FacebookがLibraを発行する動機を考察してみる
6月18日にFacebookを中心とするコンソーシアムが暗号通貨Libraのホワイトペーパーを発表した。日本語抄訳が@OnePoke 氏によりまとめられている。
暗号通貨の専門家でない私にはこの通貨を発行する動機が何なのか今ひとつはっきり分からないのだが、様々な人の説明を読むと、どうやら私以外のほとんど全ての人もそれを分かっていないようだ。そこで、金融出身者として私が考えたLibraの真意やLibraが実現するビジネスについて考察してみたい。Libraが全く新しい通貨である以上、ほとんどの考察は想像の産物に過ぎない。誤った前提に基づくものがあれば、ご指摘頂きたい。
1. LibraはBitcoinのような暗号通貨よりも電子マネーに近い
従来のビットコインやイーサリアムのような暗号通貨とLibraの根本的な違いは、前者が裏付け資産を持たないのに対し、Libraは主要通貨のバスケット(例えば米ドルとユーロと円の何らかの意味での平均)を裏付け資産として持つという点である。したがってLibraは経済的な観点では、SuicaやEdyのような電子マネー、アマゾンのアカウントの残高、あるいはクレジットカードのような決済システムに近い。したがって、Libraがビットコインのように投機の対象になることはないだろう。これは他でも再三説明されている通りだ。
2. ネットワークの価値
Libraを使った取引は高い匿名性が担保されるとされている。しかし、取引自体が匿名であっても、例えば取引の際に使われるウォレットを多くの利用者がFacebookのアカウントなどと紐付けるような状況になれば、そこには莫大な情報の価値が発生する。
米国の学生などの間で流行っているVenmoという個人間(P2P)送金システムが参考になるかも知れない(「Venmo」 - 米国の若年層がハマるP2P金融サービスとは?
)。このサービスは「ソーシャルストリーム」という機能を備え、仲間がどのようにお金を使っているのかを可視化する事もできる仕組みである。
米国文化では消費を見せびらかす事が日本ほどいまいましい行為ではない。親がお金持ちの女子高生が高いブランド物を大量に買い、SNSで自慢するといった事も見られる。こうした情報をSNSの運営者であるFacebookなどが把握できれば、莫大な広告価値を生むことは想像に難くない。「○○ちゃんがiPhone買い換えたんだから、あなたも買い替えなよ!」と言った広告が打てるのである。
https://twitter.com/willyoes/status/1139513145532141573
Facebookにとって、利用者自身がLibraを用いた取引を公開するかどうかは、必ずしも重要ではない。例えばある流行商品を誰かがこっそりLibraで買ったとすれば、SNS上でその購入者と親しい人も同じ商品を購入する可能性が高くなる。これはSNSの運営者が広告を打つ上で貴重な情報である。このことはプライバシー侵害の問題が深刻である事を意味している。例えば、Aさんが妊娠検査薬を買うと、Aさんの親友であるBさんのSNSのタイムラインに「Aさんに懐妊祝いを送りましょう!」などというメッセージが表示されてしまう可能性があるからだ。
3. 収益の柱は消費者金融
前節でみたような、暗号通貨のウォレットがSNSのネットワークと結びつく事で生まれる情報価値は、SNSの従来のビジネスモデルの延長線上にある。しかし、金融サービスという観点から見ると、Libraの収益の柱は消費者金融になるのではないかと思う。
Libraは、世界人口の31%をも占めると言われる、銀行にアクセスできない人々へ決済手段を提供するとしている。これらの多くは発展途上国に住む人たちだが、米国でも貧困層を中心に1800万人もの人が銀行口座を持っていない
(銀行口座ない成人は世界で17億人超、最多は中国の2.2億人)。米国の貧困層が銀行口座を持っていない理由は実ははっきりしていない。単に銀行口座にを持つという文化を持っていないとか、預けるお金がないからとか、銀行に行く敷居が高いとか、難しい書類はわからないから、といった様々なバリアーが原因になっていると言われている。
しかし、携帯上でLibraをSNSと紐づけて簡単に取引ができればバリアーのかなりの部分を取り除くことができるだろう。そしてこれまでクレジット会社や銀行がアクセスできなかった貧困層を取り込むことができるので、大きな借り入れの需要が生まれることになる。
貧困層は、米国ではpayday loanと言われる高利貸し、日本では消費者金融会社を利用して金を借りるが、当然ながらそう言った店舗に足を運ぶには抵抗がある人が多いはずだ。これを仮想通貨で手軽に行えるようになることのメリットは大きい。
暗号通貨がP2Pの匿名送金を可能にするという側面は、麻薬取引や売春などの取引とも親和性が高いように思える。多額の金がやりとりされるこうした取引もまた、大きな借り入れ需要を生むことになるだろう。
4. 消費者金融 x SNS
もともと金の貸し借りは、借り手の信用を担保に行われる。SNSもまた、人々の間の繋がりつまり信用をベースとしたものであるから、新しい相乗効果が期待できるかも知れない。
例えばあなたが特段親しくないクラスメイトから「三千円貸して欲しい」と言われたら躊躇するだろう。しかし、もしSNSで繋がっている全員にコミットする形で「あなたから三千円借りる。必ず一週間後に返すから。」と返済履歴付きで投稿することができたら、借りた金を返す動機は格段に大きくなる。ここに、Facebookの金融子会社なりその他の資金の出し手が融資をできる仕組みを作れば新たなビジネスになりうるだろう。遠く離れたアフリカの国でお金が必要な人に、その人のネットワークの大きさを信用力としてお金を貸すといったビジネスも成立しうるのである。
5. ICOで利益は出ないが通貨発行益は発生する
多くの暗号通貨運営者は、裏付け資産なしにICOを行い資金を調達している。裏付けのないものを高い値段で売るICOはもはや、イニシャル・コイン・オファリングというよりはインチキ・オファリングとでも言うべきだろう。
Libraはドルや円のような裏付け資産を持つことになるので、伝統的な貨幣と近い仕組みを採用することになる。1ドル分のLibraを発行したら、運営側はそれに見合う額の準備資産を持つという仕組みだ。そのため、Libraの発行自体が利益を生む訳ではない。しかし、円紙幣を発行する日本銀行が通貨発行益(シニョレッジ)を享受するのと同じように、Libraの運営者にも通貨発行益が発生する。すなわち、Libraを発行することで積み上がる1ドル分の準備資産には金利が発生するため、その金利分が運営の利益となるということだ。1ドル紙幣の代わりに1ドル分のLibraを流通させるというサービスを提供した代わりに、運営者は1ドルに付く金利分の利益を得ることになる。
伝統的な通貨の金本位制が必ずしも100%の金準備を用意した訳ではないという事実に鑑みれば、将来的には発行されたLibraに対して一定の割合、例えばLibra10ドル分につき5ドルしか準備資産を積まないというような仕組みになる事もあり得るだろう。そうした場合には、余資の運用には裁量が生まれ通貨発行益はより大きなものになるかも知れない。
また通貨発行益以外にも、決済から上がる手数料など、クレジットカードなど従来の決済システムと同様の収益をあげる事もできるだろう。
6. なぜ通貨バスケットか
Libraは裏付け資産として主要通貨のバスケットを使うと発表している。これは、例えば日本にいる人がLibraを使って1000円の物を買う時に、5ドルと3ユーロと100円のバスケットとして支払うという事を意味する。大変、煩雑に感じられないだろうか。普及を優先するなら、各国の通貨に固定した仮想通貨をそれぞれ発行した方が望ましいだろう。
それでも通貨バスケットを用いる計画を立てたのは、各国政府の規制に左右されない自由な通貨を作るというアイデアによるものなのかも知れない。
例えば、Libraで1000円分の融資を受けるケースを考えてみよう。円にペッグした仮想通貨で融資を受ける場合、その国の利息制限法の制約を受ける事は容易に想像できる。日本であれば20%超の金利を課す事はできない。しかし円とユーロに規制があったとしても、ドルの上限金利が定められていなかったらどうだろうか。理屈の上ではどれだけ高い金利を課しても、それをドルに対する金利だと見なせば何ら法に触れない可能性がある。
上の例はあくまで思考実験に過ぎないが、特定の通貨との固定レートを避けることによって通貨を発行する国からの制約をなるべく受けないようにする、という考え方はあり得るだろう。
7. ビットコインはどうなるか
上で見たきたように、Libraは従来の暗号通貨と異なり新たな価値を生み出して成功する可能性が格段に高い一方、キャピタルゲインが見込めないことから地味な存在となることが予想される。Libraのような通貨が普及した時、人々は通貨とは何なのかという原点に立ち返り、ビットコインなどの暗号通貨に対する熱狂は冷める可能性が高い。
ビットコインは世間を暗号通貨に注目させる広告塔のような存在であった。バブルを引き起こしてなんぼの世界であり、その華やかさでもって地味で実用的な暗号通貨に注目を集めることに貢献もしている。華やかな投機対象としての地位をしばらくの間保つことは、Libraにとっても悪いことではないのかも知れない。
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