンスで仕事をしている人も結構います。それでも、あまり問題がおきることなくうまく回っています。

普段仕事を教わっている上司も理論にはあまり興味がないタイプで、理解が根本的に間違っていたり、2つの概念を逆に覚えたりしていることもあります。しかし、仕事は抜群に速く、ミスもあまりしません。これは、ある程度決まった業務があり、経験でなんとかなる部分が大きいということと、結果を見た時点である程度間違いに気づけるということだと思います。

逆に、私は中身を理解した上で、仕事をやりたいと思っているタイプなのですが、時間ばかりかけて真面目にやっていないとか、何でそんな細かいことにこだわるんだとか言われて肩身の狭い思いをしています。

ご存じのとおり、アクチュアリーには資格試験があり、確率・統計や保険数理に関するいくつかのテストに合格しなければ正会員になれません。しかし、このテストはパズル的な問題が多く、本質的な理解をとうような問題はほぼ出ません。過去問で問題の解き方さえ勉強すれば合格できます(私は、まだ正会員ではありませんが、その印象です)。資格が、理論的な部分に関する理解の保証になっていないという印象です。

学生時代、証明を読むのが好きだった自分には、もっと理屈の部分を大事にしたほうがいいんじゃないかと思えてしまいます。でも、実務家としてはこれでいいのかなあという気もしてきた今日この頃です。


No title

足立さん:

エリートには、専門性と教養の両方が必要ですね。そういう点では、専門家にならない人のための教養としての数学、という視点はもっと必要だと私も思います。

米国では日本より分業が進んでいるので、「専門家に仕事を依頼するために最低限必要な基礎知識」の価値も大きいように思います。例えば、私はお医者さん向けの統計の分析をやっていましたが、統計のコンセプトやモデルを理解している人とそうでない人では、依頼するにしても最終的な成果物のクオリティーが違ってきます。

No title

MSさん:

企業の現場から見た内容の補強、どうもありがとうございます。統計関係に関して言えば、理論をきちんと理解するメリットは、自分で自由にモデルをいじって改良できるようになる、という点にあると思います。
プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の某大数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。2016年、准教授。

検索フォーム
Twitter

Twitter < > Reload

お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

全記事表示

全ての記事を表示する

最近のコメント
訪問者数 (UA)
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
海外情報
13位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
北アメリカ
3位
アクセスランキングを見る>>
人気記事Top10


(はてなブックマークより)

カテゴリー
最近のトラックバック
お勧めブログ