米国の学部で学ぶために一番大切なこと
ここ5年ほど、日本でも海外留学への関心が高まっている。経済的に敷居の高い日本から米国への学部留学も増加する可能性がありそうだ。そこで、一大学教員として、米国の学部教育の現場で感じていることを書いておこうと思う。
アカデミックな意味で大学生活を成功させるためには、有名大学に入れるかどうかとか、入ってから一生懸命勉強するかとか、いろいろな要素がある。しかし、私は「入学までにきちんとした基礎知識をつけてくるかどうかが成否のほとんど全てを決めると言っても過言ではない」と考えている。それは入学時の基礎学力が、大学のリソースをどこまで活用できるかを決めてしまうからである。
米国の多くの大学では、日本の大学生と比べて入学者の学力のばらつきが非常に大きい。超名門校においても下位層の学力は日本の一流国立大の足許にも及ばないし、私のいるWS大に至っては「学部生の半分は100の平方根が50だと思っている」という笑い話があるほどだ。一方でWS大においても、私より優秀なのでは?と思うほどの博士課程の学生もおり、そんな学生もWS大の学部で学んでいたりするのだ。つまり、日本で言う東大レベルの学生もいればFランク大レベルの学生もいるということだ。当然ながら、学生によって取る授業は入学当初から全く異なる。
私は数学科に属しているので、うちの大学で学生が履修する数学科目がどのようになっているのか説明しよう。ちなみに、うちの大学では全ての学生は数学科目を一科目は履修しないと卒業出来ない仕組みになっている。
最も数学ができない学生が取るのは、0番台と呼ばれる授業で、0900のような0で始まるコース番号がついている。これらのコースは大学の単位として認めてもらえないので、学生は小中学校の復習のためだけにお金を払っているようなものだ。授業は整数の四則演算から始まり、分数、小数、百分率、と言わば小学校で習うことから復習していく。それだけでも驚愕ものだが、更に問題なのは、たった一学期の授業で、方程式や不等式、多項式の計算や、グラフの書き方までやることだ。私には、18歳にもなって小学校の算数があやふやだった学生が、一学期間でこれら全てを習得できるとはとても思えない。結局のところ学生は、曖昧な理解のまま、次のコースを目指して博打を打つ、という全く救いようのない状況なのである。
なんとか日本の中1レベルのことが出来る学生は、1000番というコースを取る。クラスは200人の大教室で、内容は無理矢理作ったカルチャー講座のようなものだ。乱数表から数字を取り出して度数表を作ったりと意義を疑いたくなる問題をやらされたり、かと思えば、いきなり中心極限定理を紹介されたりする。ともかく数学をきちんと理解させようと作られたコースではないので、一生懸命勉強しても、次の数学のコースを取るにはほとんど役に立たない。10ドルの古典的な啓蒙書でも一冊真面目に読めば、十分に同等の知識を得られるだろう。研究で忙しいTA達が、試験問題の数字だけ入れ替えた問題をともかく学生に繰り返しやらせて、形式的に点数を取らせるだけの科目でもある。
もう少しできる学生は、中学・高校で習う数学を復習するコースを取る。これも1000番代のコースである。日本の中学レベル+三角関数に相当するレベルと、指数や対数なども含む日本の高1レベルのものがある。この2科目を取るだけでも、6クレジット程度になるので、大雑把に言って1年の4分の1を高1までの尻拭いに使うと言っても良い。授業は30〜40人の中規模のクラスで行われ、教えるのはTAや易しいコース専門のインストラクターだ。
なお、ここまでのコースは、基本的に取る必要のないコースである。自分で復習して学科のテストにパスすれば免除される。つまり「自分で復習ができない学生」のためのコースと言っても良い。
理工系に進む学生のうち、まともな学生は2000番台のコースを初年度から取り始める。多くの学生が最初に取るのは、微積分入門である。しかし進度は早く、1学期間で簡単な微積分は終わらせてしまう。試験もそれなりに厳しいので、単位を再三落とす学生や、CやDなど将来に響く成績(米国の学部の成績は進学の際にとても重視される)を取る学生が少なくない。実のところ、多くの学生は真面目にやっているにもかかわらず、良い成績が取れない。米国の大学というのは基本的に優秀な学生以外は途中で振り落とすという仕組みでやっている。「真面目にやれば報われる」という日本の学校制度とは趣が異なるように思う。結局のところ、高校で一度、微積分を学んだことがあるかどうかによる差が大きいようだ。
2000番台の科目にも、なんとか背伸びして無理に登録して来る学生が多くいる。こうした学生の中には本当にやる気のある学生もいるのだが、残念ながらやる気だけでは数学はできないようだ。不十分な基礎知識では、いくら勉強しても、きちんとした成績でパスすることができず、逆に時間を無駄にする学生が多い。先学期もノイローゼ気味になるまで成績の事を心配して勉強しながら、結局学期途中でドロップアウトした学生がいた。日本では、米国の大学で単位の認定が厳しいことを美化する風潮があるが、実態は基礎知識が不十分なために、いくら一生懸命やっても成績が付いて来ない、ということなのである。
高校で真面目に勉強した学生は2000番台のコースもいくつかの免除を受け、3〜4年になれば、5000番台の学部上級/修士向けのコースを履修する。そうした学生が、数学専攻の学生というわけではない。単に、高校までで真面目に勉強してきたかどうかの違いである。このレベルのコースは、多くとも10数人程度の少人数のクラスが多く、専任の研究教員が自分の得意分野を教えるので、講義の内容も深く、面倒見も良い。成績評価も教員の裁量に任されるので、学生も成績を過度に心配せずに、知的好奇心を持って授業を受けられる。教員の方も「演習問題が載ってるページが分からない」とか「練習問題と試験問題が違うので困る」などと文句をいう困った学生がいなくなるので、講義内容に集中できる。せっかく大学に来るなら、このレベルの授業を受けなくては損だし、逆にこのレベルの授業であれば必ず授業料という投資に見合うだろう。
巷の大学ランキングを見れば、ハーバードやイェールなど有名私立大が上位に並ぶ。そうした大学は、学生のテストスコアも高く、卒業率は高く、教員一人当たりの学生数は少なく、専任教員は多く、クラスは少人数制だ。いいこと尽くめのように見えるし、実際、優秀な学生が多い事は事実だろう。しかしいずれにせよ、学生の基礎知識が不十分であれば、どの大学でも同じように教えられている初歩のコースを受けることになる。
逆にWS大のような並の州立大学であっても、きちんとした知識を持って入学すれば上級レベルのコースを多く履修でき、結果として、学力の高いクラスメイトに恵まれるし、卒業も心配がなく、クラスは少人数で、専任の研究教員が教える授業を取れるのである。卒業後の進路にしても、医学部(米国では学部卒業後に進学)への進学にあたっては地元出身者、同一大学出身者は、有利な扱いを受けているようだ。大学院も人材が不足気味なので、優秀なら引き合いがある。
こうして見ていくと分かるように、大学で対価に見合った教育を受けたければ、ともかく高校までの勉強をしっかりやってくることに尽きる。これは、どこの国でも基本的には変わらないだろう。そして、米国ではその事が特に顕著である。この事に比べれば、ハーバードに行くか、州外の人が聞いたこともないような地元の州立大学に行くかは、二次的な問題と言ってよい。
近年は日米とも大学進学率が非常に高まり、大学に進学することがペイするかどうかに疑問が呈されるようになった。だが、真実はとても単純なことのように思える。高校まできちんと勉強し、大学で新しい事を学ぶ気があるのなら、大学は依然として素晴らしいところだ、という事である。
アカデミックな意味で大学生活を成功させるためには、有名大学に入れるかどうかとか、入ってから一生懸命勉強するかとか、いろいろな要素がある。しかし、私は「入学までにきちんとした基礎知識をつけてくるかどうかが成否のほとんど全てを決めると言っても過言ではない」と考えている。それは入学時の基礎学力が、大学のリソースをどこまで活用できるかを決めてしまうからである。
米国の多くの大学では、日本の大学生と比べて入学者の学力のばらつきが非常に大きい。超名門校においても下位層の学力は日本の一流国立大の足許にも及ばないし、私のいるWS大に至っては「学部生の半分は100の平方根が50だと思っている」という笑い話があるほどだ。一方でWS大においても、私より優秀なのでは?と思うほどの博士課程の学生もおり、そんな学生もWS大の学部で学んでいたりするのだ。つまり、日本で言う東大レベルの学生もいればFランク大レベルの学生もいるということだ。当然ながら、学生によって取る授業は入学当初から全く異なる。
私は数学科に属しているので、うちの大学で学生が履修する数学科目がどのようになっているのか説明しよう。ちなみに、うちの大学では全ての学生は数学科目を一科目は履修しないと卒業出来ない仕組みになっている。
最も数学ができない学生が取るのは、0番台と呼ばれる授業で、0900のような0で始まるコース番号がついている。これらのコースは大学の単位として認めてもらえないので、学生は小中学校の復習のためだけにお金を払っているようなものだ。授業は整数の四則演算から始まり、分数、小数、百分率、と言わば小学校で習うことから復習していく。それだけでも驚愕ものだが、更に問題なのは、たった一学期の授業で、方程式や不等式、多項式の計算や、グラフの書き方までやることだ。私には、18歳にもなって小学校の算数があやふやだった学生が、一学期間でこれら全てを習得できるとはとても思えない。結局のところ学生は、曖昧な理解のまま、次のコースを目指して博打を打つ、という全く救いようのない状況なのである。
なんとか日本の中1レベルのことが出来る学生は、1000番というコースを取る。クラスは200人の大教室で、内容は無理矢理作ったカルチャー講座のようなものだ。乱数表から数字を取り出して度数表を作ったりと意義を疑いたくなる問題をやらされたり、かと思えば、いきなり中心極限定理を紹介されたりする。ともかく数学をきちんと理解させようと作られたコースではないので、一生懸命勉強しても、次の数学のコースを取るにはほとんど役に立たない。10ドルの古典的な啓蒙書でも一冊真面目に読めば、十分に同等の知識を得られるだろう。研究で忙しいTA達が、試験問題の数字だけ入れ替えた問題をともかく学生に繰り返しやらせて、形式的に点数を取らせるだけの科目でもある。
もう少しできる学生は、中学・高校で習う数学を復習するコースを取る。これも1000番代のコースである。日本の中学レベル+三角関数に相当するレベルと、指数や対数なども含む日本の高1レベルのものがある。この2科目を取るだけでも、6クレジット程度になるので、大雑把に言って1年の4分の1を高1までの尻拭いに使うと言っても良い。授業は30〜40人の中規模のクラスで行われ、教えるのはTAや易しいコース専門のインストラクターだ。
なお、ここまでのコースは、基本的に取る必要のないコースである。自分で復習して学科のテストにパスすれば免除される。つまり「自分で復習ができない学生」のためのコースと言っても良い。
理工系に進む学生のうち、まともな学生は2000番台のコースを初年度から取り始める。多くの学生が最初に取るのは、微積分入門である。しかし進度は早く、1学期間で簡単な微積分は終わらせてしまう。試験もそれなりに厳しいので、単位を再三落とす学生や、CやDなど将来に響く成績(米国の学部の成績は進学の際にとても重視される)を取る学生が少なくない。実のところ、多くの学生は真面目にやっているにもかかわらず、良い成績が取れない。米国の大学というのは基本的に優秀な学生以外は途中で振り落とすという仕組みでやっている。「真面目にやれば報われる」という日本の学校制度とは趣が異なるように思う。結局のところ、高校で一度、微積分を学んだことがあるかどうかによる差が大きいようだ。
2000番台の科目にも、なんとか背伸びして無理に登録して来る学生が多くいる。こうした学生の中には本当にやる気のある学生もいるのだが、残念ながらやる気だけでは数学はできないようだ。不十分な基礎知識では、いくら勉強しても、きちんとした成績でパスすることができず、逆に時間を無駄にする学生が多い。先学期もノイローゼ気味になるまで成績の事を心配して勉強しながら、結局学期途中でドロップアウトした学生がいた。日本では、米国の大学で単位の認定が厳しいことを美化する風潮があるが、実態は基礎知識が不十分なために、いくら一生懸命やっても成績が付いて来ない、ということなのである。
高校で真面目に勉強した学生は2000番台のコースもいくつかの免除を受け、3〜4年になれば、5000番台の学部上級/修士向けのコースを履修する。そうした学生が、数学専攻の学生というわけではない。単に、高校までで真面目に勉強してきたかどうかの違いである。このレベルのコースは、多くとも10数人程度の少人数のクラスが多く、専任の研究教員が自分の得意分野を教えるので、講義の内容も深く、面倒見も良い。成績評価も教員の裁量に任されるので、学生も成績を過度に心配せずに、知的好奇心を持って授業を受けられる。教員の方も「演習問題が載ってるページが分からない」とか「練習問題と試験問題が違うので困る」などと文句をいう困った学生がいなくなるので、講義内容に集中できる。せっかく大学に来るなら、このレベルの授業を受けなくては損だし、逆にこのレベルの授業であれば必ず授業料という投資に見合うだろう。
巷の大学ランキングを見れば、ハーバードやイェールなど有名私立大が上位に並ぶ。そうした大学は、学生のテストスコアも高く、卒業率は高く、教員一人当たりの学生数は少なく、専任教員は多く、クラスは少人数制だ。いいこと尽くめのように見えるし、実際、優秀な学生が多い事は事実だろう。しかしいずれにせよ、学生の基礎知識が不十分であれば、どの大学でも同じように教えられている初歩のコースを受けることになる。
逆にWS大のような並の州立大学であっても、きちんとした知識を持って入学すれば上級レベルのコースを多く履修でき、結果として、学力の高いクラスメイトに恵まれるし、卒業も心配がなく、クラスは少人数で、専任の研究教員が教える授業を取れるのである。卒業後の進路にしても、医学部(米国では学部卒業後に進学)への進学にあたっては地元出身者、同一大学出身者は、有利な扱いを受けているようだ。大学院も人材が不足気味なので、優秀なら引き合いがある。
こうして見ていくと分かるように、大学で対価に見合った教育を受けたければ、ともかく高校までの勉強をしっかりやってくることに尽きる。これは、どこの国でも基本的には変わらないだろう。そして、米国ではその事が特に顕著である。この事に比べれば、ハーバードに行くか、州外の人が聞いたこともないような地元の州立大学に行くかは、二次的な問題と言ってよい。
近年は日米とも大学進学率が非常に高まり、大学に進学することがペイするかどうかに疑問が呈されるようになった。だが、真実はとても単純なことのように思える。高校まできちんと勉強し、大学で新しい事を学ぶ気があるのなら、大学は依然として素晴らしいところだ、という事である。
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