全ての人に数学を学ばせる理由
橋下徹氏の「三角関数は絶対必要な知識なのか」との問題提起を読んだ。
結論から書けば、個人的には三角関数なり三角比を全員必修にする必要はないと思っている。しかし、橋下氏が書いているように、「三角関数なんか深く知らなくても人間的に立派な人、仕事を成功させている人、人生を謳歌している人たちはたくさんいる」ことをもって「"人生において三角関数は絶対に必要不可欠な知識ではない"と断言できる」と結論付けてしまうのは短絡的に思える。
確かに現状で高度な数学を使わない職業はたくさんあるが、その職業に就いた人が一生その仕事を続けるかどうかは分からない。情報技術の発展によって、その見込みは日に日に小さくなっている。
30歳や40歳になって、やっていた仕事がなくなってしまったり、その仕事に興味がなくなったりした時に、もう一度勉強し直して新しい種類の仕事を就こうとするのは、個人にとっても社会にとっても望ましいことだ。そうやって個人も社会も豊かになっていく。
その際にネックになるのは、言語的な能力であったり、数学的な能力であったりすることが多い。いま一度考えて見て欲しいのだが「読み書きそろばん」と言われたように、国語や算数・数学の基礎が小中学校で重視されてきたのは、多くの人の生活に必要とされることだけでなく、若い頃の方が身につけやすいこと、歳をとってからやり直すことが難しいことが大きな理由である。
米国ではデータサイエンティストが人気の職業となっているが、あまりに数学が苦手な人がデータサイエンティストになることの困難さを表現したこんな風刺画もある(www.andertoons.comより転載)。

大人になって新しいことを学ぶ意欲が高い米国人と彼らに数学を教えている私には、数学がボトルネックになることの多さがよく分かる。後から数学を学び直せるレベルの数学力を必修にするというのは、政府の方針としては妥当なものだろう。
これは感覚レベルの話になるが、大人になってからやり直せるレベルの数学力というのは、おそらく中学3年ないし高校1年くらいのレベルであると思う。実際に、大人になってから数学に苦しんでキャリア計画に支障をきたしている米国人を見ると、中学終了程度の数学をきちんと理解できていないケースがほとんどだからだ。この手の議論で、三角関数が話題になることが多いのは、それが「将来やり直せるレベルの数学力」にかろうじて必要ないレベルだからなのかも知れない。
もちろん、資本主義の流儀にしたがって数学の必修化を最小限に止めるという考え方もあるだろう。数学を一生懸命勉強してそれを社会に活かそうと思った人には現状でも十分過ぎるほどの恩恵があるので必修にせずとも学ぼうとする人はたくさんいる。恩恵を受けなくても良いと思っている人に強制的に学ばせる強い理由もない。むしろ学ぶ人が減ればその格差は固定され、ますます数学を学ぶことのメリットは大きくなるだろう。その点については、以前のブログポスト「数学を勉強する事は無益」で触れた。
だが、元政治家である橋下氏が、そのような徹底的な弱肉強食の資本主義社会につながる数学教育を支持していることは面白い。もしそれが橋下氏の本意でないとすれば、橋下氏の数学教育に対する私見は、職業が安定していた時代、大人になって学び直すことが必要なかった古き良き時代を懐かしむものだと捉えた方が良いだろう。
結論から書けば、個人的には三角関数なり三角比を全員必修にする必要はないと思っている。しかし、橋下氏が書いているように、「三角関数なんか深く知らなくても人間的に立派な人、仕事を成功させている人、人生を謳歌している人たちはたくさんいる」ことをもって「"人生において三角関数は絶対に必要不可欠な知識ではない"と断言できる」と結論付けてしまうのは短絡的に思える。
確かに現状で高度な数学を使わない職業はたくさんあるが、その職業に就いた人が一生その仕事を続けるかどうかは分からない。情報技術の発展によって、その見込みは日に日に小さくなっている。
30歳や40歳になって、やっていた仕事がなくなってしまったり、その仕事に興味がなくなったりした時に、もう一度勉強し直して新しい種類の仕事を就こうとするのは、個人にとっても社会にとっても望ましいことだ。そうやって個人も社会も豊かになっていく。
その際にネックになるのは、言語的な能力であったり、数学的な能力であったりすることが多い。いま一度考えて見て欲しいのだが「読み書きそろばん」と言われたように、国語や算数・数学の基礎が小中学校で重視されてきたのは、多くの人の生活に必要とされることだけでなく、若い頃の方が身につけやすいこと、歳をとってからやり直すことが難しいことが大きな理由である。
米国ではデータサイエンティストが人気の職業となっているが、あまりに数学が苦手な人がデータサイエンティストになることの困難さを表現したこんな風刺画もある(www.andertoons.comより転載)。

大人になって新しいことを学ぶ意欲が高い米国人と彼らに数学を教えている私には、数学がボトルネックになることの多さがよく分かる。後から数学を学び直せるレベルの数学力を必修にするというのは、政府の方針としては妥当なものだろう。
これは感覚レベルの話になるが、大人になってからやり直せるレベルの数学力というのは、おそらく中学3年ないし高校1年くらいのレベルであると思う。実際に、大人になってから数学に苦しんでキャリア計画に支障をきたしている米国人を見ると、中学終了程度の数学をきちんと理解できていないケースがほとんどだからだ。この手の議論で、三角関数が話題になることが多いのは、それが「将来やり直せるレベルの数学力」にかろうじて必要ないレベルだからなのかも知れない。
もちろん、資本主義の流儀にしたがって数学の必修化を最小限に止めるという考え方もあるだろう。数学を一生懸命勉強してそれを社会に活かそうと思った人には現状でも十分過ぎるほどの恩恵があるので必修にせずとも学ぼうとする人はたくさんいる。恩恵を受けなくても良いと思っている人に強制的に学ばせる強い理由もない。むしろ学ぶ人が減ればその格差は固定され、ますます数学を学ぶことのメリットは大きくなるだろう。その点については、以前のブログポスト「数学を勉強する事は無益」で触れた。
だが、元政治家である橋下氏が、そのような徹底的な弱肉強食の資本主義社会につながる数学教育を支持していることは面白い。もしそれが橋下氏の本意でないとすれば、橋下氏の数学教育に対する私見は、職業が安定していた時代、大人になって学び直すことが必要なかった古き良き時代を懐かしむものだと捉えた方が良いだろう。
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