自動運転で日本勢が米国勢に絶対勝てない理由
1997年にトヨタがわずか215万円でプリウスを発売し、世界の度肝を抜いた時のことを僕は今でも覚えている。当時の多くの日本企業の技術力は世界を圧倒しており、例え金融市場で日本のプレゼンスが多少下がったとしても、その栄華は永遠に続くようにも思われた。
それから20年、日本の技術力に陰りが見られるようにはなったものの、今でもトヨタをはじめとした日系自動車メーカーは総合力で世界のトップに立っている。
しかし、これから時代は急速に動いていく。運転が機械学習モデルによって自動化され、自動車の利用方法や所有形態までが大きく変わることのインパクトは、自動車の動力源がガソリンから電気などに変わることよりも何倍も大きい。
現在、自動車メーカーやIT企業は自動運転技術にしのぎを削っているが、私が確信していることは、トヨタや日産のような日本の大手がフォードやGMのような米系大手、テスラなどの新興メーカー、Waymo、Apple、Uber、AuroraなどのIT企業との開発競争に勝つことはできないだろうということである。その理由を示したい。
1. 現在のタイムライン
フォードやGM、その他の米IT企業の多くが2020〜2022年に事実上の完全自動化であるSAEのレベル4の商用化を計画しているのに対し、日系メーカーは2020年初頭に高速道自動運転を目指しているところが大半で既に2年程度の遅れを取っているように見える。
下は米Navigant Research社がまとめた自動運転進捗の概念図である。こうした技術面は主に縦軸に反映されていると言って良いだろう。

注目して欲しいのは、技術面だけでなく横軸の戦略面で日本は米国勢に、より大きく引き離されているということである。GM、フォード、Waymo+クライスラーのいわゆるビッグ3は既にライドシェア各社との提携や買収を決めるなど、着々とインフラ面に浸透している。
2. 米国で先に実用化されるという壁
さらに現在の進捗と並んで決定的なのは、実用化がほぼ確実に米国から始まるということだ。
元々米国は文化的にも法律面でも、まず新しいものを試し、起こった問題に後から対処していくという方法論が根付いている。自動車運転のような人命にも関わる重大な決定においては、この格差はより大きなものとなるだろう。日本でも、経産省が自動車運転に関する問題点を議論する有識者会議を設置するようだが、今後の問題点を議論するのではなく、まず先に自動運転を導入して起こった問題に対処していくという意識でなければ、米国の流れに追いつくことは難しいと思う。
米国の交通事情も普及の後押しとなっている。自動運転の最初の大きなマイルストーンは、高速道運転の自動化である。高速道路は信号や歩行者がいないなど考慮しなければいけない変数が格段に少ないため、自動運転の実用化はかなり早期に実現できる。米国は元々国土が広い上に、自動車メーカーのロビーが強く鉄道網が発達していないため、高速道自動運転の経済的インパクトが大きい。高速料金が安いことも日本などと比べたアドバンテージだ。例えばフロリダの観光地に行くにしても、自動運転が実用化されれば10以上の州の州民が飛行機から車に切り替えることを検討するに違いない。
こうした事情を考えると、もし日本メーカーが米国に進出していなかったならば米国勢に完敗することはほぼ100%確実だっただろう。しかし、日本メーカーがかなり米国に浸透している今でも、やはり日系メーカーが勝てないと私が考える理由がある。それは、ダブルスタンダードが適用される恐れのある訴訟リスクである。
トヨタは2010年代前半のプリウスの急加速問題で、最終的には全く瑕疵が見つかっていないにも関わらず司法省に10億ドルもの和解金を支払った。一方で、長年欠陥が放置され10人以上の死者を出しているGMのリコール隠しに対しては、一日7千ドルという途方もなく安い制裁金しか課されなかったのは記憶に新しい。
こうしたダブルスタンダードが疑われる状況では、非米系メーカーの戦略はどうしても、目立たないように他メーカーの後追いをするということになる。実際の運用データが競争力の鍵になる自動運転分野ではこれは大きなディスアドバンテージだ。

(Los Angeles Times より)
テスラはつい先日も、自動運転支援システム=オートパイロットを搭載したモデルXで死亡事故を起こした。この事でテスラの株価も下落したが、テスラ社がイノベーティブなイメージを獲得して積極的に新技術を試せる状況にあることは、アドバンテージである。トヨタやホンダが同様の事故を起こした場合に、同程度の制裁で済むのかは甚だ疑問だ。
3. 言葉の壁
日本の自動車メーカーが世界を席巻した一つの理由は、設計図が日本語でも英語でも品質に変わりはないということだろう。つまり工業製品は非常に言葉の壁が低いのである。販売面では生産面よりは言葉の壁が大きいが、強大な影響力を持つディーラーに売ってもらうだけで問題を解決できた。
しかし、自動運転ではこの方式はもはや通用しない。コアとなる技術が機械学習などのソフトなので、元々ハードウェアよりも言葉の壁が高い。その上、技術開発が完成に近くなるほど、許認可などが商品の成功に占める割合が高くなり、より高度なコミュニケーションが求められることになっていくだろう。もちろん日系メーカーも現地で人員を大量に採用しているものの、米国人社員の質と量、リーダーシップのレベルでは米系と差があると考えるのが自然だ。
4. 技術者の層の厚さ
トヨタがハイブリッド車を世界に先駆けて発売する事ができたのは、当時の日本の技術者のレベルの高さ、層の厚さ、若さが大きくプラスに働いたと言える。
一方で、繰り返しになるが、自動運転分野においては基幹技術はソフトの部分であり英語圏の方が人材の厚みがある。このことは日系メーカーも分かっており、トヨタはAIソフト開発の研究所(TRI-AD)を設立し英語を公用語化して人材を集める予定のようだ。しかし、大学などを見ても分かるように、日本の組織は海外の一流人材を集めるのに非常に苦戦しており、どの程度うまく行くかは不透明だ。
日本メーカーの望みは?
このように考えて行くと、日本メーカーが自動運転分野で米系に打ち勝って優位を築くことは至難の技に思える。それでは日本メーカーは米系に惨敗して、歴史的な再逆転を許すのであろうか。その可能性も十分にあるが、希望がない訳ではない。
逆説的ではあるが、私が希望を感じたのは昨年、優位に立つGMが「スーパークルーズ」と呼ばれるほぼ高速道自動運転を備えたキャデラックCT6を市場に送り出した時だ。スーパークルーズは非常に優れたシステムだが、GMはこの車に8万4千ドルという値札をつけた。大ヒットが狙えるような値段ではない。

自動運転の基幹技術はソフトウェアであり一台あたりの追加コストが低い。そのため、技術で優位に立つメーカーが安価で売り出して一気に市場を寡占することはそれほど難しくない。特にハイブリット車のような複雑な機構と比べれば、その違いは明らかだ。
しかし、そうした技術的優位がもっぱら利益の最大化に使われるだけでシェアの獲得に使われないのであれば、それほど決定的な差別化にはならず、車自体の信頼性などで高い評価を得る日本勢がキャッチアップすることは十分可能であるようにも思える。
つまり日本メーカーは、自動運転関連の実用化が一番でなかったとしても、基幹技術の特許などを十分に抑えて先頭集団に遅れないようにピタリとついていくことが大事だろう。それができれば、今後も長期に渡って競争力を維持できる可能性は十分にある。自動車は、テレビや携帯などの電気製品で韓国に惨敗した日本にとって数少ない得意分野である。今後も世界市場での健闘を期待したい。
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